白天祭 ― 幸福な時間 1 ―
すごい、と聞いてはいたけれど。
人混みに飲まれながらも、佐倉はなんとかグレースフロンティアの敷地内へと戻ってきた。改めて通ってきた道をふり返る。通りは人であふれ返っている。
しかも雄叫びやら歓声やら鳴り物の音で耳が馬鹿になるかと思うほどやかましい。
白天祭は二日目がすごいとは聞いていた。昨日、モントールと祭観光をした佐倉からしても、確実に今日のほうが盛り上がっていることが実感できた。きっと運営と警備と誘導もしているグレースフロンティアからすれば、今日はもう『どうしようもない』『お手上げ』『あとはなるようになるだけ』という絶望の人の数になっていることだろう。
今日は、とにかく行きたい方向には行けないと覚悟したほうがいい。流れに乗ったら逆らうことはできず、立ち止まることもできず、ひたすら運ばれていくだけの状態だ。しかしそれが佐倉にとっては幸運だった。グレースフロンティアは昼街のメイン通り、一等地にあったから。人の歩みは遅くとも、流れに逆らう努力はせずに、無事に目的地へと戻ってくることができたのだった。
自分の思うように歩けないというのは、意外と体力を奪われるものだ。ゆるゆるとした歩みと耳がおかしくなりそうなほどの喧騒、そして容赦ない日差しでどんどん疲労が増していく。グレースフロンティアの敷地内へと逃げ込んだ時、佐倉はようやく一息つくことができた。
戻ってきたグレースフロンティア本部の一階ロビーは、昨日までは二階に続く階段からが立入禁止措置だったのに、いつの間にかロビーの半分ほどから立入禁止を示すロープが張られていた。祭中、無料開放されているのは観光客にはあまり知られていないようだが、偶然見つけた幸運な観光客であふれている。
規制線前では顔見知りの新兵部隊員の先輩が二名、観光客と思わしき数人に囲まれて、地図を覗きこんでいた。いや顔見知りというか、正しくはその被った兜の形を覚えていたということなのだが、見たことのある兜の彼らは新兵部隊の先輩たちだ。ひとりが本部の入り口を指でさし示し、兜の正面が佐倉のほうへと向く。再び手元の地図へと兜の正面が戻ったが、佐倉がいることは認識してくれたらしい。観光客を相手しながら、近づいてくるこちらを招きいれるように規制用のロープを持ち上げてくれた。
はにかみ、小走りでくぐり抜けるところで、兜の隊員達が、がちゃん、とその鎧を揺らしてこちらへ向いた。表情を窺い知れない兜二つがこちらを注視している。なにそれめっちゃ怖い。案内中であろう観光客を一切無視して、ガン見である。
いったい、何事か。
あまりに大げさな先輩隊員たちの挙動に、佐倉も立ち止まりかけた。だが凝固した隊員達に再び観光客が声をかけたのを見て、邪魔をするのも悪いかと軽く会釈だけはして規制線の内側へと足を踏み入れた。
カウンター内の男は、規制線内に入るこちらをすぐに視認した。口角をシニカルに引き上げ、そして一瞬の瞠目。案内カウンターのその男は椅子に背を強く預けて仰け反るような体勢を取る。視線が佐倉の周囲を彷徨い、「へーぇ?」と、いうように口が動いた。人差し指をクイと曲げ、来いの合図。
にやにやと見つめるバラッドのところへ辿りついた佐倉は、自然といつもの定位置、カウンターの隅に手をついた。指先がむずむずする、けど、ここに着いたら言おうと決めていた言葉が佐倉にはあった。
「戻りました。えっと、ただいま、です」
再び、案内カウンターの声無き「へーぇ?」とにやにや笑い。
「おう、おかえりさん」
むずむずしていた指先が温かくなる気がした。佐倉は案内カウンターの返事にこくんと頷いた。
「てめえら連絡してこねえから、どうなってんだと思ってたが、無事にパレードに向かったってことで合ってるんだよな?」
「あ、はい、ええと、」
案内カウンターからのその言葉に佐倉は先ほどまでのことを思い出した。
ムドウ部隊長が「パレード参加拒否宣言」をした後の、あれやこれやのすったもんだを回想し――やがて、晴れやかに言った。
「まあ、はい、話は、ついたみたいでした」
返ってきたのは爆笑。
「なんだそれ、おい、大丈夫なんだろうな?」
佐倉は今日ほど自分が日本人であると自覚したことはなかった。困った時は曖昧な笑顔。日本人らしさ全開で頷いた。
「あるかないか分からない裏門の話をしながら扉を開けて出ていったので、たぶんパレードには間に合ったと思いますよ」
「お前は一緒に行かなかったんだな」
「いやいやいや行くわけないじゃないですか」
あの時、佐倉たちがいた火鉢通りからパレード開始時刻に間に合うように昼街外門付近へ行くことは、不可能だった。しかしそれもあるかないかもはっきりしない裏門さんにお任せすれば、余裕で間に合う話になる。便利すぎるだろ、裏門さん。
しかしその便利すぎる裏門さんの条件には、もともと佐倉は含まれてない。条件に含まれていない者が使うとどうなるか知っている今は、その扉に近づきたくもなかった。そもそも2回目の裏門が出現した時は、ムドウ部隊長が佐倉の随行を許さなかった。裏門の存在を知ってしまったことにさえ唸り声をあげ、不動明王みたいな顔をしていたのだ。新兵部隊の部隊長は、自分の部下がおそらく死ぬであろう崖から飛び降りるのを許すわけもなかったし、部下のほうもその断固たる反対を押し切るような命知らずな脳筋野郎でもなかった。導かれる当然の答えとして、佐倉の火鉢通りからの本部への徒歩帰宅が決定したのである。
「連れてたアレはどうしたよ?」
「姐さ……フィフィですか? 竜が群れに帰してくれることになりました」
それこそが『ムドウ部隊長が「パレード参加拒否宣言」をした後の、あれやこれやのすったもんだ』の半分くらいの内容でもあった。佐倉から引き離されると分かった姐さんの暴れ方ったらなかった。佐倉も当然、嫌がった。しかし決めたのは、これもまたムドウ部隊長だった。ムドウ部隊長は「長い時間フィフィを連れてまわしてると嵐姫が来る」という謎理論を展開した。佐倉にすれば、あらしひめって誰ぞや、である。猛然と抗議する佐倉とフィフィペアの騒ぎに、目を覚ました竜が「では妾がフィフィを仲間のもとに戻そう」と申し出てくれた。ヒトの言い分は聞く気がない小さい生物でも、竜の言葉には迷いが出たようだ。悲しかったけどお別れの時だった。
「竜とも会えたわけだな。どう見えた?」
「どうって? いや、うん、白い鱗の海みたいな髪色の美少女でした、けど」
「ああ、まだちゃんと見えてんのか」
「え、」
佐倉は真顔で見つめた。
「バラッドさんにはどう映ってるんですか」
問われた方はニヤニヤ笑いを浮かべたまま「さあな」と答えた。答えになってない答えだけれども、答えの続きはそれ以上もらえそうになかった。
「で、ササヅカ、お前、なんでそんな号泣しましたって顔してんだ?」
考えもしなかった切り口で話を切り出され、佐倉は「う」とも「ぐ」ともいえない言葉を吐き、停止した。数秒後、ばん、と両手で顔を覆う。
「腫れてます……?」
「おお、すげえすげえ」
顔を覆っていても分かる愉しそうな声。ああ! そうか! 佐倉はようやく腑に落ちた。規制線の前の隊員達の驚いた様子や道すがらの人々の視線、そして、ああ、あああああ、そういうこと、ムドウ部隊長が自分を抱えあげ、いわゆる抱っこになったその理由は……!
佐倉は羞恥に悶えた。
「めっちゃ、なだめすかされてた……!」
泣く子もさらに泣き、泣いてない子も泣かせるような新兵部隊の鬼部隊長の泣く子への対応の仕方が、わりと適切に泣く子を黙らせるソレだった気がする。そこまで小さい子でもないのに、ああいう対応の仕方をされたのは、泣きはらしたこちらにムドウ部隊長も気が動転したのか、はたまた小さい子の対応に慣れているのか――そこまで考えて、白鱗の美少女のことを思い出した。ああそうか、小さい子の対応に、ものすごく、慣れちゃってるのか。
「どこで虐められてきたんだ?」
「いやいやいや、どこで、もなにも、いじめられてはないですよ。ちょっと竜さんと話してみたら、その、自分の故郷のことを知っていて、それで思わず」
「ガキめ」
たしかにおっしゃる通り、嗤われて当然ではあったが、案内カウンターはいつものようには嗤わなかった。ニヤニヤ笑いではない温和な笑みを浮かべられてしまうと、またしても指先の温度が上がってむずむずしてくる気がする。
佐倉はごまかすように本部二階へと続く階段を指差した。
「あの、上に用があるので、もう行きます」
「用事ね」
にやり笑い。
「知ってたか? グレースフロンティアの隊員ってのは、復路のパレード強制参加って暗黙のルールがある」
「あ、大丈夫です。復路のパレードは、職務優先ってムドウ部隊長に聞いてます」
「今まさに、どの部隊員よりもお前が手隙だと思うんだが、何が大丈夫なんだろうな?」
「何言ってるんですか用があるって言ってるじゃないですかすっげ忙しいし全然手隙じゃない」
それに。
佐倉は言葉を呑みこんだ。
すでに始まっているであろう復路のパレードには「出るな」と佐倉には内々に通達があったのだ。
……そして「見てろ」とも。
「用事ってのは、駐在室にでも行くのか?」
「あ、いや、四階です」
「四階?」
「はい、ムドウ部隊長の部屋に」
「本人の不在時に?」
意外そうに言われた。そりゃそうだ。
本部の四階は、日に何度も一般隊員が上がる場所ではない。昨日も行って、今日の朝も行って、さらに今、部屋の主がいないのにもう一度行く。案内カウンターにとっても奇妙な話に聞こえたのだろう。
佐倉は部屋主に許可をもらっていることを伝えたうえで、こう続けた。
「書き直したいものが、あるんです」
*************
四階の窓から見る大通りでも、ついに復路のパレードのための通行規制がかかり、見物のための場所取り合戦が始まっているようだった。大通りの両脇に追いやられた歩行者たちは、パレードが見れそうな位置を見つけると立ち止まる。立ち止まった見物客の後ろで、スペースを見つけられない人々がゆるゆると押し流されていく。
白天祭のこともパレードことも、その歴史や詳細は佐倉にはまだよく分からない。でも今は、眼下の大通りの白熱した様子も身を持って体感したし、パレードを率いているのがグレースフロンティアであることも知っている。だからなのか、「へえ、パレードなんかあるんだ」という他人事だった気持ちが、直前の今頃になってようやく、うずうずするような期待感に変化しつつあった。火鉢通りで別れて、パレードに向かった人の背中を思い出したからかもしれない。単純に見たい、と思った。興味なかったけど、今は、見たい。それに多くの人に見てほしいとも願っていた。
「来る前に、やっておかないと」
せっかく人混みに呑み込まれずに復路のパレードを堪能できる場所を、部屋主に提供してもらったのだ。佐倉は窓を少しだけ開き、外音の変化に気づけるようにした後、振り返る。振り返って部屋の惨状に軽く絶望した。うん、相変わらず紙、紙、紙の山である。資料の紙束だらけのこの山の中から欲しいものが見つけられる気がしなかった。
しかし部屋主曰く、これはちゃんと片付けられている整理整頓された完璧な部屋なんだそうだ。力説されたし、さも当然のように佐倉が探している資料の行方を教えてくれた。意外な記憶力の良さを見せ付けられた気がしたが、この部屋主は決して片付け上手とは言えないと思う。
『お前の用紙は入り口前だ』
そう言われたのに、入り口前の資料には佐倉の求めているものは無さそうだった。何故だ。そこにあると言ってたのに。目的の用紙を一枚見つけ出すのに、ものすごく手間取りそうな気配だけを感じとり、佐倉は早くも泣きそうになった。
入り口前の3束目の山に手をつけようとしたところで、入り口前の資料の山があと5山くらいあることに気がついた。絶望した。途方にくれた佐倉の耳に、こん、こん、と軽いノック音が届く。
「何してんだ、お前?」
佐倉は紙束の山から勢いよく顔を上げた。佐倉が開いたままにしていたドアの先に、荷物を小脇に抱えた痩身猫背の男が一人、立っていた。
「ラ、」
病的に色白な男がこちらの顔を見て、ぎょ、と目をむいた。あ、わかる。こっちの顔のことだよね! でもこっちだって同じくらい目をむいて相手を凝視している。向こうが口を開けた時に佐倉は、言うな、とばかりに手で制止した。そして先手必勝とばかりに叫んだ。
「――ックバレー! パレードすっぽかしてる!」
「お前もな!」
すかさずの応答。
「つうか、お前は今日の仕事、まるごと全部うっちゃ投げただろうが」
「あ、ごめん」
謝って数秒後、気がついた。佐倉とラックバレーの今日の仕事は『パレード開始10分前まで昼街外門でお手伝い』だったはずだ。開始10分前まで仕事していた人がこの時間に本部に戻ってこられるわけがない。
「いやいやいや、ラックバレーだってうっちゃ投げてるよね!?」
この時間にその仕事をしていたはずの人間が二人、本部にいるということは……答えは、どちらもちゃんと職務を全うしていないということになる。やばい、今日の外門のお仕事は、下っ端二名がいなくても大丈夫だったのだろうか。
「バカあのな、あの時間の外門警備ってのはな、パレードに確定で参加できる新人ボーナスみてえなもんで、新人にパレードも体感させてやろうっていう上の甘々な采配なんだよ。そもそもにパレード参加してえ奴だらけだから、うまーくやりゃこうやって抜けられるってわけだ」
「パレードに参加したい人だらけなのに、ラックバレーは出たくなかったってこと?」
「太陽がクソすぎて、こんな暑ぃ中だらだら歩くとかやってらんねえ」
「ああそうだった、日差しに関しては、美容に気を使う年頃の娘さんみたいに毛嫌いしてるもんね」
「浴びすぎると火傷みてぇになるから嫌なんだよ。つか何そのふざけた例え、ケンカしてえのかいいぞ買うぞオラ」
「いやでも事実でしょ。お外で訓練になると嫌がって、外での体育を嫌がる女子みたいに、日陰で見学してんじゃん……」
「は? 見学なんかするかよサボると決めたらその場にいねえよ」
「授業を屋上でエスケープする不良男子のほうだった!」
例えの内容がひとつも伝わってこねえんだけど、とかなんとか言っているのが聞こえてきたけれど、即座に返ってくる言葉のやりとりに笑ってしまて佐倉は答えられなかった。
いつものラックバレーだ。
ああ、うん、いつもの、ラックバレーだ……!
嬉しくてその単語が頭の中をぐるぐるしていた。昨日、この四階で話した時になんだかギクシャクした気がして、落ち込んでいたのだ。もしかして、ラックバレーが怒っていると思ったのはこちらの勝手な思い込みだったのだろうか。悩んでいたのが嘘のようだ。この先輩隊員との何気ない会話の応酬がいつも通りだったことが、ただただ嬉しくて、またしても指先が温かくなる気がした。
「で、何してるって?」
なんだか居心地悪そうにラックバレーは小脇に抱えた荷物を抱え直しながら聞いてきた。
佐倉はこくん、とひとつ頷いて答えた。
「実は、昨日書いたあの紙を探してて」
「あの紙って、昇格試験の申請書か?」
「そう」
佐倉が探しているのは、昨日、ラックバレーの隣でムドウ部隊長と面談をしながら書いた一枚の用紙だった。次の昇格試験でどこを受験するのかを書いた申請用紙だ。
「ムドウ部隊長は、入り口前の資料の山って言ってたんだけど、見つからなくて」
「紙探して、どうすんだ?」
ラックバレーが入り口そばの紙の山へと視線を彷徨わせた。どうやら探すのを手伝ってくれるらしい。
「書き直したいの」
「書き直す? なんでまた?」
ラックバレーは意味がわからないという顔で、資料の山から視線を戻した。
ムドウ部隊長も、火鉢通りでお別れする前にお願いした時、今のラックバレーと同じような顔をした。佐倉はその時もちゃんと上手に説明できる気がしなかった。今もそう。それでも懸命に言葉を紡いだ。
「ただホント、自分の気持ちの問題なんだけど」
昨日、佐倉は昇格試験の申請書に『夕街部隊』と書いた。
書き直したい内容は、昨日書いた内容と全く変わらないのだ。一言一句同じ内容。行き先も『夕街部隊』のままで変更するつもりもない。
それでも、佐倉は書き直したかった。
昨日はムドウ部隊長に夕街部隊の申請書を「書け」と言われたから書いた。
でも今は。
それではダメな気がするのだ。
「自分で考えて、自分で決めて、自分の責任で、ちゃんと、書きたいなと思って」
同じ内容でも、一言一句同じでも、それでも。
根無し草のように流されてばかりじゃなくて、もっと、自分で決めていきたい、と思ったのだ。
「そうか」
奇しくもムドウ部隊長とラックバレーは同じ言葉を佐倉にくれた。
ラックバレーは新兵部隊長の部屋に足を踏み入れると、窓の側の紙束を蹴っ飛ばした。あ、こら、蹴っ飛ばした! 紙山がなだれ、床に散らばったファイルの中からひとつ掴む。紐で綴られたファイルを床上で片手で数枚めくって、彼はしゃがみこんだまま開いたファイルを指差した。
「用紙これな?」
え、見つかったの!? 全然、場所違うし! ラックバレーが見せてくれたものを覗き込む。そこにあったのは『昇格試験 申請書』の原紙だった。ああ、そういうことか。気持ち新たに書くほうの紙か。
「ペンは机の上」
「ありがとう! 昨日の紙、探したら書くね」
二重申請はNGと昨日、ここで言われたのだ。もう一枚、気合を入れて書くなら、昨日のふわーっとした気持ちで書いた申請用紙は捨てなくてはならない。
ラックバレーが首を振る。
「いい、探してやる。お前はそれ書いてろ」
「……どうしよう、なんかラックバレーがいい人すぎてものすごく裏がある気がしてならない」
「殴んぞてめえ」
「ラックバレー、あれ、どうしてムドウ部隊長の部屋に来たの。四階なんて用事がなきゃ来ない場所だよ?」
「この流れでそれ聞かれること自体、めちゃくちゃ疑われてねえか俺!?」
ラックバレーは抱えていた小さな箱を振って見せた。
「これを取り付けに来たんだよ」
「それは?」
「通信機。昨日、ムドウ部隊長が投げちまったから」
「え!? ラックバレーはムドウ部隊長の部屋の通信機を直すために四階に来たの?」
佐倉は驚き、両手で自分の口を覆い、まじまじと痩身猫背の男を見つめた。
数秒後、意を決して訊ねてみた。
「つまり、自主的に、ムドウ部隊長の壊した通信機を取り付けに?」
「なんだよ、なんか文句あんのか、あ?」
「そ、うなんだ……仕事はさぼったのに、わざわざムドウ部隊長の部屋の通信機の取り付けを……」
「……言っている内容は間違ってねえのに、なんだ、あれ、なんか意味が」
「愛って、重みもあるんだね……」
「おいやめろ、そういう意味分かんねえ含みを持たせた解釈してくんのまじでやめろ!」
話を断ち切るように、ラックバレーが立ち上がった。
書けと紙をつきつけられたので、受け取った。
「あとは、書き終わった申請書だったよな」
ラックバレーは、本当に探してくれるらしい。
「ムドウ部隊長、入り口前って言ったんだよな?」
そして、ゆうらり、やる気がなさそうにだるだると歩き出す。何気ない様子で奥の部屋へと続く扉の前に立ち、これまた何気ない様子で病的に白くて長い指で紙山を一枚めくり、片眉をひょいと押し上げた。
「あった」
「えええええ!?」
なにそれ、神がかった行動に叫ぶしかない。
ラックバレーは自身で納得するように何度か頷いた。
「まあ、あの人の考えそうなことはよ、そっちの出入り口に置いたらなんかの拍子に資料が崩れるかもしれねえからな。大事な提出書類だから誰かに持ってかれても困るし、そっちの出入り口には置かねえってわけだよな」
ラックバレーは奥へと続く扉を示して「これも入り口だし、説明が足りてねえのもまあ、あの人らしいっつーか」と結論づけた。見つけてくれた昨日の申請書らしき紙をつまみあげ「捨てるか?」とこちらを見やる。
その時の佐倉は、再び、両手で口を覆いまじまじと痩身猫背の男を見つめていた。
ラックバレーは瞬時に嫌そうな顔をした。
佐倉は生温かい笑みを浮かべた。
「愛が、」
「やめろ」
室内に流れる生温い空気を一掃したのは、通りの爆発的な群衆の声だった。
「な、んだ……?」
ラックバレーが通りの異質さに気がついた。
それは一種、異質なほどの熱気を孕んでいた。
歓声、というにはあまりにも野生的すぎる。
群衆の咆哮がうねりのようにそこにあった。
佐倉も悟った。昨日の往路のパレードのような華やかな祝福の歓声とは全く異なる暴力的な群衆の「声」。来る、もうすぐ――
――復路のパレードが、まもなくここへ辿りつく。
胃がひっくり返りそうな圧迫感を感じて、佐倉は、ああ、と気づいた。
彼は、成功したのだ。
その成功を疑うわけもなかったけれど、本当にやらかしたんだと思った。
火鉢通りでの新兵部隊部隊長の復路パレード参加拒否騒動は、結局、説得に失敗した。これが『ムドウ部隊長が「パレード参加拒否宣言」をした後の、あれやこれやのすったもんだ』のもう半分の内容である。ムドウ部隊長は至極当然な意見を述べた。発見した以上は人魚の首飾りは置いてはいけない。これはバルフレア・ハインで保護しているものだから連れ帰る。そしてこれを連れてパレードに参加したら、観光客が竜の餌食になるから連れて参加することも無理である。そもそも裏門を竜は通れない。
つまりは、『俺は、パレードで歩いてる場合じゃねえ』
全くもってごもっとも。反論のしようもないご意見だった。そして筋肉ダルマの部隊長は、佐倉にもパレードには「出るな」と命じ、裏門を使わずに、竜を送り届けるために夕街のバルフレア・ハインへと向かったのだった。
裏門からパレードへと向かった男は、ひとりだけ。
なんの趣味なんだか皮の眼帯で顔を半分覆い隠し、夏なのに軍服のようなコートを肩にかけ、佐倉が言葉を失うほど禍々しい長剣と長銃を軽々持って、獰猛に笑んだその人は、佐倉にパレードを「見てろ」と言った。
「昨日のようなくだらねえ行進をするようなら、」
言葉を切った男の覆われていないほうの瞳は、眠りから醒めたような輝きを放っていた。
彼は、頭がおかしい提案をした。
佐倉からすれば、もう賛成する余地がどこにもない提案だった。
絶対に一緒に反対してくれると思った新兵部隊員の部隊長は、自由部隊にいるんだそうな獰猛種の提案をものすごく楽しそうに賛成した。それはもう男子高校生たちが趣味の話で盛り上がっているときのような一体感があった。その時点で、佐倉は諦めた。ムドウ部隊長まで悪ノリするなら、まあ、うん、私ひとりで常識振りかざしてもどうしようもない。
状況の収拾を諦めた佐倉は、竜と小さい姐さんと三人で、「これだから男子ってのは」という目線で、少年のように盛り上がる野郎共を眺め待つことになったのである。
新兵部隊長の筋肉ダルマと自由部隊にいるんだそうな獰猛種が大盛り上がりした結果、何が成されたか。
彼らは無邪気に恐ろしいことを考えた。
――「よし、パレードジャックだ」と。
こうして、グレースフロンティア自由部隊にいるんだそうな男提案、グレースフロンティア新兵部隊部隊長協力で、復路のパレードを先導する役目の人間――たぶんその人もまたグレースフロンティアのどこかの部隊長だが佐倉的にはどこの部隊長かを知らない部隊長――を叩き潰して、グレースフロンティアが大々的に行っているパレードを、なぜかグレースフロンティアの人間が乗っ取って暴れまわろうという謎すぎるうえに凶悪な計画が生まれたのである。