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白天祭 ―迷いし者の行方 9―


 ぐい、服の襟首をつかまれる。


 腰の抜けた状態で、何とか後方へ撤退しようとしていた佐倉は、そのまま引きずられ、大きな背中の後ろへと保護されることになった。

 それは、佐倉にとっても見慣れた筋肉ダルマの後ろ姿で――


「ムドウ部隊長…!」


 思わず呼んだ声は、呼ばれたご本人の地鳴りのような唸り声にかき消された。

 芝の上にへたりこんだままでも、自然と背筋が伸びる。そんな不機嫌の頂点みたいな唸り声を聞く機会なんて早々あることではない。例えば、病的に白い先輩隊員が何かやらかした時か、もしくは、自分が何かやらかした時か、はたまた、二人で何かやらかした時か……そう、それくらい貴重な唸り声だった。その後に続くのはもちろん、拳と怒声による説教だ。実体験に基づき、続く怒声を予想して佐倉は身を強張らせた。


 しかし続いたのは、怒声ではなく地を這うような声であった。

「で、どっちが、ササヅカを殺そうとしているところだ?」


 どちらが、自分を、殺そうとしているところか?

 佐倉は呆気にとられた。ムドウ部隊長の足の向こうでは、芝に座り込んだままの海色の髪を持つ白鱗の美少女と青灰色の瞳の半裸の男、そして宙に漂う褐色の美女がいた。三人いるのに、ムドウ部隊長は「どっちが」という言葉を使っていた。たぶん、空中の小さな姐御は含まれていないのだろう。小さな姐御は、一見しただけでは無害な生物に見えるから。……一見しただけでは。


「これが一番、殺意の塊な気がするがのう」

 言い出した美少女は、フィフィを見上げたのち自分の額をさすった。同じく額が痛い佐倉からするとその言い分、正しいような気がした。


 佐倉は直近の騒動を思い返した。ハーヴェストの腕から逃げようと必死になっている時の竜と小さい姐御の支援には感謝しかない。うん、ムドウ部隊長が思っているような、そんな殺し殺されるような状況ではなかったはずだ。

 まあ……ちょっとした騒動ではあったけれども。その騒動のせいで佐倉は、絶叫しながら脱出を図ったわけだが、その騒動の時だって殺されそうにはなってない。心臓が、鷲掴みにされたうえに、引き千切られるかと思うくらいの勢いで、上下左右に拍動したけど……うん。だ、大丈夫だった。


 佐倉は先ほどの騒動を脳内でふり返った。

 雲ひとつない晴天、突然、自分の上に影が落ちたこと。そして後頭部を大きな掌が掴み、ぐいっと――――うううううん! 大丈夫だった! すれすれを、擦れた気がしたけど、うん、大丈夫! 未遂、そう未遂だった……! いや待て自分、違う、そうじゃない。未遂とかそういうことじゃない! そうじゃなくて…そうじゃなくて、たぶん、相手はこっちに噛み付こうとしただけで、決して、その、そう、こっちの勘違いだったのだ。こちらが勝手に、ほんのちょっとだけ赤い実はじけた的解釈をしてしまっただけで、ハーヴェストはそんな行為をするつもりじゃなかったに違いない。うん! そうだよ、そう! 赤い実、全然はじけてないよはじける隙も機会もないよ! ハーヴェストは噛み付こうとしただけ!


「……あ、なるほど、自分は、噛み殺されかけてたのか」

 脳内を振り返って、ムドウ部隊長の問いの答えが見つかった。


「うちの部隊員を食おうなんていい度胸だな、人魚の首飾り」

 佐倉を呟きが聞こえたのか、ムドウ部隊長は振り返らないままにそう言った。

 人魚の首飾り? 

 佐倉はムドウ部隊長の足元から芝生にちょこん、と座る白鱗の美少女へと目を向けた。ああ、そうか。あの竜はそういえばそんな名前だった。


 あれ、ムドウ部隊長、竜が噛み殺そうとしたと思ってる?


「いやいやいや、その竜はそんなことしないですよ!」

 佐倉は慌てて否定した。

「むしろさっきの騒動では、助けようとしてくれていたわけで……」

「ササヅカぁ、竜は人を噛み殺す生物だぞ、てめえは易々と気ぃ許すんじゃねえ」

「いや、食べるとは聞いてたけど噛み殺すとは聞いてないですよ!?」

 なんだか竜の生態を誤解していたようだ。なんというか、出会ってからの竜の様子から「竜=人の精神を食べる」なんだと思っていた。え、違うの? 「竜=人肉を食べる」が正解なの?


 ムドウ部隊長の足元から竜を見れば、芝生の上に座ったままの白鱗の美少女は、鈴のような可愛らしい笑い声を上げた。

「ヒトの肉を食ろうても、この腹は満たされぬ。興でつまむ程度じゃから、安心せい」

「つまむんだ、わあ斬新、そうかつまむけど安心していいんだ…」

「で、興が乗ってササヅカを食おうとしたのか?」

「ふふ、ベイデン」白鱗の美少女は、無邪気そうに小首を傾げた。「もし、妾がその子供を食ろうておったら、そなた、どうするつもりだったのじゃ?」

 ムドウ部隊長は、息を吐き、平然と言ってのけた。


「息の根を止める」


 え、誰の? 誰の息の根を止めちゃうって話?

 ムドウ部隊長は、竜の息の根を止めるって言っているんだろうか。佐倉の頭の中で、凍りつく世界で巨大なドラゴンの前に立ちはだかるムドウ部隊長の後姿と『新たな狩猟世界』的なキャッチコピーが思い浮かんだ。え、待って、ムドウ部隊長とこの竜は知り合いなんだよね? というか、知り合いどころか古くからの友人という感じだと思う。

 旧知の仲の人達が、『一狩り殺り合おうぜ』的な状態になるのだろうか。いやいやありえない、と否定しかけて、グレースフロンティアのオッサンどもが嬉々として旧知の人でも殴り倒す事例を思い出した。ああ、うん、そうだった。ここ、全員、『一狩り殺り合おうぜ』精神の人達だった。


 人魚の首飾りは、やがて首を振った。

「ベイデンは、誰がそこの子供を殺そうとしているのかを気にしておるようじゃが…」


 竜はその美しい人差し指の指先を、すい、と天へと向けた。

 竜の頭上には、ふわり、ふわりと漂う小さな小さな生物がいる。

「そこの風の目なぞ、先ほど、そこの子供と妾の頭部を破壊しようとしておったからな? ――そなたは、この凶暴な嵐姫の手先も、始末するのかえ?」


 竜の指摘に、空を漂うフィフィは話が分かっているのかいないのか、皆の視線を集めたことが誇らしいのか、好戦的に微笑んだ。姐さん、なんでそうグレースフロンティアのおっさん達みたいな気質なの。姐さんまで『一狩り殺り合おうぜ』に付き合わなくていいのに、喧嘩吹っかけるならやったるぞ的なその顔は何なのか。今、ムドウ部隊長に始末されるかされないかの瀬戸際だから、そんなところで腕を組んで小さな身体の中でも大きな胸を強調するように胸を張ってる場合じゃないと思う。たぶん、姐さん、話、全然分かってない。


 ど、どうするんだろう。佐倉は動向をはらはらと見守った。ムドウ部隊長がフィフィを始末しようとするというなら、腰に縋りついて制止するしかない。フィフィが喧嘩両成敗を発動したあの時、確かに彼女は、こっちの額もカチ割り殺す勢いだったけど、決して本気で殺すつもりではなかったはずだ。今の好戦的な様子を見てると自信ないけど、たぶん。


 そもそも、フィフィが竜とこちらの額をカチ割り殺そうとしたのは、竜が何かの力を使ってこちらを動けなくしたからだ。佐倉はあの時のことを思い返した。竜は佐倉を食べようとしていたのだと思う。その時、一緒に戦い助けてくれたのは、この小さくとも勇ましい姐御だ。ムドウ部隊長がフィフィを始末すると決断したなら、自分がフィフィを全力で守ろうと佐倉は固く決意した。今、全然、足に力が入らないけれど、ムドウ部隊長に飛びついて、縋りついて、懇願するしかない。


 とりあえず、フィフィの心証が少しでも良くなるように、ムドウ部隊長に働きかけよう。ここまでの、命がいくつあっても足りない道のりで、フィフィがどれほど頼れる存在だったか――佐倉が口を開きかけた瞬間、竜が天に向けていた指先を、ムドウ部隊長のほうへと向けた。厳密に言えば、ムドウ部隊長の背後で座り込むこちらへと、指先を向けていた。


「まあ、ぐだぐだと言ってはみたが、そもそも始まりは、そこの子供が逃げる妾を乱暴に掴み、地面に叩きつけたことが始まりじゃがのう」

 竜は笑ったまま、とんでもない話を持ち出した。

「誰も、そこの子供を殺そうとはしておらぬ。誰も、な?」

 そして続く、竜が考える最終結論。


「むしろ元凶はそこの子供。……そこの子供こそが、妾を殺そうとしたのだからのう」



 あれ……?

 あれあれあれおかしいどうしてこうなった。

 フィフィを守ろうと意気込んでいたのに、なんか、自分が一番凶暴な危険人物に名乗り上げてる状態になってない……?


 突然訪れた己の息の根が止まりそうな展開に、佐倉は目を剥いた。

「ちょ――竜さんんんっ!? 誤報、めっちゃ誤報の垂れ流し……! それ、さっき竜さんにちゃんと謝ったじゃないですか……! たしかに体勢が保てなくて、投げっ放しジャーマンみたいになっちゃったけど、でも、殺そうなんて思ってない……!」

「そなたの威勢の良い『ぶちのめす』の台詞が、妾の耳から離れなくてのう……」

「いやもうだからそれ、思わずその場のノリで言ってしまっただけであって……! ひぃいいいいいムドウ部隊長の背中からにじみ出る殺気が怖すぎる、竜さん、ちょ、竜さん、この件全て私の責任にしないでくださいぃぃいひゃあぁあばばばば圧がすごい振り返ってもないのに圧がめっちゃやばい息の根を止められる!」

 佐倉は絶叫した。勇ましい姐御へと視線を送る。

 助けて、こういう時に頼れるフィフィ! ――が、頼れる姐御は自身の爪が気になるようで、爪を指で撫でながらフッと息を吹きかけることに夢中で、こっちのSOSを全然見ていなかった。ちょ、姐さぁぁぁん!?


 佐倉は悟った。

 終わった。終了のお知らせ。


「ササヅカぁ……」

 地獄を体現したみたいな声の後、ムドウ部隊長が振り返る。

 


 佐倉は、黙って、頭を差し出した。



 振り下ろされる拳骨に悶絶――――は、しなかった。覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じていた佐倉は、降りかからない痛みに、はて、と目を開けた。ムドウ部隊長がこちらを苦虫を噛み殺したみたいな顔で見下ろしている。ムドウ部隊長は怒鳴る直前のように、ぐわっと大きく口を開けた。あ、成程、説教が先か。やばい、窓硝子を割るほどの怒声がくる。もう一度、ぎゅっと目を閉じる。――が、やはり今度も何もない。ぅええ、何これ? 佐倉は再び戸惑いムドウ部隊長を見上げた。


 筋肉ダルマの部隊長はこちらを見下ろし、やがて長々と嘆息した。そして、がしがしとおのれの後頭部を搔き、舌打ちをし、「くそったれが」と毒づき、最後に―――



 芝生にへたりこんでいる佐倉を、持ち上げた。

 胴を持ち上げられ、足が、ぷらん、と宙に浮いた。


 驚きで目を見開いたまま、ムドウ部隊長を眺めることになった。

「え?」

「あ?」

 そのまま猫みたいに抱き上げられる。

「ぇえ?」

「ぁあ?」

 間近でムドウ部隊長を拝むことになった。

「……ぇえ!?」

「……ァあ"?」

 恫喝声と眼光の鋭さと殺気に負けた。

「ぁはい…」

「おう」

 そのまま子供みたいに胸に抱きかかえられたまま息を詰めることとなった。なんだこれ。



 固まって動けなくなった佐倉に向かって竜の美少女が叫んだ。

「この痴れ者が!」

 竜の美少女は、海色の髪を乱して立ち上がりムドウ部隊長にぶつかるように抱きついた。

「小狡い! なんと小狡いことか! 退かぬか当代――いや、ササヅカ! そこは妾の場所じゃ! ベイデン、妾も抱っこじゃ…!!」

 おおぅ、なんか妙な内容で猛烈に抗議された。


 これまで聞いた竜の発言の中で、最も狭量で幼い発言だった気がする。いや、もしかするとその幼い容姿に最も合った発言だったかもしれない。だが今までの老練とも感じる竜の話しぶりを見ていた佐倉にとっては、子供らしすぎる今の言動は落差がありすぎた。思考が追いつかず、ただただムドウ部隊長に抱きかかえられたまま見下ろすしかない。


 ずるい抱っこずるい抱っこずるい抱っこずるい……延々と続く騒々しい要求をムドウ部隊長は唸り声と舌打ちで無視した。よじ登ろうとする竜から逃げるように少し身体を揺すったり捻ったり数歩動いたり、その度、竜はムドウ部隊長の腰に引っ付いてきて、わあわあ非難と要求を繰り返している。

 そうこうしているうちに騒々しさに釣られて、小さな姐御もやって来た。抱きかかえられている佐倉の胸元に降り立ち、竜とムドウ部隊長の攻防を楽しそうに眺めはじめた。


 ムドウ部隊長的には絶対思ってないだろうけれど……佐倉は、この状況を真顔で考えた。――佐倉 (やや絶壁) を抱きかかえ、小さい姐御 (豊満) も寄ってきて、さらには白鱗の美少女 (つるぺた) がめげずに抱きついてくるそんな状況が……


「なんか知らんけど、 (ムドウ部隊長の) ハーレムが、完成した……」

 そんな呟きは、ムドウ部隊長の怒鳴り声でかき消される。


「びいびいびいびいクソやかましい!」

「だってそなたが――!」

「だってもクソもあるか! てめえ、なんでもかんでも我儘通しやがっていい加減にしろよクソ竜が!」


 罵りの言葉とともに、ムドウ部隊長は竜の美少女を抱え上げた。右に竜の美少女、左に佐倉を抱え上げている。すごい……。人、二人(プラス小さい生物)を抱えても余裕そうである。さすがは筋肉ダルマ、さすがは昼夜、訓練に明け暮れる新兵部隊の部隊長。


 罵られながらも、望みが叶い抱き上げられた竜は、声も上げずに歓喜した。白鱗の頬は紅潮することはないけれど、ご満悦な様子が全身から伝わってくる。竜はムドウ部隊長の首にかじりつくように抱きついた。ええと、佐倉は冷静に思った。これ、竜がおっしゃるには『抱っこ』なわけで、なんで自分も一緒に抱っこされているんだろう……?

 


「……待て、いやお前、なんで腕、拡げてんだ」

 ムドウ部隊長が動揺したように言った。

「いやいい、来るな、やめろ、半裸だとより一層怖えからやめろ!」

 そして断固拒否した新兵部隊の部隊長は、至極真っ当な言葉をぶちまけた。


「お前はまず服を着ろ……!」 



 …………―――― 誰もが言いたかった忠告の後、隣家の窓が、ぶち破られた。

 竜が持ってきていた厚手の深緑の布で覆った拳が、窓硝子を粉々にする。使い終わった布をその場に落とし、半裸の男は室内を指差した。


「そこにある」


 それだけ伝えると、半裸男はその場を後にした。

 猛獣がしなやかに去った数秒後、今度は遠くで木板がぶち抜かれる激しい音がした。


 この家の、玄関から、である。


 佐倉は、ごくり、と唾を飲み込んだ。佐倉達の背後には、先ほどまでの戦場――裏門から脱出をした時に大きく損壊したお家がある。そう、ハーヴェストが窓をぶち壊し、そしておそらく入り口を蹴り壊しているのは、先ほどのお宅ではなく、『隣の家』なのである。


「……人に見られたら、空き巣って勘違いされそう」

 佐倉も事前に話を聞いていなければ、ハーヴェスト何やってんの!? と、絶叫したに違いない。

「服を着るために、鍵を忘れた家主が自分の家蹴り破ってるって、誰も想像しねえよな」

 ムドウ部隊長の言葉に、佐倉は大きく賛同の頷きを返した。

 そう、その話を事前に聞いていたから、佐倉は素っ頓狂な声を上げずに済んだのだ。


 ムドウ部隊長が室内を覗き込む。それに伴って、抱き上げられたままの佐倉も自然と中を見ることになる。

 どうやら中は、簡単な食事もできるキッチンのようだ。最初に目についたのは、片手鍋。意外すぎる。それから瓶が、水周りの近くに数本。空の酒瓶か。そして布の上に逆さに置かれた無骨なロックグラス。市場の人がパンや食料をまとめて入れてくれる紙袋もあった。


 生活が、そこにあった。


 佐倉は衝撃を受け、まじまじと室内を眺めてしまった。ハーヴェスト、ここで暮らしてるんだ。いや家主なんだから当たり前の話なのだが、しかし、意外だったのだ。規格外な男の部屋が、甲冑兜のお兄さんの部屋や佐倉の部屋より、はるかに『暮らしている人の空間』だったから。

 佐倉は、ふ、とロックグラスの横を何気なく見つめ、その物体を発見し、ガン見することとなった。


 そこには―――

「は、え……?」

 漆黒で滑らかな皮でできた……

「…………アイ、ますく…?」


 え、え、あれ、アイマスクだよね。え、寝る時用、とか? でもあれ皮だよね。布じゃないアイマスクって何。え、皮のアイマスクってつけて眠るもんだっけ……? いやまて、着用して眠らないならいったい何に使うのか。それはただの完全なる目隠し用じゃないか。いやいやいやだから何の為に目隠しするんだ。え、ええ? 誰が、何の為に、目隠しをするの。

 背筋が凍った。

 これはまさかあれか。

 半裸男の趣味嗜好からくる、なんかのプレイ用のアイマスクか―――


「あ? あー、あれな」

 佐倉が凝視している物体に気づいたムドウ部隊長が応じた。

「眼帯だな」

「がんたい……ああ、成程、眼帯! 目を、保護する用!」

 動揺と安堵で声が大きくなった。

 

 こっちから見ると両目用かと思ったけど見間違いだったらしい。無造作に折り重なって置かれてるからよく分からなかったけど、眼帯ということは片目用なのか。片目用にしては皮の面積が大きい。あれだと顔半分隠れるのではないだろうか。

 まあ、なんにせよ眼帯で良かった。佐倉は穏やかな日常が漂うキッチンの異質な物体をどうにか理解したことにした。なるほどなるほど、目を保護する用の眼帯か。


「あ、ははは、持ち主の妙な嗜好を疑っちゃいました。良かったなんかのプレイ用じゃなくて」

 半笑いする佐倉に、ムドウ部隊長は一瞬、言葉を詰まらせた。

「いや、まあ、そうだよな、あれの装着は完全にあいつの嗜好だよな。つけている時だって、目に異常はねえわけだし」

「………………は?」

「あれをつけりゃ見えにくいだろ?」

「そ、りゃ、片目は、見えない、ですよね?」

「見えにくくでもしとかねえと、やるって時に少しもひりひりする展開が味わえねえんだろうなあ」

「ひりひり……あ、やっぱりあれ、大人のなんか危ないプレイ用か……!」

 やるのヤの字がいかがわしくも際どい漢字に脳内変換された。

「あとは、あれつけるようになって、ギルド内で気に食わないことが起こっても、やる気が無い時の見逃しが増えたから、まああの眼帯、無害な人間の保護にはなってるよな」

 やる気のヤの変換が、『殺』の漢字に脳内変換された。

 あ、なるほど、殺る! 良かった、殺るのほうね! いやなんかもう大人の危ないプレイの道具にしか見えなくなってた! 全然違ったようだ。つまりハーヴェストが眼帯をつけるのは、殺し合いの時にひりひりする展開を愉しみたいからってわけだね!


 佐倉は涙目で悲鳴に近い叫び声を上げた。

「結局、なんか危険なプレイの話じゃん!」



 ムドウ部隊長は叫ぶ佐倉を放置して、視線を窓すぐ近くの壁へと戻した。

 佐倉も先ほどの話を忘れようとして、ムドウ部隊長が見たところへと目を向けた。

 そこに、最近、見慣れた便利グッズがあった。

 通信機だ。

 それで分かった。ハーヴェストが立ち去る前に言った「そこにある」は通信機のことか。あ、だからこの窓を割ったのか。そこで当惑。家主さんよ、それなら別に玄関を蹴り倒してから、窓を開けてくれれば良かったんじゃなかろうか。それかムドウ部隊長もおうちの中にお邪魔すれば、別にこの窓、ぶち壊す必要はなかったわけで……。

 佐倉の戸惑いと全く同じ結論に至ったらしいムドウ部隊長はしかめ面だった。

「呼吸するみてえに仕出かす破壊行為は、いったいいくつになったら修まるんだろうな」

 ぶつり、と殺気立つ言葉。

 でもどこか、矯正しようと努力している人間の苦労が感じられた。

「うちの家とこの家の修繕費用でも払わせれば、少しでも反省すると思うか?」

 その言葉に、佐倉はハーヴェストの顔を思い浮かべた。高額請求をしても、しれ、とした顔しか思い浮かばない。……うん、絶対、反省せず、またどこかの窓でも扉でも家でもぶち壊すと思う。


 長年の苦労が偲ばれて、佐倉は言えなかった。ムドウ部隊長、自分、『三つ子の魂百まで』という言葉を知ってるんですけど――結局、佐倉が言いださなくても、ムドウ部隊長も分かっていたに違いない。長い、長い嘆息の後、佐倉に通信機を取れ、と言った。言われたとおり手を伸ばしかけ、そういえば、と思い直す。



「でもあの、ムドウ部隊長、降ります、よ?」

 佐倉が解放されれば、すなわちムドウ部隊長の手が空くのだ。

 恫喝の「あ"?」は落ちてこなかった。

 かわりにムドウ部隊長がこちらを観察するような目を向けてきた。


「……ササヅカ、てめえ、大丈夫なんだろうな?」

 何が、だろう。

 ムドウ部隊長の質問の意図が分からず、佐倉はゆるゆると頷いた。


 むしろムドウ部隊長のほうが大丈夫じゃないと思う。そうだよそう、なんだかいろいろありすぎて頭が全然働いてなかったけど、こんなにのんびりと何でも壊す獰猛種の養育方法の相談なんてしている場合ではないのだ。

 

 佐倉はムドウ部隊長の腕の中にいるもう一人を見た。

 小さな美少女は、大きな腕に抱き上げられ安心したようにまどろんでいた。

 随分大人しいと思ったら、人魚の首飾りさんは電池が切れる寸前の子供のように首をこっくりこっくりしている。


 いまや大人しい竜がバルフレア・ハインからいなくなった。それを探しに行ってしまったムドウ部隊長を見つけ出して、白天祭の復路のパレードに参加させる。

 ああ、そうなのだ。その為にここに来たのだ! 当初の計画を思い出して佐倉は慌てた。身体をひねり少し暴れてなんとか地面へと降ろしてもらう。そのままムドウ部隊長の背中を押して通信機を取ってくださいと促した。

「パレード! そうです、そう。ええと、ここ、どこですか。ここからパレード間に合います!?」

「ここは火鉢通りだから、本部にはそこそこ近ぇが、パレードの開始地点には間に合わねえだろうな」

 それからムドウ部隊長は、視線を彷徨わせた。

 背後のほうの半壊した家、佐倉、竜、そしてハーヴェストの家。

 そして地鳴りのような声が問う。

「ササヅカ、てめえ、なんで今いる場所が分かってねえんだ? 本部から火鉢通りの位置なんて、歩いてくれば分かっただろうが?」

「え、だって――」

「――ササヅカ新兵部隊員」

 佐倉の言葉を遮ったのは、ようやく服を手に入れて戻ってきた男だった。何故呼ばれたのか分からず、室内からやってきた男をぼんやりと見上げる。その後、はっと口を覆った。


 佐倉が言いかけたのは、裏門のことだった。

 あるかないかもはっきりしない裏門のことは、話してはいけない。そんな話を思い出して佐倉は何も言えず、目をシロクロさせた。ムドウ部隊長も分かっていて聞いたのだろう。こちらの反応に本日何度目か分からない唸り声。


「たしかに、その道、通れば間に合うがな」

 一度、大きく頷く。

「俺はなあ、てめえの教育方針をよ、うちの部隊のやつらの三歩後ろって決めてんだがよ? なんでてめえは率先して先頭駆け上がってくんだろうな、あ?」


 あれ、ここで説教がくる!?


「いやいやいやムドウ部隊長、こっち構ってる場合じゃないですよ! パレード! 始まっちゃう!!」 

「そういやてめえ、さっき、誰かに噛み殺されかけたって言ったよな? おい誰にだ門番か裏門の中に棲んでる奴らか」

「おおぅ、話が最初のほうまで巻き戻った!」

 

 いやだその話は忘れたい話! ムドウ部隊長に蒸し返されたくない!

 思い出すと、擦れた気がした場所を意識しそうになる。


「てめえはその場の流れで入隊したかもしれねえがな、てめえは俺の部下だ。新兵部隊以外んとこで怪我でもしてみやがれ。ぶち殺すぞ」

 いやだから誰を!?

 怪我をこさえてくる佐倉をなのか、それとも怪我させた相手をなのか。殺し合いの火種には絶対になりたくない。だって、この『噛み殺されかけた』って話題の行き着く先は、そこの『呼吸するように破壊行為』をする人だ。新兵部隊の筋肉ダルマの部隊長VS自称自由部隊の獰猛種の争いは、絶対に全力阻止しなければならない。


「それより、通信機とって案内カウンターと話して下さいよ!」

 佐倉は、話をそらそうとして、あえてハーヴェストを見た。

「ハーヴェスト、通信機で案内カウンターを呼んであげて」

 しかし、ハーヴェストは動かなかった。

 目を眇めてこちらを見ている。

 ああ、なんか嫌な予感しかしない。予感が的中した。

 ハーヴェストが口を開く。


「お前の中だと、ああいう行為は、殺されかけたってことになるわけか」

 

 佐倉は、開けた口を、真っ赤になって閉じる羽目に陥った。

 何言ってくれてるんだ。ほんとにこの人、何言ってくれてるんだろう!? ハーヴェストがそんな風に言ってしまったら。その言い方じゃあまるで―――そうじゃないって言ってることになる。

 そうじゃないって否定されてしまっては、じゃあ、後はもう認めるしかないわけで!


 獰猛種は青灰色の瞳で淡々とこちらを観察していた。

「お前の、その物事を無理やり置き換える力は愉快だが、時々、度が過ぎるよな」

 今まさに無理やり置き換えをしようとしていた脳内が停止した。

 あ、まずい、逃げ場がなくなりそう。

 追い詰められたら――どうしたらいいか分からない。まだ、だめ。今は、だめ! 佐倉は慌てて視線をそらす。横を見ればムドウ部隊長と目が合った。ムドウ部隊長が、すんごい顔をしていた。

 まさに、愕然、という風な。

 すんごい顔。え、なに、なんでその顔。

 佐倉も目を丸くする。逼迫していた感情が吹っ飛んだ。


 ムドウ部隊長は、佐倉を降ろしたおかげで空いた手で、顔を覆い、ゆるゆると上を見上げた。

「てめえ、こいつか……掲示板のH氏は」

 あ、うん、今その話、始めちゃう? 

 しかも何だろう、その、絶望した、みたいな声音で?

「大穴すぎるだろ誰もそこに賭けてねえよ賭けるわけもねえ賭けが成立してねえだろうが」

「いやいやいやそんな苦情受けませんよ!?」

 新兵部隊が掲示板のH氏が誰か賭けているのは知っている。知ってはいるが、H氏がハーヴェストだったからって文句言われてもこちらもどうしようもない。

 佐倉は首を振り、ムドウ部隊長の服を引っ張り、なんとか話の軌道を修正をしようと試みた。


「案内カウンターが、パレードにはムドウ部隊長が必要って言ってるんです。竜も無事に見つかったわけですし、ここはとにかく向かいましょう!?」

 なんでこいつ自ら死亡確率を上げてくんだとかなんとかと罵り声を上げていたムドウ部隊長は、佐倉の提案で上を見上げる顔を緩やかに戻した。


 そして筋肉ダルマの部隊長は言った。

「断る――悪ぃが、俺はパレードには参加しねえ」

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