白天祭 ― 幸福な時間 4 ―
本部に戻ってきた新兵部隊員の大集団は、ここ数日で一番生命力に満ち溢れた顔をしていた。
雑務を適当にこなして新兵部隊の駐在室でサボって、否、駐在任務についていたラックバレーは、一階ロビーでその意気揚々、溌剌とした彼らの姿を確認し、踵を返したところで発見されてしまった。
鎧の野郎共の熱い抱擁と、もみくちゃにされる騒動に、本気の絶叫をあげることとなった。
「いや、ホント感謝を表わさなきゃと思ってだな」
「やめろ、マジでやめろそういうの」
「いやだってお前が譲ってくれたおかげで俺達、あのパレードに参加できたわけだし」
「感謝してるラックバレー!」
「ありがとうラックバレー!」
「やっぱり言葉だけじゃ伝えきれないこの想い……!」
「やめろ……!」
ジリジリ迫ってくるような気配。ラックバレーはあと数歩先にある案内カウンターに視線を送った。こうなったらカウンターに足をかけ、完全に安全な場所に逃亡することも辞さない。案内カウンター内の男がわくわくした子供のような顔でこちらを見ているのが大層気に食わないが。
「俺、あんなすげえパレード、想像したこともなかったな」
ぽつん、と呟かれた言葉で、周囲の者たちが賛同の頷きを返す。意気揚々、溌剌としているのに、どこか夢から醒めきってないような表情をしている彼らは、完全に『くらった』状態だった。
集団の横についてる少年達に目を向ける。
周囲の興奮を冷めた様子で見つめる白冑の美童と周囲の興奮を怖々と眺めている細身の少年だ。
「下っ端は毎年参加できるわけじゃねえから、いい経験だったんじゃねえの?」
ラックバレーがそう言うと、白冑の美童は肩を竦めてみせた。
「群衆の掌握の仕方が特殊すぎて参考にならない」
「参考ってお前、掌握するつもりでいんの? 群衆を?」
ミカエル・ハヅィの凍るような視線が射抜いてくる。続けて馬鹿にしたように鼻で笑ってくる。
「おいコラお前、そういう態度で群衆を掌握できると思ってんのか、俺はぜってぇ掌握されてやらねえからなコラ」
「ただ、このパレードで」
少年の美声がこっちのグダを巻く言葉の上に振りかかる。
お前ね、だから、そういうところがだな。
「ようやく、このギルドに価値を見出せた気がした」
「お前ね、だから、そういうところがだな!」
全く可愛げのないグレースフロンティア全体への酷評寄りのパレードへの賛辞の言葉に、顔面掴んで振り回してやろうかと思ったが、察知した勘のいい後輩が後退して何事もなく終わった。
後退したことで案内カウンターに近づいた白冑の美童は、興味と好奇心しかない表情でこちらを見ている案内カウンターに向かって「勤務時刻が過ぎたので帰ってもいいですか」と淡々と告げていた。
「そりゃあもちろん」
案内カウンターは奇跡の言葉を言い放った。完全なる帰宅許可は、棺桶に片足を突っ込み、棺を引きずりながら勤務していた新兵部隊員達にとって何よりも輝きを放っていた。
パレードに陶然としていた全ての隊員が、食い入るように案内カウンターを見た。
「え、帰っていいんですか俺ら」
「そら、この後の勤務者以外は邪魔だから帰れ」
笑いを堪えるような顔で案内カウンターは許可した。
ドッと歓声。
ある者は咽び泣き、ある者達は互いの肩を叩きあって、互いの生存を祝った。
「ようやくの我が家……!」
「あったけぇ寝床……!」
「待て、そんな、まさか俺達、今日から床じゃないところで眠れるのか……!」
再び、ドッと沸いた。
「俺、うちの赤ん坊の顔、何日見てないっけな」
「帰ろう、俺たち、家に帰ろう……!」
「奴隷解放みたいになってんな……」
祭より盛り上がって謎の感動に泣く隊員達を見ながらラックバレーは呟いた。まあ、何にせよ、命尽きる前に祭が終わって良かった。とにかく、自分も眠りたい。ぼんやりとそう思いながら、気配を感じて視線を上げる。
階段から姿を現した鎧兜の集団にラックバレーはかすかに眉根を寄せた。
昼街部隊員だ。
爆発的な盛り上がりは、階段から降りてくる彼らを見た瞬間にぴたりと止んだ。
「随分、盛り上がってるじゃねえか? え?」
陰気な空気、機嫌が悪くて当たり散らしたいのがすぐに分かる尖った話し方。
導火線が短いのはお互い様だ。
「祭が終わったことを喜んでちゃあまずいかよ?」
手がぎりぎり届かない所で立ち止まった昼街部隊員を新兵部隊員達は睨みつけた。慣れている奴らにはよく分かる、目に見えない線が互いの足の先あたりに引かれている。どちらかが一歩足を踏み出すと、拳が当たる。つまり殴ることができる距離に変わる。喧嘩一歩手前の線が、そこに生まれた。
ラックバレーはちらりと視線をカウンターそばに投げた。
万が一にも喧嘩が始まったら、まず、隊で一番小さいチロをカウンター内に放り込む。余裕があれば白冑の美童もだ。算段するこちらと白冑の美童の目が合った。うんざりしたような冷え切った目。
このギルド、やっぱり価値がない。
そう思っているんだろう目に、こいつは助けなくてもいいか、と思い直した。たぶん自分に振りかかる火の粉はどうとでもできるだろうし、そもそも白冑の美童に喧嘩を売る輩は早々いない。
「いいご身分だよなあ、新兵部隊員ってのは。人の指示受けてりゃいいだけなんだからよ?」
「仕事がねえなら与えてやろうか、ん?」
先頭の昼街部隊員が仲間の方へ振り返った。
「おい、誰か、馬鹿でもできる作業を持ってこい」
何が面白いんだか、ざらつく笑い声が上がる。ラックバレーからすれば、ほんの少し前までお前達だって新兵部隊員だった、と思うのだが、ここでそれを言うと、入隊以来、化石と呼ばれるほど新兵部隊に在籍しているこっちが嘲笑の対象になりそうだから、一切口を開かなかった。
新兵部隊員の集団の中から、ぼそりと声が上がった。
「馬鹿でもできるはずの作業内容が要領を得なかったから、こんなクソみたいな祭になったんじゃねえのかよ」
兜の中でくぐもった笑い声が応じた。
「つまりは、指示がクソだった」
「おい、誰だ」
昼街部隊員が新兵部隊員の集団を見回した。
「今の誰が言った」
名乗り出る者はいない。昼街部隊員と同じく新兵部隊員の中にも兜を被った奴らが大勢いた。毎日顔を突き合わせてるこっちは誰が言ったのかは分かっていたが、吊るし上げる必要はない。
今回は、祭の指示を出してる奴がクソ。
昼街部隊も昼街部隊長もクソったれ。
全員総意でそう思ってるんだから、誰の口から出たかなんて何の意味もないのだ。
ラックバレーは再び視線をそらした。と、いうか、熱烈に見られているほうを見た。案内カウンターの男が目をきらきらと輝かせている。
喧嘩! 喧嘩か? なあ喧嘩すんの?
アンタがぶっ倒れたからこんなにギスギスしているんだが。何なのあの目を輝かせているオッサン、ほんとどうにかしてほしい。
新兵部隊員達は黙り込み、相手を睨みつけている。
実のところ、どちらも手を出せない状況だ。昇格試験を控えているこっちは、大半が昼街部隊を受けるから喧嘩はしたくない。あっちはあっちで、『微妙』な時期だ。新兵部隊と喧嘩している場合じゃない。それに数の問題もある。昼街部隊員は十数名、新兵部隊員は数十名、ここにいた。さすがにここまで数が違ってくるとどちらも殴り合いには発展しづらい。
結果、険悪な雰囲気のまま、昼街部隊員達が場を離れるための下準備に入る。つまり、嫌味の置き土産だ。その対象に選ばれやすいラックバレーは、わざわざ今になって首の後ろを掻いた。誰も動かない集団の中で、動く人間は目をつけられやすい。案の定、昼街部隊員の目がこちらを向いた。
さあ、置き土産してさっさと帰りやがれ。
「そう言えばよ?」
こちらを見ながら昼街部隊員が言い出した。
「誰もいねえ仮眠室前の床に転がって寝てる馬鹿がいたよな?」
「ああ、いたな。今夜、仮眠室を使う奴なんているわけもねえのに、ご丁寧に仮眠室前の床に転がってる馬鹿がいた」
新兵部隊員は全員思ったに違いない。
何の話だ、と。
ラックバレーも昼街部隊員の言った言葉の意味が分からず、表情に出さないまま困惑した。仮眠室前に転がるのは、新兵部隊員だけだ。特にこの棺桶に片足突っ込んだ祭では仮眠室は満杯で、あぶれた下っ端隊員、すなわち新兵部隊員たちが通路で息絶えるように眠りこんでいた。
今日は祭の最終日だ。これから勤務時間が控えている奴もいるだろうが、勤務が終わった奴は帰ればいい。だから仮眠室はほぼ使われない。それなのに、そこで、転がっている奴がいる?
昼街部隊員はラックバレーに照準を合わせたままだ。やめろ、こっち見てその話をすんな。なんかもうそれだけで誰が転がってるのか分かる気がするんだが、俺の察しが良すぎるのか、それとも皆が俺とそいつを、ひとまとめに考えすぎているのか、どっちなんだろうか。
「化石のラックバレーともあろう奴が、新兵部隊員としての長い経験を生かして教えてやらなかったのかよ? 教育係なんだろ? 今日はそこで眠る必要はないってちゃんと言ってやれよ」
嘲笑が続く。
――違ぇよ、教育係じゃなくて、見とけって世話係に強制任命されてんだよ。
ラックバレーは反論しかけて、これを反論したところで何の意味もないことに気づき黙り込む。まあ、誰が寝転がっているかは確定した。
そこで寝転がっている馬鹿は、ササヅカだ。
ラックバレーは首の後ろを掻いた手を下ろして、無視を決め込んだ。ここで何を言っても喧嘩に発展するだけだ。……待て、なんで新兵部隊員までこっちを睨んでいるんだ。やめろ、その「ちゃんと教育しとけよ教育係」って目をやめろ!
昼街部隊員達がだんまりを決め込む新兵部隊員達を嗤いながら本部から出ていくのを、睨みつけて見送った後、新兵部隊員の集団はそのままの勢いで射殺さんばかりにこっちを見た。いやこっち見んな。
「ササヅカの奴、この後、勤務じゃないだろ」
知るか。こっち向いて聞くな。
「そもそも、あいつ、今日姿を見かけてねえけど、何してたんだ?」
いやだから、こっち見て聞くな!
答えたのは意外にも、案内カウンター内にいる男だった。
「ササヅカは今日は俺が頼んだ仕事をこなしてた。ムドウ部隊長も了解済み」
その言葉で、こっちはササヅカが今日の仕事をサボったわけではないことを初めて知った。というか、今日、ムドウ部隊長の部屋で話をした感じだと、あいつの中では今日の仕事を全てサボったような言い方だったが……。
「あああああ、せっかく気分いい仕事終わりになりそうだったのに、こんなん最悪だろ!」
新兵部隊員達は苛立ちを隠さなかった。殴り合いでもしていたほうがガス抜きできたんだろうが、その展開に至らなかったせいで感情の捌け口を求めて、数人が階段を見上げた。
「クソ恥ずかしいだろ、今日仮眠室の前で転がるって」
不穏な空気。
「ササヅカの奴、起こしに行くか」
指を鳴らしながらの発言。
「ああ、すぐに叩き起こそう」
「俺達は先帰るぞ」
歓喜の解放に水を差され、疲れた表情で言う隊員の言葉に大半が頷いた。
「階段を昇るのも面倒くせぇし、それに、趣味が悪ぃよ」
「あ?」
階段を見ていた隊員達が殺気立つ。
「なんだよ、起こしに行くのが悪いってのかよ?」
奴隷解放宣言の時の一致団結具合が嘘のように互いの行動に苛々していて空気がトゲトゲしい。
白冑の美童は、同期の扱われ方に全く興味が無いようだ。むしろさっさとこの場から立ち去りたいというような空気すら出していた。おろおろと心配そうに眉を下げるのは、もうひとりの少年だけだ。
ラックバレーは仮眠室で寝ているんだそうな新兵部隊の末端隊員のことを考えた。起こしに行く奴らは非常に機嫌が悪いから、新兵部隊の末端隊員を大層、乱雑に扱うに違いない。
それにこの空気。新兵部隊員同士のこの空気は、最高に居心地が悪い。今後もこんな感じで駐在室に神経質な空気が流れると、こっちはのんびり昼寝もできなくなりそうだ。
ラックバレーは案内カウンターに視線を投げた。
今日、ササヅカは案内カウンターに仕事を振られていたらしい。それが本当ならば、パレードの前に仕事を終えて本部に戻ってきたことになる。
と、いうことは。
「ササヅカの奴、泣きはらした顔してたけど、仕事で泣かされたってことっスか?」
案内カウンターは、最高に空気が悪いこの場所で目を輝かせてイキイキとしていたが、投げかけた質問でこちらを見た。
「あれ、お前、どこかでササヅカに会ったのか?」
「上で」
「大泣きした顔だったよなあ、あいつ」
「なんの任務だったんスか」
「いやいや、仕事の内容と泣いたことは関係がねえよ。聞いたところによれば、行った先で故郷の話が出て思わずって言ってたな」
「故郷の話」
胃にずしりときた気がした。ササヅカは間違いなく、外の人間だ。ここら辺じゃ見たことがない肌の色と顔立ちをしているし、何より恐ろしいのは、あいつの口から故郷の話を聞いたことが、記憶する限りほぼ無いことだった。
外遊のモントールと街の外で出会ったようだったし、外遊と関わって街に来た子供が、今、一人で暮らしている。
そのうえ、そいつは自分の故郷の話を、不自然なほど口にしない。
こうなると、生い立ちは……
背後の新兵部隊員数名のうめき声。
「あいつさあ、」
案内カウンターが口を開いた。
「本部に泣きはらした顔で帰ってきた時、ここでなんて言ったと思う?」
答えなんて期待してないのだろう。一拍置いて、続ける。
「ただいま、だってよ!」
最大級の笑顔。
「しかもここで寝ていくって言った時も、『今日もうちの仮眠室で眠っていってもいいですか』ときた。うちの、仮眠室。使い慣れてねえ言葉だから泣いた顔を真っ赤にして言うわけだ――あいつ、小賢しくも妙な線引きしてただろ。新兵部隊にいるはいるけど、なんとなくいるだけです的な妙なフワフワ感」
それは、ササヅカと関わったことがある新兵部隊員全員が感じたことがある感覚だ。
どこか一歩引いていて、見えないところに立入禁止の線がある。例えば、「うちのギルド」「うちの部隊」「うちの部隊長」それに「ただいま」や「お帰りなさい」も言えなくて、人から何かしてもらう時も、飯は大丈夫だが、物をもらうとなると間違いなく微妙な顔でできる限り断ろうとする。
開けっぴろげで無警戒でアホみたいに垣根がなさそうに見えて、実のところ、ほとんど聞き流して受け入れない。
「アパートに帰ってもひとりだし、まだここにいたいから、今日もうちの仮眠室で眠っていってもいいですか」
案内カウンターは、すらすらとササヅカが言ったであろう言葉を諳んじた。
彼は、面白いものを見つめるように目を輝かせたまま、新兵部隊員の顔ぶれを見回した。
「何の心境の変化かは知らねえけど、あいつ、今更ながら、うちのギルドやお前達のこと、内側に入れたらしいぞ?」
水を打ったような静寂。
今日のパレードに匹敵するほどの静けさ。
やがて、長いため息を吐いたのは白冑の美童だった。
ミカエル・ハヅィは案内カウンターの側から離れ、階段を昇った。
帰ると言っていたのに、だ。
そして、新兵部隊の集団が動いた。
彼らもまた階段へと足を向ける。
階段を上がる予定だった者も、帰る予定だった者も、だ。
「クソササヅカがぁ」
誰かが首を鳴らしながら、新兵部隊の末端隊員を罵った。
「今日もまた帰れねえだろうがよ」
「ふっざけんなよササヅカ、てめえだけ先に眠るとかマジで許さねえ」
「あったけぇ寝床じゃなくて、今日も硬い床か……」
罵倒に次ぐ罵倒。
罵りながら階段を昇る集団を困惑のチロがを追い、最後に残ったのは自分だけだ。
「いい部隊だよな」
最高に悪どい笑顔で、結局本部からひとりも帰らせなかった案内カウンターが言った。
――その夜、仮眠室の前を新兵部隊の大集団が陣取った。
通路ぎちぎち、所狭しと人が詰めに詰め、ある所では死体の山のように折り重なり、ある所では脱ぎ散らかした鎧を抱きかかえ、ある所では盛大にイビキをしている筋肉の群れは、何も知らずに通ろうとした者が驚き固まるほど大層恐ろしい絵面だった。
仮眠室前の通路を通ろうとしてこの惨状に気づき、またしても息とともに悲鳴を呑みこんだ隊員に、そのすぐ横の壁付近に座っていたラックバレーは、口の前に人差し指を立て、静かに、と合図を送った。
「は? え? どうした新兵部隊」
合図に応じて、小声でこちらに質問する相手に首を振る。
こいつは一年前まで新兵部隊にいたわりと気のいい昼街部隊員だ。
「ここが最高に寝心地がいいから、今日もここで寝てる」
「ええ? もう必要ないのに?」
「いや、隊の結束にはわりと必要なことだったつーか」
「ええ?」
怪訝そうな表情だが、眠る奴らに配慮して詳しい説明はできなかった。互いの盛大なイビキにも反応しないほど疲弊しきって泥のように眠る奴らには、そんな配慮、全く必要がなかったもしれないが。
昼街部隊員も去り、ラックバレーはまたひとりで、ぎちぎちに眠る集団を眺めた。
近場で眠るのは赤ん坊が生まれたばかりの隊員だ。その横には毎回イグランの最速便で通勤しながらも一切酔わずしかもまだ一度も大事故に巻き込まれてない激運の猛者、その前で大の字で眠って皆に足を乗せられている大男は、酒を販売する店の息子で旨い酒をたくさん知っている。
ラックバレーは目を少し遠くへと向けた。
仮眠室前には、扉を背もたれにして腕を組んで眠っている金の髪の美少年。さすがのミカエル・ハヅィも意識がない時の体は制御できないらしく、その頭部は隣の子供の肩を枕にしていた。肩を貸す形になった子供は、その重みに全く気づかず健やかに眠っている。ミカエル・ハヅィと同じく背を預け足を投げ出して眠るその子供は、その手でミカエル・ハヅィとは反対側で眠る下がり眉の少年の服の裾を握りこんでいた。チロ・デイシーは何故か隣で眠る子に服の裾を時々引っ張られながらも、やはり疲れているのだろう。一切、目を覚まさずに俯いたまま眠っている。
そんな姿を見ながらラックバレーは思い返した。
今日、ササヅカは、ムドウ部隊長の部屋で昇格試験の紙を書き直していた。
――自分で考えて、自分で決めて、自分の責任で、ちゃんと、書きたいなと思って。
気持ちの問題と言いながら、泣き腫らした顔で精一杯取り組んでいる姿を、通信機の修理をしながら眺めて、ラックバレーは内心、こう考えていた。
そんなに行きたかったのか、昼街部隊に、と。
夕街部隊ではなく、昼街部隊を希望すれば、その先にあるのは外遊部隊だ。
ササヅカの能力じゃあ、相当時間がかかるかもしれないが、外遊部隊に行けば、近々この街を去るだろう青年と同隊だ。
祭の初日、ササヅカは聞いたはずだ。
リャノン・モントールがこの街を去ることを。
静かに、だが劇的な心の入れ替え方は、外遊部隊の男が去ることが起因しているのでは……?
あの時、ラックバレーはその泣きはらした顔は外遊部隊の男が原因だと思っていた。実際は想像していたこととは違ったようだが、何にせよ、ササヅカが書き直しをしたことは事実だ。ササヅカは、書き直し、ちゃんと新しい申請書を資料の山の中に入れ、昨日、「夕街部隊」と書いた申請書は丁寧に折りたたみゴミ箱に捨てた。なぜか捨てたほうの紙に「いい加減に書いてすみませんでした」と手を合わせて謝罪をするほどだった。
ラックバレーは通路の窓から見える月へと視線を投げた。ぼんやりと月を眺めてから、自分の服の尻ポケットを探り、折りたたまれた紙を、一枚、取り出す。
――そんなに、あいつのところに行きたいかよ。
ラックバレーは仄かに口元を引き上げ、紙を握りつぶした。
「悪ぃな、ササヅカ――てめえも道連れだ」