3-2
「潤は何かする気だよ。あんた達の敵になった」
次は本気でやる、と彼は言った。冗談ではない。彼は確実に動く。
「ふざけんじゃねぇ! 潤は俺の親友だぞ!?」
立ち上がる光翔から綺羅は目を背けなかった。彼が怒ろうと恐怖はない。ただただ見据える。
「でも、あたしは、その潤から聞いた」
それが事実だからこそ、臆せずに向き合うことができる。
「潤はそんな奴じゃねぇ! この笑顔を見ろ!」
光翔が目の前に突き付けてきたのは手帳だった。その中に一枚の写真が大切そうに収められている。
映っているのは今とあまり変わりない光翔と流、そして、少し違う潤だ。三人とも笑っている。肩を組んで、何も恐れるものがないように、三人の青春のありかを示すかのように。
「人は変わるよ。良くも悪くも」
光翔の隣で顔をくしゃくしゃにして笑っているのは確かに潤だが、今の彼がそんな風に笑うとは思えない。
写真を持ち歩いていることを気持ち悪いとも思わない。それは美しい絆を持たない者の僻みだろう。
綺羅には友がいないが、それを妬ましいと思う心も持ち合わせていない。だからと言って、他人を否定するつもりはない。
「今の潤は笑わないし、真っ赤な髪をしてる」
写真の中の潤はもういないと綺羅は思う。
髪色が違うだけではない。心のありかが、覚悟のありかが違う。
「お前の目が当てになるか怪しいけどな」
認めたくない気持ちが彼に言わせたのだろう。
だから、綺羅は嫌みと受け取らなかった。余計な揉め事したくない。冷静でなくなっている光翔を前に自分が落ち着いて対応しなければならないとわかっていた。
「あの赤は多分、炎の赤。あたし、目の前で鞄が燃えるの見たよ。あいつが怒った瞬間に」
ついに光翔は黙り込んだ。彼は短絡的なようで、頭が悪いわけでもない。わかっているのだ。彼の本心の部分が拒絶しているだけだ。
「俺と来るか、って誘われた。あたしはサイキックじゃないから巻き込みたくないと思ってくれたのかはわからないけど」
こんな形で言うつもりはなかった。言わずに済めば良かったのだが、やはりそういうわけにはいかないようだ。
自分でさえ本当の意味を捉えていない言葉を正しく他人に伝えられるとは思っていない。
「思えば、あれ、あんたへの宣戦布告だったのかもね。次は本気でやるってさ」
綺羅を通して彼は光翔を見ていたのかもしれない。
「何で潤が……」
呆然と呟いて光翔はまた椅子に落ちるように座った。
サイキッククラブを纏め上げる支柱のようでありながら、彼自身の精神は弱いところがあるように思える。
「勝手な考察してもいい? あんた、絶対怒るけど」
元々、疲労が顔に出ていた彼にするには酷な話だったかもしれない。
けれど、今でなければ言えないこともある。たとえ、それが彼に追い打ちをかけるようなことだとしても。
「……言えよ。できるだけ、怒らねぇようにする」
怒る気力もないというほど沈んだ声がボソボソと言葉を紡ぐ。ガックリと頭を落としている。
「じゃあ、これから極端な話をするよ――」
できるだけ彼が怒らないでくれるよう言葉を選ぶのは難しい。
だから、綺羅は前置きをした。それが彼の耳にちゃんと入っているかは怪しかったが。
「――潤はサイキッククラブが嫌いだったかもしれない」
ピクリと光翔の肩が跳ねた。何か言いたげな視線が垂れ下がった前髪の隙間から向けられている気がしたが、綺羅は気付かないフリをした。これは極端な話で、綺羅の勝手な考えなのだ。言わば妄想なのである。
「だって、潤の能力って他人に直接害を与えられるような物でしょ? 本人もそれを嫌がってる」
「そりゃあな……」
「でも、あんた達の能力は肉体的に他人を傷付けるものじゃない」
発火能力――決していつでもどこでも火に困らないという便利な能力ではないのだろう。
潤の場合、感情が高ぶった時に勝手に出てしまうようだ。制御できるようになったと思っていたのかもしれない。だからこそ、呆然として、それから動揺した。
それこそ、その能力が他人に知られれば酷い迫害も受けるだろう。望んで授かった天からの贈り物ではない。他人を救えるものではない。
しかしながら、光翔の能力は悪用が可能かもしれないが、彼はコントロールできるように思える。あるいは、スプーンなどを曲げたり浮かせたりする程度のものでしかないのかもしれない。
流のサイコメトリー、星南のテレパシーは傷付けるとしても心であって体ではないだろう。叶多の遠隔透視は心を見るものではなく、生身の人間の思念はキャッチできないと言う。ましてや優月の能力は他人を癒すためにあるものだ。
肉体的に他人を攻撃する可能性を持ち、その心に恐怖さえ刻み込めるような能力を持った潤にとって彼らの中にいることは必ずしも良いことではなかったはずだ。
「たとえば、潤の前に同じように他人を傷付ける能力を持った奴が現れたら?」
「潤はそんな誘惑に負けねぇよ。確かに俺らの仲間だった」
光翔と流と並んで笑っていても闇は消せない。空虚な心を完全に埋めることはできない。むしろ、光が強ければ強いほど自分の中の闇を自覚してしまう。自分の中の空っぽな部分を思い知らされてしまう。
コンプレックスというものが確かに彼の中にあったのではないかと綺羅は考える。カウンセラー気取りの自分を思えば自嘲したい気分にもなるくらいだ。
「じゃあ、その数があんた達より多かったら?」
この星宿寮に五人のサイキックが集まっているように、掻き集めればもっとたくさんのサイキックというものが世の中には存在するかもしれない。その中には、あの男の手に負えないような人間も多いだろう。
全ては推論、妄想の域かもしれないが、間違っていないような気がしている。まるでフィクションだが、既にサイキックの存在が、綺羅にとってそうであった。現実とは常に塗り変えられてしまうものである。
漫画のようないじめを体験し続けてきた綺羅としては、今更何が起きようとそれも現実だと諦める以外にない。
「他人を傷付けてもいいんだって、自分を虐げてきた奴らに復讐しようって、今こそサイキックの存在を認めさせようって囁かれたら?」
光翔にとっては甘美でも何でもない誘惑かもしれない。彼の目指すところとは真逆だろう
彼には必要のない言葉だ。彼は一人で立ち上がって、誰かを引っ張っていける。
「あんたもさ、あたしに言わないことあるよね? 潤が出て行った原因とか」
唇を引き結んだような気がした。彼は言いたくないだろう。
理由があるとしても、そういったところでは綺羅を部外者として捉えている。
「多分、今の潤は一人じゃない。同じような苦痛を背負う仲間に迎えられて洗脳されてるよ」
本人は洗脳とは思っていないだろう。サイキッククラブと同じように身を寄せるだけだ。傷を舐め合う行為に耽るだけだ。自らの心の渇きを癒し、空虚な部分を埋められると信じて。
「かつての仲間が敵にならないなんてこと、あるわけない」
味方だって敵になる。どれだけ強い友情を彼が抱いていたとしてもそれが相互にあるものだとは限らない。
「手のひらは簡単に返る。白と黒は裏返る。表と裏の区別が付かないことだってある」
常に裏切りの中にいた綺羅にとっては当然のことだ。人の中の正義と悪はきっかけ次第で入れ替わってしまう。今の人生に不満を抱いていればいるほど。
「潤が仲良しこよしに飽き飽きして、へらへら笑ってる自分が嫌になって、敵は星宿寮にあり、って言い出したって何も不思議じゃないんじゃない?」
「くそっ……!」
握り締めた拳を自らの膝に叩き付ける光翔は行き場のない怒りを感じているのかもしれない。
けれど、その怒りを向ける先はある。
「あたしのせいでいいよ」
「何言ってやがる?」
光翔が顔を上げる。眉間に深い皺が刻まれている。
「あたしが疫病神だって言えば、あんたスッキリするよ」
「しねぇよ」
別に殴られたところで、綺羅は困らない。いくらでも殴ればいい。殴ってほしいと思っている。
「勝手な考察に過ぎないけどさ、でも、あたし、潤にシンパシー感じてる」
全て一方的なことだ。潤の心を手にとって覗いて見られるわけでもないのに、感じている。
彼と初めて会った時から、あるいは、あの紙飛行機を見た時から。
同一ではないから理解はできない。けれども、似ているからこそ心が理解を示している。
「あたしだって、おんなじ境遇の奴が世間様に復讐しようって言ってきたとしたら、止めはしないよ」
手を取るかは別だが、勝手にしろと思う。
「大勢で来たら、世界が変えられると思ったら、その様を間近で見たくなるかも」
実際は単純な心理ではないだろう。様々なことが潤の心を揺らしたはずだ。
ずっと被害者だったからと言って綺羅は加害者になりたくはないが、傍観者にはなる。それは制止できる可能性を捨てるという点では加害者と同じだ。
「あんたは恵まれてるよ、仲間がいて笑ってられる。でも、あたしはあんたの仲間にはなれない。潤についてくつもりもない。潤が今度攻撃してくる時は何もしないで見てるかもしれない」
何もできないから何もしない。綺羅が決めたことだった。今まで何もしてもらえなかったことへの復讐なのかもしれない。善人になるつもりはなかった。
「だから、今、あたしを殴ればいい」
彼に殴られることで何が償えるわけでもない。
殴られることは慣れているが、突然殴られるのは困るものだ。
「潤は俺のダチで仲間だ。でも、てめぇだって同じなんだよ。てめぇが何と言おうとだ。だから、殴れるもんかよ!」
たとえ、感情が制御不能になっても彼は誰も殴らないのだろう。拳を握り締めて、自らの爪で掌を傷付ける。
「じゃあ、泣きなよ。部屋に戻って一人でメソメソ泣いてればいい。震えて待ってろ」
綺羅は敢えてきつい言葉を選んだ。彼の心を強くしようなどとは思わない。打ち砕いてしまうのなら、それも仕方のないことだ。
「あんたは知らないんだ。濡れているところにいつも雨が降って、容赦なく打たれる冷たさを。誰も傘を差し出してくれなくて、転んだって笑われるだけで、助けてくれないって」
綺羅の人生はずっとそうだった。濡れっぱなしじめじめしているどころではない。常にぬかるんで、足を取られて泥まみれになる。そんな毎日だった。
「あんたの世界はまるで別物。お幸せな奴なんだよ。仲間だとか友達だとか言って、あんたが言ってることは温いんだよ。上辺だけだ」
光翔はそれ以上、強がったりもせずに黙って部屋を出て行った。その背中は肩が落ち、疲れ果てた戦士のようにも見える。
けれど、まだ戦いは始まっていない。まだこれからだと言うのに、綺羅は負けを確信していた。まだ敵の数も目的も判然としていないのに、サイキッククラブの要はたった一人の存在に大きく揺るがされていた。
たとえ、彼らが勝とうが負けようが綺羅には関係ない。ただ流れていくだけだ。その時にはもうここにはいないかもしれない。