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白天祭 ―迷いし者の行方 6―

 佐倉は、塔の窓から飛び降りた。

 正確には、ハーヴェストによって放り投げられた。


 もしこの『アタリ窓』の先の景色が、飛び込み台から飛び降りたような景観であったなら、佐倉は全力で拒否していただろう。たとえ背に、得体の知れない死が迫っていようとも、投身自殺は絶対ダメだ。


 しかし開け放たれた窓の先は、黒色一色だった。

 それは裏門に訪れる際に見たものと一致する。

 裏門内に来る時には心底怯えた黒い世界。それは出口の象徴だった。佐倉は怯えることなく受け入れた。どんとこい、暗闇。あの得体の知れないハズレ扉から逃げられるなら、むしろ大歓迎。行きは漆黒の中を駆けた。今もまた、がむしゃらに駆け抜ける。目を閉じる。ひたすら走るという動作だけを意識する。背後で、めきり、と歪な音がした。そのあとで硝子が砕け散るような音も。そしてキシッと漏れるような妙に明るい笑い声。何かが左肘に巻きついた。携帯電話の充電器、精密機械、テレビの配線――佐倉が連想したのは、コード配線だった。なんか、肘に、細いコード配線が巻きついてきた……!


 駆け抜けながら、左肘の巻きついたものをむしり取った。容易に外れた。ぶちぶち、と。総毛立つ。何をむしり取ったんだろう。自分は。コード配線なら、こんなに簡単にむしり取れるわけがない。右手に残る感触が、どうにもおぞましい。まるで巻きついたものに産毛があったような感触。


 駆けた!

 とにかく駆けた!

 すぐに苦しくなる。でも止まれない。止まるわけにはいかない。息が上がる。顎も上がる。我慢できず目を開く。まだなの。上も下も分からない暗闇。まだなの出口は! 駆ける先に白い点。きた! きたきたきた出口! 夢中で足を動かした。点が円になって、円が漫画の怒鳴り声の吹き出しみたいな形になって、その白い地面に右足を踏み入れ、左足を勢いよく前へ――!

 ――出したら、左つま先が見えない何かに引っかかり、


「おんわあ!」


 転んだ。派手に。

 しかも落差があるダイブだった。段差のある場所で地面に向かって顔から飛び込んだような激痛。ちょ、鼻ー! 鼻、折れたんじゃなかろうか!

 地面の上で亀のように縮こまり、鼻を両手で押さえて身悶える。痛みで目から液体が出てきた。オッケー大丈夫。全然、大丈夫。問題ない。めっちゃ痛いけど、鼻から液体が出てきてないなら絵的に全然問題ない! それより何より。

「戻ってきた!?」

 佐倉は地面にこすりつけていた額を持ち上げた。外だ。目を焼く陽射し。皮膚がじりじりと焦がされるような空気。どこか柑橘系の香りのする風。辿りついたのはどこかのお宅の庭か。低い柵の向こうに、石畳の道。見慣れた石畳の道だ。それにあの街灯にも見覚えがある。大通りにある街灯の支柱と同一だ。霧の都とかにありそうな街灯は一定時刻になると勝手に煌々と道を照らす。動力は電気ではなく、機械は一切使われてないんだそう。ならどうやって動くのか。先輩隊員の言葉を借りるなら、「夕陽を貪ったグラヴァタンニが最後に屁をこくだろ、あの破滅的な爆発力を配管から昼街全体に運んでだな――」と、まあ、意味のわからん謎技術が搭載されている街灯が、佐倉の視界の中にある。街だ。佐倉は歓喜した。うん、ここは街だ。しかもこの屁でできてるらしい街灯があるってことは昼街に違いない。戻ってきてる。裏門から生還した……!


「ハーヴェスト、ここ、」

 街のどこあたり、と腹這いのまま首だけ動かして背後に声をかけようとした瞬間、顔のすぐ横の芝生に頑強そうな靴が振り下ろされた。地面にそっと下ろすような動作ではなく、勢いよく振り下ろされた靴をすぐ真横で見る羽目になった佐倉は、身を硬くした。靴に虐げられて千切れた芝の青い匂いが鼻を刺激する。靴の外底のごつい溝のひとつひとつまで視認できる距離で、凶悪なことに、その大きく無骨な靴はそのまま通りすぎるのではなく、踵から足先まで接地した後、踵部分が浮く瞬間に捻りが加えられた。履く主の意思を尊重しようと靴の革が歪に捻れ、爪先は着地点で半回転し―――背後真上で木板と硝子の割れる音。



 あ、これ、後ろ回し蹴り。



 ハーヴェストの軸足の動きで奇跡的に正解を導き出した佐倉は、すぐさま芋虫のように這いずって前進を開始した。背後真上で耳に残る乾いた笑い声。それとともに佐倉の身体にも破片が降りかかってきた。視界の隅で硝子破片が芝生に突き刺さる。あああああ、やっぱり寝転んでちゃダメな場所だ! 裏門の出口で何かに足をひっかけてすっ転んだから、見事にハーヴェストVSハズレ扉さんの邪魔をしている。引き続き、生命の危機をひしひしと感じた。ここでこのまま暢気に寝っ転がっていると命を落とすことになる。おもにハーヴェストに踏まれて。


 必死に這いずり数メートル、我先に、と安全な場所へ逃げ出したフィフィ姐さんの所まで辿りついた。姐さんはこちらの顔を見るや、心配そうにこっちの鼻の頭に抱きつこうとしてきた。ちょ、ちょっと待って姐さんや。そこ、今、したたかに打ち付けたところだから、抱きつかれたらきっと悶絶することになる。なんとか触り心地の素敵すぎる姐さんを両手で確保し、自分の頭の上へに乗せ、ようし、と勢いよく起き上がる。

 よし、加勢しよう!

 佐倉は決意した。何ができるのかさっぱり分からないが、ハーヴェストの戦いに加勢しよう! えーと、そう、先輩隊員達の喧嘩直前の言葉を借りるのなら、「てめえ、ぶちのめすぞオラァ」ってやつだ! よしぶちのめそう! ハズレ扉さん、ぶちのめしてやる! 加担しようと息巻き、先輩隊員達のようなムキムキのマッチョマンになったつもりで自分の二の腕を揉みながら振り返ろうとした佐倉に、

「前方! ノイエルの8方角!」

 と、ハーヴェストの鋭い声が飛んできた。まるで上官が命令を下すような声に、振り返ろうとした動作が正される。前方に注意を向け、視線が彷徨う。なんだっけ。ノイエルの8ってええと、なんだっけ! いやいやいや習った! 新兵部隊で習いましたとも! ああうん、ラックバレーが訓練所の外庭で、地面に石でがりがり書きながら教えてくれた、戦場での方角を伝える方法だ! うわ、うわ、うわ、ここで戦場の方角の言い方とか。自分、今、めっちゃグレースフロンティアの隊員っぽい!! ここはカッコよく有能な隊員的なところをハーヴェストに見せ付けてやろうとも! だからつまりノイエルの8という方角は――


 佐倉は、腹の底から怒鳴った。


「全然わからねええええええ!」 

 返答はハーヴェストの笑い声。

「フォークとナイフでいえば、フォークの方角だ!」

 分かりやすく伝えられているはずなのに、妙に洋風表現なせいで逆に伝わってこない……!

「つまりお茶碗とお箸なら、お茶碗側!」

 子供向けに方角説明をされた気がするけど、指摘している暇はない。両手をにぎにぎしながら叫んだが、肯定の応えはあったようななかったような、だ。背後から上機嫌な笑い声と木片がへし折れるような炸裂音。あああああ、どうなってるの後ろの戦いー! おそらく大変な状況なのに、ハーヴェストの手をものすごく煩わせている。集中しなきゃ。左手側に視線を向け、佐倉はついに、『それ』を発見した。


 『それ』は、隣家との柵の側で中腰になっていた。

 佐倉は瞬時に、シーツのお化けを連想した。

 小さな子供がふざけてシーツをかぶっているように、『それ』は深緑色の布を頭から被っていた。ローブというものか。おかげで『それ』がどういう姿形をしているのか明確に判断ができない。だが背後の垣根の高さから考えても、ずいぶんと小さい。自分より、いや、チロより小さな背丈。


 絶対に、確実に、ムドウ部隊長ではない。


 フィフィの目を頼りに、裏門を使って辿りついた先にいた人の一人―――ムドウ部隊長でないのだとしたら、あの前方の小さなシーツのお化けの正体は。


「つまり、あれが……」


 竜か。


 佐倉の低い声に反応するように、緑色の塊がびくり、と動いた。この緑色のシーツのお化けを追いかけるために、どれほど肝を冷やす体験をさせられてきたか。指の爪が剥げるのを目撃したり、壮絶に臭い猪男の斧で胴体切断されるかと思ったり、恐怖のハズレ扉さんに追いかけられたり、裏門出口と思われる窓から飛び降りたり……一年近く、いや永遠と思えるくらい長い時間、死の恐怖にさらされてきた気がする。思い返せば、思い返すだけ頭に血が上ってきた。いや、本人が気付いていないだけで、佐倉は先ほどからずっと血が上っている状態であった。無事に生還できたという歓喜とまだ死と隣り合わせであるという緊張感が混ざり合い、本人が思っている以上に興奮していた。常にアドレナリンが出ているような興奮状態の中、佐倉はようやくこの大騒動の発端である『それ』を発見したのだ。


 緑布の塊と佐倉は互いに注視したまま、一切の動きを止めた。互いの出方を探るように息を潜める。背後の木柵の高さを考えても、やはり、緑布を被った竜は小さい。布の中の竜がいったいどんな姿形をしているのかは分からないが、子供のように小さい二足歩行生物であることだけは間違いなかった。向こうはこちらを見て、どのような判断を下しているのだろうか。取るに足らない人間の子供だと判断しているのだろうか。そう考えられたら、とってもまずい。確かにこちらは何もできない貧弱な人間である。そうと分かられて逃げられちゃったらどうしよう。侮られるわけにはいかない。ここでなんとしても竜を……



 そこで佐倉は、はて、と大きな疑問に辿りついた。

 ――――竜と出会ったら、何を、するんだっけ?

 裏門内に入る前から恐怖と戦ってきたせいで、当初の目的が脳内からすっかり消え失せていた。佐倉は竜を眼前にして凝固した。あれ、ええと、竜に会ったら、何をするんだったっけ。

 混乱する脳内に大きく二文字が浮かび上がった。


 討伐。


 うん? あれ、竜の討伐に来たんだったっけ? 竜は街にいるとやばい存在で、人を食べちゃうような存在で、ええと、だから討伐? いや、あのガクジュツトケンキュウのギルドから逃げ出してきたから、討伐? あるぇー、そんな一狩り行こうぜ的な話だったっけ?

 困惑し立ち止まる佐倉をどう思ったのか、緑布の塊はすぐさま行動を開始した。背後の木柵に手をかける。その指は細く、その腕は華奢で、そして白い鱗に覆われていた。

「あ、うわ」

 わ、わ! どうしよう! 佐倉は慌てた。逃げちゃう。何か言わなくちゃ!! あ、あ、もう竜は両腕で布地の中の身体を持ち上げ、柵を越えようとしている。逃がしたらダメだ。とにかく、竜を、逃がしたら、ダメ……!


 佐倉は、竜を制止しようと頭の中に浮かんでいる言葉に飛びついた。

 それは運悪くも、つい先ほど思い出した先輩隊員の勇気あるお言葉だった。

「逃げ…、待っ……! ま、待てぃこるぁあ、ぶちのめーす!」

 そう叫ぶと、佐倉は竜の背に向かって突撃した。


 背後の男は、あからさまに言い慣れていない啖呵と奇声を上げて駆け出した少女を見つめながら、

「いや、俺達はその竜の保護と隔離にきたんだが」

 と、上機嫌に呟いた。彼を知っている者が聞けば、これが本当にこの男の発言か、と己の耳を疑うほど、まともな発言であったが、残念なことにその発言を聞いた者は誰もいなかった。

「まあ、ぶちのめした後でも保護はできるし、問題はないか」

 と、続いたその言葉は、彼を知らない者が聞けば、これが本当に人間の発言か、と己の耳を疑うほど、頭のおかしな発言であったが、幸いなことにその発言を聞いた者も誰もいなかった。


「それにしても」

 と、ハーヴェストが数歩退いた。すると先ほどまで彼がいた場所に数十の触手が突き刺さる。平凡な民家の窓から飛び出すその触手は、見る者に嫌悪感と畏怖を与える歪な形をしていた。窓の外へと姿を現した黒蔦は、唐突に発火した。焼け爛れながらも襲撃の手を止めず、眼前の男、いやそれよりも遠くにいる少女を執拗に追い求め、うねり続けている。

 触手の本体のいる窓の中は、いまだにこの世とは思えぬ漆黒が広がり続けている。

 

 男は黒の広がりを見つめ、言葉を続けた。

「あれがいると」

 男の背後、遠くで少女が緑色の塊に突撃し、抱きついた。その様子を男が見ることは無かったが、素っ頓狂な奇声が庭にこだましたことで、少女がまた何かをやらかしているのは把握できた。

 少女の声を聞きながら、男は焼け爛れた歪な黒蔦を手の甲で痛烈に弾き、再び損壊した窓枠へと足をかけた。そのまま暗闇に手を伸ばし、何かの胸倉を掴み取る。強引に陽の下に曝け出されたその顔には、口しか、存在していなかった。土気色ののっぺりとした皮膚、髪の無いつるりとした頭部、唯一存在を主張する口は、大きく開かれている。まるで男の腕力と行動に驚いたかのように開かれたその口の中は、この異形の存在がいた暗闇と同様に、黒色で何も先が見通せなかった。異形の顔は、黒蔦と同じように、強制的に曝された太陽の下で発火した。


 炎に包まれた顔面に、拳が容赦なく振り下ろされる。

 

 一撃。「あれがやること」二撃。「全てが」三撃。「堪らなく――」


 ついには、発火した顔が、いや顔だけが、どちゃりと地へとずり落ちた。

 胴体は男に胸倉を掴まれたまま、窓の中にある。しかし頭部だけが、まるで玩具の人形が子供の暴虐な遊びに耐えられず、引き千切られてしまったかのように、窓の外にあった。


 男は、壊れてしまった物を、しばしじっくりと眺めた。


 地面に転がる頭部を見つめていた青灰色の瞳から、急激に熱が失われていく。掴んでいた胸倉からも手を離し、眼前の壊れた物体から興味を失ったように、地の火達磨の物体を、ただ、ただ、見下ろした。

 物体を見下ろす男の背後で、またしても珍妙な声が上がった。気合の掛け声なのか悲鳴なのか判断つきかねる素っ頓狂な声。

 音に反応し、男は首を巡らした。その視線の先で、大きな緑の布地に埋もれた二つの塊が、布の中で取っ組み合いをしていた。どうやら奇声の主は、竜を柵から引きずりおろそうとして、堪えきれずに一緒くたに地面に転がったらしい。緑色のシーツの中からは、「うっは!」「っそぉいやさ!」「イッタ! ちょ、痛ッ!」「ちょ、フィフィ、暴れっ、暴れないで!」「姐さん、どっちの味方なの!?」と忙しなく声が上がっている。

 

 溌剌とした子馬が跳ね回っているかのような――まだ何も知らぬ、無邪気な声だ。


 男は、視線を前へと戻した。

 足元に転がる物体を見下ろした。

 やがて彼は、ゆっくりと息を吐く。

「ああ、本当に、堪らなく」

 呟きが小さく漏れた。

 青灰色の瞳が満足そうに眇められる。


 「――クル、よな?」


 その言葉に呼応するかのように、地に落ち発火する顔の中で、唯一存在を主張するその口が、大きな大きな半月のような形を作り、きしり、と歪な音を漏らした。

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