加入試験 01
四日前、初めて訪れたフォンテインは、城を持つ小さな街、というよりは、城を持つ立派な都市だった。
白壁のこれぞ城といった風情のフォンテイン城は、残念ながら昼街の佐倉のアパートからは見ることができない。けれど、と佐倉は人込みの中、振り返る。この昼街のメイン通りからなら、絵画のように美しいお城が見ることができるのだ。
ここから見るお城は、距離があるからとても小さいけれど、それでも生活する風景の中にお城があるというのは、かなり新鮮だ。見慣れない景色に、何度も何度も確認してしまう。石畳の道も、木材を使わない建物も、名産品だという檸檬のような香りのする街も、佐倉には全てが新しい。
街はいくつかの区分に分かれているそうだけど、佐倉が知っているのは昼街のごく一部だけ。それ以上のことまで、まだまだ頭が回らない。
佐倉が知る昼街は、日本の町並みとは随分違う。人通りも激しく、通りに並ぶのは店ばかりで、住宅地域はほとんどない。路地を一本入れば、玄人好みな店が立ち並ぶ。全てが石畳の道で、洒落た欧州古都に迷い込んだような錯覚すら覚える。そして、そのうっとりとするような雰囲気の往来を、昼夜問わず、全身甲冑兜の猛者達がうろついている。風景に城があること以上に衝撃の光景だ。
佐倉が住むことになったアパートは、傭兵ギルド、グレースフロンティア本部の裏手に位置する。昼街で唯一の住宅密集地らしい。そこに住むのはほぼ、グレースフロンティアの関係者らしく、窓から下を見るだけで甲冑兜の徘徊を観察できる素敵な場所だ。
「自分もあんなふうになっていくのかな……」
試しに甲冑兜の自分を想像してみた。脳の拒否感がハンパなかった。何そのコスプレ。絶対無理。しかし、佐倉はこれから「それを着て皆さんと一緒に働きたい」とアピールしてくる予定なのだ。
どうしてお奉行様はグレースフロンティアの加入試験を受けることを条件にしてきたのだろう。4日経過しても、納得できない条件だった。しかもアルルカ部隊長と別れて、備え付けの硬いベッドで眠りに落ちた翌朝、気づいた。佐倉のアパートはグレースフロンティア関係者ばかりがいるアパートで――――これ、不合格だと居場所なくない?
甲冑兜を着込みたいわけでも、剣を振りたいわけでも断じてない。
でも不合格で住処がなくなるのは、絶対嫌だ。やるしかない。当面の生活資金まで握らされている状態で、アルルカ部隊長に「落ちました。ごめんなさい」は、さすがにないと思う。
「とりあえず、やってみよう」
佐倉は獅子門と呼ばれる門の前で、その建物を見上げて意気込んだ。
見上げる建物は、さすがは最大手のギルド本部である。その外観も立派なもの。煉瓦色の、この辺りで一番高い5階建て。蔦が所々で成長し、歴史と威厳を感じさせる。
佐倉は、正門の二体の獅子像をくぐり抜け、開け放たれている正面扉から一階ホールを見回した。
一階ホールは甲冑兜の聖地と化している。だいぶ耳に慣れてきたがちゃがちゃという鎧の接触音がそこかしこで発生していた。
依頼主の話すための円テーブルには、植物で区切られてホールを行き交う人の目を遮断する。佐倉はカウンターに辿り着くと、カウンターにいる白地に薄青のストライプシャツを着た男に声をかけた。
「バラッドさん、おはようございます。ササヅカですけど、今日試験あります? それとも今日も雑用ですか?」
沈黙。
バラッドは新聞から顔を上げなかった。いつものことなので、暫くここで待たされるだろう。この四日間、佐倉はアルルカ部隊長との約束を守るため、グレースフロンティアの本部へ通っていた。運悪く、採用の担当者が本部不在で、空振りに終わっていた。
その間、案内カウンターの金茶の髪をオールバックにしたこのオッサンは、手持ち無沙汰の佐倉を雑用係に任命し、掃除、買出し、宅配とこき使っていた。
数分後、バラッドが煙草の灰を皿へと落とし、新聞から目を上げた。
「おう。来たな」
いや、先ほどからいたのだが、このカウンター内の男は、喫煙時に話しかけても徒労に終わる。一本しっかり吸い終わるまでは相手にしてもらえないのだ。
「はい、おはようございます」
「今日も雑用させてえとこなんだがな」
彼はネームプレートをカウンターに置いた。
『受験者』
ネームプレートにそうあった。
「右に進め。お前でいう左側だ。突き当たりが訓練所。着いたら大人しく待機してろ」
「それって」
今日も空振りに終わると思っていたのだが。
「試験ってことですよね、うわ、やばいどうしよう」
バラッドの口元が皮肉気に引き上がった。カウンター越しにこちらを覗き込んでくる。
「てめえ、試験受けに来たんじゃねえのかよ」
わあ、面白そう。
こっちは面白くもなんともない。心臓がバクバク言い始めている。
「だって、話の流れでこんなことになっちゃって。うわーどうしよう。緊張します。緊張しないわけないし緊張するもんですよね!」
「俺は加入試験ごときで緊張した覚えはねえがなあ」
「……はいはい、私が相談する相手を間違えてましたよ」
バラッドは肩を揺らしてひとしきり笑い、ネームプレートを指で叩く。
「ほら、ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと落ちてきやがれ。誰もてめえが受かるなんて期待しちゃいねえよ」
「どーせ、その程度ですよ私は」
でも推薦書までもらって落ちたら、アルルカ部隊長に悪すぎる。佐倉は深呼吸をして、ネームプレートを握った。
「とにかく頑張ってみます」
バラッドはニヤリと笑った。
「てめえにそれしかねえんなら、そうするこった」
「はい!」
気持ちの良い返事とともに訓練所へと進む子供の背中を、カウンター内のバラッドは目で追った。煙草を口に挟み、火をつける。――――頑張る、ね。
「ガキ、だねえ」
目を眇め、口の端を引き上げる。煙草の煙を吐いた直後、カウンターに影が落ちた。
「誰だ、あれは」
低音がバラッドの低血圧を一瞬で吹き飛ばした。珍しい。この時間に表門から「彼」が来るとは。周囲が異変に気付き始めていた。皆が「彼」を警戒しているのが分かる。異変に気付かずカウンターへ依頼主と向かっていた傭兵が、依頼主の首根っこを捕まえて踵を返した。それもある意味での正解だ。大きすぎる危険を回避するのも傭兵として大事な素質だ。
バラッドも、煙草を二の次にして返答した。
「あれは受験生ってやつ。今日、ムドウ部隊長が加入試験をするもんで」
「受験生、ねえ……細ぇえな」
おそらく今、「彼」は頭の中で背中から斬りつけたのだろう。背負う大剣でブツ斬ったに違いない。左側全体を覆う隻眼用の黒革のマスクと青灰色の右目がこちらへ戻ってくる。肩肘張らない状況でも、「彼」は誰かを噛み砕きそうだ。
「で、受かるのか?」
「いーや、落ちるでしょ」
バラッドは切り捨てた。ただ、と付け加える。
「ただ――――推薦の御仁が御仁なもんで、あのムドウ部隊長がどう判断するか」
「御仁?」
「アルルカ部隊長」
「……へえ」
背筋が伸びた。もう一度、横を見る。つられて一緒に見たバラッドの目には、子供の姿は映らなかった。
「そいつは面白い。受かったら報告をくれ」
それから「彼」は、子供の事など忘れたようだ。
「非番なんだが、個人の仕事まわしてくんねえか」