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偽りの子を抱く私を、夫は“オレたちの子だ”と言った

作者: 雨日
掲載日:2025/10/15

オレの元に妻が嫁いで十か月。

季節はまた、雪の降る冬へと巡った。


古い年が美しく去り、新しい年が明けた朝、

妻、シリはふくらんだ腹をそっと撫でて言った。


「もっとお腹が出るものだと思っていたの」


笑いながらも、どこか不安げだった。


「シリ様は背が高いので、お腹が目立たないのですよ」

乳母のエマがそう伝えた。


オレはそのやり取りを静かに見守っていた。


嫁ぐ二日前――


兄がシリの部屋を訪れたと聞いた。


その夜のことを、オレが知ったのは数ヶ月前。


妊娠を打ち明けた時、シリは涙ながらに言った。


「お腹の子は・・・あなたの子かもしれない。そして、兄の子かもしれないの」


初めてシリに触れた夜、

怯え、震えていた理由を――その時、初めて理解した。


――この子は、誰の子なのだろう。


少しずつ膨らむ彼女のお腹を見るたびに思う。


オレの子か、それともあの男の子か。


答えは出ない。


けれど、どちらでもいいと、次第に思うようになった。


彼女が生きて、笑ってくれるなら、それでいい。


彼女が、この城に来てから、オレの世界は変わった。


夜の寝室で、シリがオレに甘え、微笑んくれる。


それが嬉しくて、オレはどんなに忙しくても夜には部屋に戻った。


夜、眠る前に彼女のお腹に手を当て、「まだか」と尋ねるのが習慣になった。


胎の奥で小さな命が動くたび、

オレは自分の胸の奥まであたたかくなるのを感じた。


「そんなに真剣な顔をしても、まだ出てきませんよ」

そう言って笑うシリの顔が、春の光のようだった。


窓の外は深い雪に覆われた。


冷たい風が窓を震わせ、白い吐息が部屋の灯りに溶けていく。


温暖なミンスタで育ったシリには、この寒さが厳しいらしい。


凍える指先を見て、オレは何度もその手を包み込んだ。


温かな息を吹きかけると、シリはくすぐったそうに笑った。


「寒いです」と言うたびに、オレは何度でもその手を温めた。


次第に、彼女は寒くなくても、それを口にすることがわかった。


嘘だと知っていても、嬉しかった。


――この時間が、ずっと続けばいい。


そう思っていた。



だが二月。


晴れた雪の朝、彼女が腹を押さえ、息を詰まらせた。


午前中、少しずつお腹が痛むようになってきた。


痛みは次第に強くなり、医師と助産婦を呼んだ。

オレは何もできず、ただ書斎で待つしかなかった。


外は静かだった。


蝋燭の炎がかすかに揺れ、雪が窓の外を白く覆っていく。


医師と助産婦が部屋に入ってから、どれほどの時間が経ったのかわからない。


蝋燭の炎が短くなり、外では雪が降り続いていた。


部屋の前では、シリの苦しそうな呻き声が響く。


途中で何度か、「もう・・・だめ」という声も聞こえた。


そのたびに足が止まり、

何もできない自分の無力さに胸が締めつけられた。


出産は“命懸け”だ。


産婦も子も、無事に生きて朝を迎えられるとは限らない。


多くの女が、命を落としてきた。


そう思えば思うほど、心がざわつく。


戦場では血に染まった叫びを幾度も聞いた。

けれど、今ほど心が裂かれたことはない。


「シリ・・・頼む、無事でいてくれ」

そう願うことしかできなかった。


「いつになったら・・・」

誰にも届かぬ声で呟いた。


戦の夜よりも、はるかに長い夜だった。


やがて、長い沈黙を破るように、部屋の奥から産声が上がった。


最初はかすかに、次第に力強く、

雪をも揺らすほどの泣き声だった。


その瞬間、胸の奥が崩れたように熱くなった。


「・・・シリ」

思わず名を呼ぶ。


声が震えた。


医師が駆け寄り、深く頭を下げた。


「おめでとうございます。元気な女の子です」


城中がどよめき、

雪に閉ざされた夜の空気が、少しだけ温かくなった気がした。


随分と長い間、部屋に呼ばれるまで待たされた。


――シリは無事なのか。


我慢できずに、廊下を行ったり来たりする。


そのうち、助産婦に声をかけた。


「入ってもいいだろうか」


少しして、ようやく扉の向こうから返事があった。


「どうぞ、お入りください」


扉を開けると、温かい空気とともに薬草と血の匂いが漂ってきた。


部屋は静かで、蝋燭の炎がわずかに揺れている。


寝台の上で、シリが布団を頭からかぶっていた。


布団の膨らみが小さく震えているように見える。


声をかけようとしても、喉がうまく動かない。


乳母のエマがこちらを振り向いた。


その瞬間、彼女は腕に抱いていた白い布の包みを、

まるで何かを守るように胸の奥へと抱き寄せた。


その仕草だけで、胸が締めつけられた。


――見せたくない何かが、そこにある。


オレはゆっくりと歩み寄り、静かに口を開いた。


「シリ・・・頑張ったな」

布団の中で隠れている彼女に、静かに声をかけた。


返事はない。


ただ、布団の上が小さく震えている。


その震えが、泣いているのか、恐れているのか――それもわからなかった。


オレはしばらくその場に立ち尽くし、

やがて、布団の端にそっと手を置いた。


「・・・もういい。無事でいてくれたなら、それでいい」

自分でも驚くほど穏やかな声が出た。


その言葉を聞いた途端、

布団の中の震えが、少しだけおさまった気がした。


「エマ、赤ん坊を抱かせてもらえないだろうか」

隠すように赤ん坊を抱いているエマに、静かに声をかけた。


エマは一瞬、身を固くした。


その腕に包まれた小さな白い布が、わずかに動く。


「・・・シリ様」

震える声で、エマはシリの判断を仰いだ。


短い沈黙のあと――布団の中で動く気配があった。


彼女はゆっくりと布団から顔を出した。


涙で赤く腫れた目が、まっすぐこちらを見つめている。


唇が小さく震え、掠れた声で言った。


「・・・エマ、グユウさんに赤ん坊を抱かせて」


エマはそっと歩み寄り、腕の中の白い布を抱え直した。


小さな息づかいが、その胸のあたりでかすかに動く。


「どうぞ」

エマはためらいながらも、赤ん坊を俺の腕に預けた。


受け取った瞬間、思わず息をのんだ。


驚くほど軽く、柔らかく、そして温かい。


掌の中で小さな命が確かに息をしている。


金の髪が淡い光を帯びていた。


その髪の隙間から、青い瞳がゆっくりと開く。


一瞬、胸が痛んだ――あの男と同じ色だった。


けれど、不思議と憎しみは浮かばなかった。


この子は泣きもせず、ただまっすぐに俺を見上げていた。


その瞳の奥に、シリの面影が見えた気がした。


「シリ」

布団の方へ顔を向けて、静かに言った。


「オレが望んでいた子だ」


「この子は母親に似て、美人になるだろう」

目を細めて笑う俺の姿に、乳母のエマは息をのんで見つめていた。


人前で笑顔を見せるのは、滅多にないことだった。


「グユウさんっ」

泣き出すシリの顔を見て、もう一度笑った。


「シリ、可愛い赤ん坊だ。抱いてみろ」

赤ん坊をシリにそっと手渡す。


「・・・可愛い・・・」

腕の中でうごめく赤ん坊を抱いて、シリは泣きながら笑った。


その横顔が、あまりにも美しくて、胸が痛くなるほどだった。


オレはそっと彼女の肩を抱き寄せ、静かに言った。


「もう何も言わなくていい。これからはオレが二人を守る」


オレは赤子をもう一度抱き直し、頬に指先で触れた。


小さな唇がもぞりと動き、

その温もりが胸の奥まで沁みていく。


「この子の名は、ユウとしよう」


「ユウ・・・?」


「グユウの“ユウ”だ。オレの命の一部を、この子に残したい」


赤ん坊は小さく息を吐き、すやすやと眠りについた。


長い睫毛が、頬に影を落としていた。


「・・・素敵な名前です」

シリの瞳から再び涙が溢れた。


涙を流しながら、エマは静かに赤ん坊を受け取った。


「オレたちの子供だ。かわいいな」

その言葉に、シリは涙の中で小さく笑った。


2人は手を握り合い、

黒い瞳と青い瞳に溢れ出た涙の中から、そっと微笑みを交わした。


外では雪がやみ、白い光が静かに窓を照らしていた。


レーク城の小さな部屋に、

新しい命のぬくもりが、確かに灯っていた。


冬が終わりを告げる朝――その光の中で、オレは初めて、

「父になる」という意味を知った。

お読みいただきありがとうございました。


この物語は、『秘密を抱えた政略結婚』シリーズの原点にあたります。

“偽りの子”を抱いた妻と、“オレたちの子だ”と受け止めた夫――

たった一夜の対話が、彼らの運命を静かに変えていきました。


本編では、この夜から動き出す長い時代の流れが描かれます。

血に抗い、恋に揺れ、そして彼女たちはそれぞれの愛を選んでいく。


▼シリーズ本編はこちら

『秘密を抱えた政略結婚 ― 一血に刻まれた静かな復讐 禁断の恋が運命を変える ―』

https://ncode.syosetu.com/n9067la/


短いお話ではありますが、

この夫婦の静かな決意が、どこかであなたの心にも届きますように。


血に抗い、恋に揺れながら――

彼女たちはそれぞれの愛を選んでいきます。


**『<短編集>無口な領主と気丈な姫の婚姻録』**

https://ncode.syosetu.com/N9978KZ/

※この短編も、1週間後に短編集へ追加予定です。


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