開かずの扉
「――「扉」の奥には、どんな世界があるんだろ?」
空調の効く図書館内。
今、梨絵の目の前にあるのは、あるはずのない不思議な「扉」。
「……」
子どもしか入れない大きさのそれに、手を伸ばした。
冷たい「扉」は、空を映した水鏡。突き抜けることはできないのに、指先から波紋を広げた。
触れる度に描かれているはずの雲は裂け、晴れ渡る青空へと変化する。
表面は濡れており、ノックをすると無垢な音が返ってきた。遥か空の高みから、綺羅星が零れ落ちてくる、そんな音。
(やっぱり……幻覚とは思えないよ)
取っ手を引っ張った。綺麗な星が弾けるだけで開かない。
(今回もダメか)
諦めた瞬間、みるみるうちに透明になり消えた「扉」。手を伸ばすも感触はなく、軽く空気を掴むだけに終わる。
「扉」に触れた方の手は濡れていたので、ハンカチで水気を拭った。
窓の外を見上げると。空を旅する上弦の月が、嗤っているようだった。
*****
幼い頃から、どこにでも現れる不思議な「扉」。けれど、誰もそれを知らない。
(みんなが知らない、私だけの力。私だけの特別――)
「扉」について話すことで、周りから変人扱いされていた。
けれど、梨絵だけは「扉」を――その奥に広がる世界を、信じ続けた。
(怖い世界だろうな。分かんないけど、行っちゃダメってことは分かる)
きっかけは、今では思い出せないくらい些細なことだった。この世界から逃げたくて、「扉」の取っ手に手をかけた。
「……開かない。あ、もしかしてこの鍵穴?」
試しに家の鍵を突っ込もうとしたが、入らない。仕方なく、鍵探しを始めた。
靴箱の隅や棚の隙間、はたまた野良猫の口の中まで、ありとあらゆる場所を探した。
しかし見つかるのは、いつも決まって小さな「扉」だけ。
「「扉」じゃなくて……「開かずの扉」の方が、しっくりくるかも」
*****
眠気から閉じかけていた目を、大きく開いた。
「ヤバい。晩御飯当番なの忘れてた!」
痩せた身体を奮い立たせ、家までの坂道を駆け上る。あまりに急いでいたからか、帰り道の途中で「扉」を見付けることはできないまま、
ガチャリ。
鍵を回し、家の扉を思い切り開いた。
「ただいま!遅くなってごめん、陸斗」
「おっせーよ、バカ姉貴!もうご飯作ったわ!」
リビングには、食卓でカット野菜を頬張る弟――陸斗がいた。仕事で忙しい父親に代わり、晩御飯は梨絵と陸斗が交互に作る決まりだ。
「何回サボれば気が済むんだ!明日は俺の代わりに作ってくれるんだろうな?」
「本当ごめん、もちろん作りますから!」
頭を下げて謝ると、彼は納得したように味噌汁をゴクンと飲み込んだ。
食後の日課は、絵の練習をし、布団の上で借りてきた本を読むこと。
陸斗のゲーム音をBGMに、『西洋絵画から見る光と影の美』というタイトルの本を開く。
色々な角度から食い入るように絵画の写真を見つめた後、瞼を閉じた。
閉ざされた視界の中で、様々な色が浮かび上がる。
それは梨絵にしか描けない、梨絵だけの色、梨絵だけの世界――
そしてそれらは、小さな「扉」に詰まっているのだ。
「扉」の中は、とても恐ろしい――けれど、それだけではない世界だと思えていた。
もちろん根拠は、何もない。
(今が苦しい訳じゃないけど。学校に行って、大人になって、就職して……決められたレールに乗っかったままは、どこか怖い)
少し冷えた肌を撫でる。知っている人がいない場所で生きるのは、大変だろう。寂しくて泣いてしまうかも。
そんな想像は容易くできるが、決められた選択肢の中から妥協した答えを見つけたいと思えない。
もっと、大それた決断がしたい。
「それにしても、なんでこんなに気になっちゃうんだろ?」
……怖いもの見たさだろうか。
「見えない方が幸せかも、なんて」
にわかに笑った。「扉」の見えない人々に幸せがあるように、「扉」の見える梨絵にも、梨絵だけの幸せがあってほしいと思う。
普通じゃない。変人でもない。
中途半端な自分だけど、自分のままで生きていたい。
異世界、というより、異世界を選ぶ自分、に憧れているのかも。
(願いが叶ったら、幸せになれるかな?)
「……」
答えはない。そんな問いを、いつも心に持ち続けている。そして今夜も、鍵を探す。夢を見る――。
*****
(陸斗め!そりゃアラームをかけ忘れた私が悪いけど、起こしてくれたっていいじゃない!)
アラームをセットせずに寝たため、絶賛遅刻中である。
どこからか、「何回も声をかけたのに起きなかったのはどいつだよ!」と言う声が飛んできそうであるが、それはさておき。
強い風に乗って、一枚のチラシが顔を覆うようにぶつかってきた。
(うぅ、サイアク!)
そのまま捨てようと思ったが、何となく開く。
「……これはっ!」
書かれていたのは、「何でも分かる!占いやってます☆」という文字と、手書きの地図。
どう考えても怪しいそれを見て、点と点は繋がった。
授業を終え、一度家に帰って晩御飯を冷蔵庫に詰め込んだ。夜の町に繰り出し、チラシを見ながら占い師を探している。
(この地図、てきとう過ぎて分かんないよー!)
梨絵が住んでいる町であるのは確かなのに、二時間歩けど見つからない。
(「開かずの扉」のこと、知りたいのに)
梨絵にしか見えない以上、一人で立ち向かう運命だとしても……何かしらの支えがほしい。
赤の他人である占い師に期待してしまうほど、「扉」の秘密に焦がれ、切羽詰まっているともいえる。
(いない。あと探してないのは……)
諦め悪く、公園の街灯に地図をかざしてみたその時。
季節外れも大概の、金木犀としか思えない甘い香りに包まれた。
思わず顔を向けた先には、一人の見知らぬ少年の姿。
いつからいたのだろう。年は近そうに見えるが、息が詰まるほど黒い服に不審な顔を浮かべてしまう。
「やーっと追いついた。りえっち、足が速すぎるよぉ」
美しいアメシストのような瞳が、梨絵の姿を映していた。亜麻色のセミロングに、日焼けの目立たない白い肌、幼さの残る顔立ち。ブラウスのフリルと、チェックのスカートが可憐に揺れる。
月が隠れ、少年の瞳に影が落ちた。
「……初対面?ってあれ、なんで私の名前知ってるの?」
少年は梨絵のことを「りえっち」と呼んだ。
ピエロのように怪しい顔で、彼は笑う。
「名前くらい把握してないと、占い師だって信じてもらえないかと思って~」
「えっっ‼占い師⁉まさか私が迷ってるのを察して、来てくれたとか?」
汗を拭い、軽く親指を立てて頷く姿。余裕ありげな態度に、落ちかけていた気分は天まで届きそうなほど跳ね上がった。
(すごい!占い師の方から来てくれるなんて。親切すぎるよ!)
チラリと時計に視線をやる。針は夜の十時半を示しており、そろそろ帰らないと陸斗に心配をかけるだろう。
荷物を持ち、深々と占い師に頭を下げ、
「では、今日はもう遅いので。私はこれで――」
「いやちょっと待って!帰る?この流れで帰るの⁉占い聞かなくていいわけ⁉」
驚く彼に、眉を下げて応える。
「ごめんなさい、弟が心配しちゃうから」
「弟?ああ、りくとっちね。でも俺っち、結構頑張ってりえっちのこと捜したから、占い聞いてってほしいんだけど~☆」
両手を合わせ可愛くおねだりする姿を見て、心は決まった。
「ごめんなさい!明日また来ます!絶対に‼」
比較的安全な町とはいえ、暗い夜は何が起こるか分からない。
同じ年頃なら分かってくれるはずだと思い、申し訳なく微笑んだ。彼は数回瞬きをした後、綺麗な笑みを貼り付けた。
「りえっちは、俺っちの後を追って紫色のテントに入る。この未来は絶対だ」
「え?でも私帰――」
占い師はニコリと笑った。急に背を向けたかと思えば、大声で叫びながら走り出す。
「相田梨絵‼星影中学三年二組、出席番号十七番、部活は美術部‼絵画コンクールで受賞歴あり!」
(えっ、待って。知りすぎじゃない⁉)
咄嗟に離れようとしたが、彼の言葉は止まらない。
「口座番号は――」
「ちょっと⁉それはバラしちゃ駄目なやつー‼」
大慌てで彼の後を追いかけた。暗い路地裏を何度も曲がり、不思議なテントへ誘われる……。
カクヨムにて先に投稿し、既に完結させている作品です!
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