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白天祭 ―迷いし者の行方 8―

「なんと、まあ、」


 海の色を持つ美少女は、紫の瞳を見開いて呟いた。

 見開かれた瞳は、今は奇怪な能力の翳りはなく透き通る宝玉のように輝いて、己の腹の上に乗る佐倉を映していた。

 

「まさかこのような所でお会いすることになろうとは。玉繭の主とは久しく逢うておらなんだが、当代の主のなんと瑞々しきことか。先々代と似ている……のかどうかすら、わからぬなあ。あの時逢うたは、もう皺と皮ばかりの相好の好々爺であったしのう」

 

 見開かれた瞳は緩やかに細くなり、微笑みへと変化する。

 

「何はともあれ、妾は、まずこう言うべきであろうな? ――玉繭の主よ。かの道を渡り、ようこそおいでくださいました」

 晴れ晴れとした笑顔。裏のない歓迎の言葉。そして少し困ったような苦笑いが続く。

「ああ、そうじゃった。先々代にも妾はそう申し上げたのであった。そして妾はあの時と同じ言葉を続けなければならぬ。――当代よ。そなた、都合の悪い時にいらっしゃったな。双子鳥は左の兄者からにして、妾は、そうじゃなあ、20年程、後回しにしてはいただけぬか」


 竜は小首を傾げ、そう言った。

 佐倉の視界の隅で、竜の美少女の身体の上から転げ落ちた小さな小さな姉御が幻覚の夢から目を覚まし、きょろりきょろりと辺りを見回していたが、佐倉にはそれを意識する余裕もなかった。

 竜に言われた言葉で精一杯だったのだ。

 

 ―――たままゆのぬしってなに。


 知らない単語について、佐倉はすぐさま訊ねることができなかった。

 竜は、こちらを知っているように歓待の言葉を述べている。知っている? この白鱗の美少女は、私のこと、知ってるの……? 期待が淡く心の中を波打った。もし竜の言う『たままゆのぬし』が自分のことだとしたら。


 ようやく、自分がここにいる理由が分かるのではないか。


 期待が膨らみ、大きく心が揺れた。しかし追求する言葉は佐倉の口から出てこなかった。怖くなったのだ。竜が言っている、その『何かの主』=『佐倉』である確証がどこにあるのだろう。これで竜が人違いをしているなんてことになったら―――


 失望することが怖い。


 期待より、心がへし折られる恐怖が勝り、佐倉は竜にかける言葉を失った。 


 竜は、佐倉の抱く逡巡と恐怖に全く気付かなかった。竜は視線を彷徨わせ、何か考えるように遠くを見つめていたのだ。そして何かを諦めたように再び佐倉へと視線を戻した。

「後回しにしてほしいという懇願も、もはや聞き入れてはもらえぬ時が訪れていることは妾自身も承知しておる。しかし、そなた、幼くも可愛らしい顔をしておるのに、ちっとも可愛げがない。これでは争う気さえ起きないではないか。そなたの連れがあの娘ならば、勝機なくとも逃亡の余地ありと妾も奮起したものを……ああ、なんと言ったかのう。当代の、あの報われぬ娘の名は。ああ、そうだ、非力なソゾヴァーチの名は、そう――――」

 竜は、記憶を辿り、その答えを導き出した。



「――マイミューン」



 記憶を辿り、答えを得た竜は晴れ晴れと笑った。

「そうじゃ。マイミューン。あの臆病で哀れな殻を破れぬ弱き者は、マイミューン! ああ、なんとも懐かしいのう。あの娘もついに非力ではなくなったのだなあ」

「マイミューン……」

 声は震えた。

「マイミューンを、知ってるの……?」

「無論、知っておるとも。マイミューンは今まで知り逢うたソゾヴァーチの中で、一番、まともであった。ま、少々、気性の幅が激しく振り切れやすいが、先代のソゾヴァーチよりも感情豊かで可愛いものじゃ」

「気性、感情豊か……ああ、そっか、マイミューンって、人なのか」

「何をとぼけたことを。あれは、ヒトの姿形としてもかなり上等な女性体であろうに……当代?」

「そっかぁ、女の人だったんだぁ」

 佐倉は手の甲で目を抑えた。

 土と芝で汚れた手の平から、砂の欠片が零れ落ちていく。

「本の名前じゃなかったのかぁ……」

 佐倉の知る『マイミューン』という単語は、今まで人の名前では決してなかった。その単語は、佐倉にとっては、祖母の本の表紙の単語でしかなかったのだ。


 マイミューンは、人の名前だった。

 それを、佐倉は今日、初めて知ることができたのだ。

 

「本……? 何故……いや、当代よ、マイミューンはどこに?」

 佐倉は首を横に振り、竜はその意味を理解する。

「まさか、それでは、」

 竜の呟きは、いるはずなのに、と聞こえた。そうか。またしても一つ、新しい情報が得られた。自分は、本来、この世界に辿りついたら、マイミューンという女性に会うはずだったのか。それがなんの手違いなのか、辿りついた時にはひとりだった。


 なんでそんな手違いが生まれたのか、分からない。

 分からないけれど、イレギュラーがあったことが、分かった。

 今までは、そんなイレギュラーがあったことさえ、分からなかったのだ。


「おらんかったのか……そうか、」

 竜が呟く。思案する響きが含まれた独白だった。

 やがてゆっくりと竜は頷く。

 佐倉の膝に、美しい白鱗の指が触れた。

「説明役がおらぬとなれば、知らぬ世界に一人で投げ出されたというわけじゃな? それは――そなた、難儀したであろうのう」

「―――っ!」

 トン、トン、と優しく膝を叩かれる。

 衝撃だった。竜の言葉は、佐倉に今まで不足していたものがあったことを教えてくれた。この地に来てから、一度も得られなかったもの――


 竜は、別の世界から来た人間が、今、この世界で生きている、と分かってくれている。

 そのうえ、佐倉が置かれた不安定さにまで想いを馳せてくれた。


 竜は『理解』してくれた。

 そして、『共感』してくれた。


 心の中の空洞が、満たされていく。

「いやいやいや」

 へらり、と口が弱々しく弧を描く。

「いや、うん、そんな心配されるような七転八倒、波乱万丈、九死に一生みたいな出来事には遭遇してなくて」


 己の身に降りかかったことを思い出しても、浮かんでくるのは些細なことばかりだ。何気ない暮らしのこと。灯りのついてない部屋に戻ること。月明かりが明るすぎること。ぎこちない手でなんとか灯す灯篭。燃料の油はまだあったか、とかすかによぎる不安。燃料はいくらなのか、どこで売ってるものなのか、慣れない環境に考えることは山のようにあって、明日バラッドさんにでも聞いてみようと独り呟きながら、明日、グレースフロンティア本部に行く時間を間違えないように何度も何度も明日の予定を思い出して……。


「病気になったわけでもないし、お腹いっぱいご飯も食べれてたし、それに、皆が――グレースフロンティアの皆が助けてくれてたから、だから、そんな難儀なことなんて、全然――」


 竜が考えるような難儀なことには、幸いにも佐倉は遭遇していない。


 ただあったのは、ちょっとした今までの生活との違いだけだ。元の世界だったら家に帰れば母が――家族がそこにいた。佐倉の帰宅時間には、灯りがついていないことのほうが珍しくて、月明かりなんて気付きもしなくて、暗い部屋にはドア横のスイッチをオンにすれば照明が煌々と照らしてくれる。電気料金なんて高校生が気にすることでもなくて、笹塚家の電気料金も食費も、佐倉は真剣に考えたこともない。朝、学校へ行く時間には目覚まし時計をセットしておけば起きれるし、セットし忘れたとしても両親が声をかけてくれていた。

 竜が考える難儀なことは、きっと、もっと、もっと、大変なことなんだろう。心が壊れてしまうような暴力、飢え、病気。幸いにも、佐倉の身にはそんな事態は起こらなかった。ここに来てから、佐倉は、生活をしていただけだ。寝て、起きて、ご飯食べて――基本的な生きるための行動は、こんな世界に来てしまっても、ちゃんと出来ていた。


 難儀なことなんて、なかった。

 ただ、些細なことがあっただけ。


 両親にも環境にも守られて、ぬくぬくと、気付きもしなかった幸せを享受してきた日本の高校生だからこそ躓いてしまうような――


「そうじゃのう、幼子のように泣いてしまうのも、当然だろうて」

 竜の腹の上で、耐え切れず頭を垂れ身を震わせる。佐倉は今まで郷愁に駆られた時にしてきたように、小さく小さく縮こまり嗚咽を必死に噛み殺した。

「よいよい。我慢せずに泣くがよい」

 頭を撫でる指の感触。

 尊大な言葉遣いの中の優しさ。

 見た目よりも遥かに成熟している美少女に甘え、理不尽さを嘆きたくなる。誰にぶつけていいのかすら分からない怒りも、押し寄せてくる不安も、この竜は受け止めてくれるだろう。でも結局、浮かんでくる感情を集約すれば、たったひとつの言葉に変換されていくのだ。


「どうやったら、っ……!」

 どんな感情も、結局、最後はそこへ辿りつく。

「どうやったら、帰れるの……!?」


 佐倉の叫びに対して、竜はすぐさま口を開かなかった。

 竜はその美しい瞳を彷徨わせ、再びこちらを見上げた。

「ああ、これはなんとも美しい玉繭じゃて」

 意味の分からない賛辞とは裏腹にその表情は歪み、嫌悪感がかいま見えた。

「何、どういう――」

「妾は、玉繭の主に、玉繭というものがいかなるものか話すことができぬ」

「できない……?」

 少なくともこちらよりは事情を知っているであろうの人物からの突然の拒絶。

 佐倉は反射的に身体を起こして絶句し、やがて、咽喉奥からこみ上げてくる悲鳴に近い声が抑えることができなかった。

「できない!? なんで!?」

「分かる。そなたの気持ちはよう分かる。さらに付け加えれば、そなたが問うた『帰り方』も妾はこう答えざるを得ない――知らぬ、と」

「――っ!」

「当代、当代よ、心を静めて聞いておくれ。至る道には順路があるもの。導きもしかり。抜け道はあるかもしれぬが、獣道には目を向けてはならぬ。過ぎ去りし時の中に必ず正しき轍がある。いかなることがあろうとも踏み外してはならぬ。外法な行いは全てを狂わせてしまう」

 意味が、分からない。混乱、不安、そして怒りが燻り続け、涙が零れた。

「だから……っ、そのよくわっかんない道ってのは、どこに……!?」

「ああ、ああ、これはなんとも堪えることじゃ。当代よ、酷な話をすることになるが、そなたはまだ、道の始まりにも至っておらぬ」

「は、……は!? な、にそれ――!」

「始まっておらぬからこそ、妾は口を出せぬ。しかし、始まっておらぬからこそ聞かせてやれることもある」


 竜は佐倉を指さした。

 挑むように見上げ、そして意を決したように口を開いた。

「玉繭の主は、異なる世界から訪れる。それは妾達にとっては自然の摂理と同義。つまりこの程度の話ならば、誰に話しても道が歪むことにはなるまい! たとえ、相手が当人であっても、じゃ!」

 竜は噛み付くように言った。

 竜は佐倉と視線を交えたまま、数秒、動きを止めた。何かを待つかのように、じっと動きを止めていた。その後、竜の美少女の、かたく引き結んだ口からゆっくりと息が吐き出された。


「玉繭の主は、妾達にはこう呼ばれておる。境界なき者、と。これも妾達にとっては、ブラギアとギアと同じくらい当たり前の話じゃな!?」


 なんでキレ気味で説明されているのか。しかも佐倉にはブラギアもギアも当たり前と云われてもさっぱり分からない話だ。

「そして妾がこれから紡ぐは、あくまで妾と古き友人の思い出話! このお喋りな口が興に乗ったから話すまで。一切の他意はない、決してな! 当代よ、少々の間、妾の昔話につきおうておくれ。遠き地より訪れた友人との懐かしき記憶の話だ――あの日、異なる地より訪れた友人は、手土産を持参した。かの男が出してきたのは白い雲のような甘い食べ物で、彼は自慢気にこう言った。つい先刻あちらの祭で買ってきたのだと。妾は異なる地の食事におおいに期待し口にしたが、それは天蜘蛛の糸の味しかせなんだ。だから妾も言った。ここにも同じ物がある。かの地にも天蜘蛛がいるのだなと。巣まで案内すれば、彼は天蜘蛛の巣に驚いたようであった。彼は困っていた。明日はコドモミコシを担ぎに坊が来るのに、蜘蛛から出来てるワタアメなんてのを見ちまったら、ねだられても与えられんな、と――ええい、分かっておる! これでお仕舞い! これ以上は部外者である妾が口にすることはない!」

 竜は荒い息も押さえ込み、口を閉じた。ふんすーふんすーと鼻息も荒い。

 その様子を見下ろしていた佐倉は、ぼんやりと横へ顔を向けた。

 

 隣にしゃがむ男と目が合った。

 竜の思い出語りの途中でやってきた彼は青灰色の瞳で、こちらを眺めていた。その瞳には、なんの感情も乗っていない。ただこちらを見つめる瞳に佐倉自身の姿が移りこんでいる。瞳に映し出された佐倉自身の顔も、佐倉本人でも不思議に思うくらい無表情だった。


「ハーヴェスト、」

 掠れた声で隣でしゃがんでいる男を呼んだ。

「ハーヴェストの実家って、遠い?」

 こちらの問いかけは、彼を面白がらせたようだ。口角が引きあがる。

「実家ってのは、生まれた場所ってことか?」

「ん……そうじゃなくって、いや、生まれた場所でもあるし育った場所のことでもあるんだけど、聞きたいのは家族がいる場所の話」

「うちはキョーダイ全てが離れて生きてるからな、近いも遠いもキョーダイが来るか来ないかによる」

「聞いておいてなんだけど、ハーヴェスト、兄弟いるんだね。全然、想像つかないというかハーヴェストみたいなのが二人も三人もいたら世の中が大変なことになるっていうか」

「お前も会った」

「ぅえぇ? どこで?」

「バルフレア・ハインで」

 愕然とした。

「え、ハーヴェストさん、もしやあの大きな狼が兄弟とかおっしゃられてます?」

「そう、あれがキョーダイだな」

「………ハーヴェスト。今、頭の中で『生きろ』って言葉が掲げられたポスターの中で、あの大きな狼さんをバックに立つハーヴェストの姿が想像されて涙ぐまずにいられない感じ。何、私、そなたは美しいとかそなたは森で私はたたらばで、みたいなこと言ったほうがいい感じ?」

「何の話か見えてこねえが、言わなくていい」

「そうかあ、良かった。今、私、自分のことでいっぱいいっぱいだから、シシガミ様の話は今度にしてほしいな」

「自分のことでいっぱいいっぱい、ねえ」

 ハーヴェストは小首を傾げ、こちらを観察した。

「その割に、随分平常通りに見えるがな?」

 手がこちらへと伸ばされた。頬に添えられた手の親指のハラが目の下あたりを拭った。

「正しく言うなら、さっきまでに比べれば、平常通り、って意味だよね?」

 大きな手。大きな親指。力の加減はされているけれど、拭われたときには頭が揺れた。拭われたのはきっと、涙の跡だ。

 もちろん見られていたことだろう。泣きわめいているところまで、まるまると。いやむしろ、この状況でハーヴェストに見られていなかったのなら、そのほうがおかしい。


「なんか勘違いしてたみたい」

 佐倉はハーヴェストを見つめたまま、呟いた。

「認めたくないけど、私、自分の家は遠すぎて、もう二度と帰れないって思ってたんだ」

 これまでずっと、絶対に帰らなくちゃって何度も何度も自分を奮い立たせてきた。でも何度も何度も自分に折れるな、頑張れ!って言い続けるのは、その裏に『帰れない』という考えを否定することができなかったからだ。もちろん、そんなことを認めるわけにはいかなかったし、覚悟を決めることなんて絶対できなかったけれど、そんな不安が常にあったのは事実。


 だが今、根底が覆る。


 竜が語った古き友人とは、先々代とかいう主のことだろう。その人は、この竜に佐倉の世界の『わたあめ』を手土産に持ってきた。佐倉の知る、佐倉の世界の『わたあめ』は、時間を置いたら萎んでしまって味が落ちる。竜は思い出語りの中で天蜘蛛の味がしたと言った。となると、先々代の男は作りたてを持って、こちらの世界にやって来たことになる。その上、その男は翌日の子供神輿の話までしている。


 先々代の行動は、一生に一回限りの異世界に召喚された人の行動じゃない。

 佐倉が考えていた人権無視の人攫いのような片道切符の旅でも、運よく帰れる往復切符でもない。想像もしていなかったこと――先々代は、日帰り旅行に出かけるような気軽さで、いやもっともっと気軽に、それこそ三軒隣のご近所さんを訪ねるような気軽さで幾度となく異世界に行き、その上これまた当然のように、幾度となく異世界から帰ってきていたのではないか。



 すとん、と佐倉の中にひとつ、言葉が落ちてきた。



 異世界に渡った人間は、帰ってきている。

 そうか。

 私、帰れるのか。

「――――っ!」

 竜によって知らされたその事実を、心がようやく受け止めた。


 猫の尻尾が突然ぶわりと広がるように、身体中の血液が一気に駆け巡った。

 佐倉は歓声を上げた。帰れる! 帰れるんだ私! 歓喜と歓声を上げたまま、救いの言葉をもたらしてくれた竜に抱きつく。だが地面に寝転がっている竜を上手に抱きかかえることができず、でも興奮は冷めやらず、この喜びをどう発散させたらいいのか混乱したまま自分の横に絶好の抱きつきやすそうな物件がいることに気付き、そのまま飛びついて首に噛りつき、あああああやった帰れるうちに帰れるんだってうわああああ帰れる、ハーヴェスト、やった聞いた、聞いてた!? 私、帰れるんだようちに帰れるやった帰っ……!


 歓声なのか泣き声なのか分からなくなった佐倉の背中を、優しく労わるように撫でたのは、小さくて華奢な、体温の感じられない白鱗の指だった。

 子泣きジジイばりに他人の首にかじりつく佐倉の腕を、励ますようにぺちりぺちりと叩いたのは、羽のように軽い小さな小さな掌だった。


 やがて、小さな後頭部を熱い掌が覆う。その掌は、子供の涙を甘やかすように撫でることも、あやすようにたたくこともなく、ただそこに留まり、静かにその熱を伝え―――………






 ………―――――陽炎の中の光景に、ベイデン・ムドウは腰に手をあて荒い息を吐いた。クソみたいに人が多い街の中、その場所は閑散としていた。そりゃそうだ。この火鉢通りはグレースフロンティアによって閉鎖され通り抜け禁止になっているのだから。

 閑静な住宅街、ベイデン・ムドウが見たものは――


「待て、おぬし、何故、そ う な る ……!」

「慰めてやれと言ったのは、そちらだろう?」

「いや、確かに、もっとちゃんと慰めてやれぬのかと苦言を呈したのは妾だが、うむ、だが、いや、待て、慰め方が、お か し い ……!」

「なななななんで、キッ……いやまままま待った待って待ってくださいハーヴェストさんや、は、ハーヴェストさんんんんんっ」

「こらやめぬか、放せ、当代に迫るでない……!」

「みぃっ!?……耳、ちょ、噛…!? みみーっ! ―――姐さんうぉおお、ありがとうちょっと待って今ここから脱出する……!」

「風の目、ようやった……!」



 ――窓があったはずの場所を中心として家屋前面に大きく欠損した我が家、火鉢通りにあるベイデン・ムドウの自宅を背景に、忌々しくも街中探しまわった竜が男の腕から子供を引きずり剥がし、人とは馴れ合わないはずの小さき風の先導者フィフィが男と子供の間に立ちはだかり、新兵部隊員であり今まさしく仕事中であるはずの子供が、竜に引きずられながら腰が抜かしたように這って、男から逃げだしている……


 ベイデン・ムドウは、全体を見回し、この混沌とした状況の掌握を試みた。そして早い段階で匙を投げた。百戦錬磨の漢を持ってしても、この混沌がどのように始まったのか推測することすらできなかったのだ。

 

 彼は、支えの柱を失って崩壊しそうな我が家を眺め、その前で大騒ぎする謎でしかない組み合わせの集団を再び見つめ、最終的に、一番分かりやすい疑問から口にしていくことにした。

 

 それは、明らかにこの絵に馴染んでいない、誰が見てもおかしいと思うであろうこと――

「……何でアイツ上半身、裸なんだ?」


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