The Journey of Destiny
コンマ数秒を競い世界最速を決める競技、世界選手権男子100m走決勝。ゴールラインをすぎた瞬間万来の拍手と歓声が鳴り響く。そしてその歓声をうける人物の後ろで一人の『悪童』がひそかにたたずんでいた
『英雄』ミファー・ガブリエル、陸上世界選手権驚異の三連覇!!史上初の四連覇に期待!!
そんな文章が大々と乗っているネットニュースを見て男は機嫌悪そうにぼやいた
「ハンっ、英雄様は人気でいいねぇ...」
男の名はカイル・ヴェルディ。世界選手権男子100m3大会連続2位の男である。ロクに練習もせずインタビューでの返答も態度も最悪。そしていつも英雄であるミファーに敗北する姿から人々は彼のことを『悪童』と呼んだ。
故に彼は世間的にもヒールの立ち位置だ。しかし彼は
「おっ、俺の記事もあるじゃねぇか。なになに?〖『悪童』カイル、またも英雄の前に散る!!〗いい記事じゃねえか。ちゃんと俺の顔がドアップでかっこよく写ってやがる。おい、てめぇ。この記事そこら辺でいっぱい買ってこい」
私は彼がヒールというの立ち位置を全く気にしていないように見えた。最早、『悪童』という名を気に入っている様だった。
「てめぇじゃないでしょ、ちゃんと人に物を頼む時はちゃんと目を見てしっかりと「はいはい、分かったから、お願いしマース。これでいいだろ?」
「...分かったわ、行ってくるからちょっと待ってなさい。後あんた、この前のレース、またインタビュー無視したでしょ!ちゃんとしてよね、後から対応されるこっちの身にもなりなさい」
私の指摘にカイルはだるそうに
「はいはい、分かったから早く行ってこい」
私はため息をつきながら近くのコンビニへと向かった。
おっと、私の説明をしていなかった。私はカイル・ヴェルディの代理人として働いてる者だ、メディアや選手への対応その他もろもろをさせられている苦労人でもある。カイルがあんな好き勝手やって陸上界から追放されないのは8割くらいは私の功績だろう。...流石に言い過ぎか、5割くらいってことにしておこう。残りの5割は彼の実力だ。
実際、彼の実力は本物だ。圧倒的な加速力を武器にし、様々な大会でその力を見せつけていた。ミファーが出てくるまでは彼が世界の頂点で間違いはなかったし、ミファーがいなければ彼は世界選手権を3連覇していただろう。
そう、ミファーがいなければ...
今思えば、カイルがこのようになったのはミファーが出てきてからだったような気がする。
いけない、こんなことを考えすぎて買い物が遅れたら彼が機嫌を落とすかもしれない。
そう思いさっきまでの思考を捨てて一目散にコンビニへと向かった。
「カイル、あんた今日の練習は?」
世界選手権から月日がたったある日、今日も一応のごとくカイルに聞くと彼はいつものごとくだるそうに言う
「あぁ?練習なんてするわけねぇだろ。今日は兄弟たちとどんちゃん騒ぎする予定があるんでな。暑苦しい中で走るなんて御免だね。」
いつもこうだ、練習をしないかと聞くと何か言い訳をしてどこかへふらっと行ってしまう。大体は酒や女などのしょうもない理由なのだろうが。仮にもアスリートなのだから酒の飲みすぎは勘弁してほしい。
え?なんでそんなこと思ってるのに止めないんだって?
私だって最初の方は止めたさ、無理やり彼を練習場につれていったこともあったし罰金やらなにやらした。しかしそれでも彼は止まらなかったのだ、もうそれで私も諦めてしまった。
「えぇ。わかったわ、飲みすぎだけは注意してね」などと軽い静止だけ、そして彼はすぐに部屋を出ていきどこかへ行ってしまった。
今の姿しか見ていないあなたたちは信用できないかもしれないが昔の彼はここまで悪に染まっていなかった。
カイルがアスリートとして生計を立てていたころには私は彼の代理人をしていたため彼とは長い付き合いだった私が言うのだから間違いはない。私は事務所を歩きながらそのように考えていた。
元々彼は熱心で負けず嫌いな努力家だった、毎日のようにトレーニングだってしていたし、食事制限などもしていた本物のアスリートだった。(今の姿を偽物のアスリートとは言わないが。)
そんな彼は変わってしまったのはきっと...
「あれ?あなたはカイルさんの代理人さん?」
ふと、誰かに後ろから話しかけられたような気がした。私はその声に反応して振り返るとそこにはかの『英雄』がいた。
「お久しぶりです。」と丁寧な口調で私に話しかけてきた金色の髪をした背丈の高い男性。
私は彼の名前を知っている。いや、私だけではない世界中の多くの人が彼のことをしっているだろう。
「ミファーさん?お久しぶりですね。どうしてこちらに?」
『英雄』ミファー・ガブリエル。25歳にして世界選手権三連覇した陸上界のスター。圧倒的な才能とそのルックスから多くのファンがいる。彼の天才エピソードは多くあるがその中でも有名なのが齢19にして初出場した世界選手権。その時のタイムが9.60。このタイムはかの『雷帝』が偉大なる記録9.58に並ぶ速度で初制覇した話。
「~~ってわけでここにいます。ん?大丈夫ですか代理人さん?」
「あっ、すいません。考え事をしていただけです。すいませんね。」
いけないいけない。こんなことを考えてばっかでミファーの話まったく聞いていなかった。もう一回話を伺うと彼は「大丈夫ですよ」と言ってもう一度内容を話してくれた。どうやら今日はドキュメンタリー番組の取材があったそうだ。そのためスタジオでの撮影後にここにいるという
「んで、取材が終わったのでそろそろトレーニングしにいく所なのですが...もしカイルさんと代理人さんがよろしければ一緒にトレーニングとかどうですか?」
「あー...実は今日あいついないんですよ。ごめんなさいねミファーさん。」
と私が言うと彼は「そうですか...」と少ししょんぼりとしながらトラックへと一人で向かった。
彼の説明が一つ抜けていた。彼は天才であり努力家だった。
そんな姿を見て私はふと一人の存在を重ねていた。
ミファー・ガブリエルに負けるまでのカイル・ヴェルディという一人のアスリートだった。
カイル・ヴェルディという青年は天才だった。
若くして同世代の中では頭一つ抜けている実力をもっており、その才能は世界のトップアスリートとも互角のレースを繰り広げれるほどだった。
そして彼は毎日のように走っていた。私がいくら今日はオフだと言ってもオーバーワークだと言っても彼はいつだって走り続けた。
私はそんな彼にひとつ質問をしていた。
「なぜ、そこまで走るのか」
彼はそんなありきたりな質問に少し悩みながらもはっきりとこういった
「走るのが好きだから」
思ってた答えのまま返ってきた。それもそうだろう、彼はいつだって走るときはいつも笑顔で、自己ベストが出たら全身でその感情をあらわにし、負けたら全力で悔しがり。次のレースではリベンジを誓う。そんな好青年といった印象だった。
もちろんメディアへの対応もよく人気もあった。しかし、そんな彼にも絶望が存在していた。
彼がアスリートとしての道を着々と進み、やがてトップアスリートと呼ばれるようになってきた頃にその絶望は現れた。
世界選手権、下馬評通りにカイルは決勝へと駒を進めた。そしてスタートの合図とともに会場、いや世界中が驚愕した。圧倒的なスピードで先頭をかけるまるで稲妻のような光がいた。カイルがどれだけ加速しようと届かない。そしてその陰すら踏ませずにその光は1位を駆け抜けた。そのタイムと圧倒的な力によって世界の目はカイルからその光であるミファーへと移った。
その時のカイルのタイムは9秒70 自己ベストだった。
その後もカイルはミファーに負け続けた。最早カイルには悔しさという概念が消え失せていた。どれだけ早く走ろうと、どれだけ努力しようとあの光には追い付けない。メディアからも比較されつづけ、そして『二番手』という言葉が世間で定着するようになっていた。
私も彼のメンタルケアや彼のマネジメントなどをしっかりと行ったが日に日に彼は練習に参加しなくなり酒におぼれていった。
そんな彼に私は初めて怒りを感じた。【あの】カイル・ヴェルディはどこにいったのか。お前は【あの】カイル・ヴェルディじゃない。【あの】カイル・ヴェルディを返せ。そのような感情が心に巣食い、そして。激情のまま彼にぶつけた。そんなだから『二番手』なんだと。ミファーに勝てない理由はそこじゃないのかと。そう言った。あの時の私は感情のコントロールが出来ていなかったのだろう。あまりどのような内容をどのような口調でいったかは詳しく覚えていない。しかしそのあとのことは覚えている
「うるせぇんだよ!!どいつもこいつもミファーミファーミファー、黙れ!何が『二番手』だよ!!なんで俺があいつと比べられなきゃならねぇんだよあいつは天才で俺は凡才だぞ!!!どんだけ練習したってあいつには勝てねぇ!だって才能の差があるからな!別にいいじゃねぇか二番だって!!!二番でも金は手に入る!二番だって他のやつより強い!!なのになんでそこまでして一番を狙う必要あるんだよ!!もう嫌いだ世間もメディアもお前もあいつも走るのだって!!!」
そう、苦しそうな顔で彼は言ってきた。
私はその時に感じた。もうカイル・ヴェルディというアスリートは死んだ。残ってるのはその抜け殻だけだった。
オリンピックまであと半年、俺は今日もあのクソな練習から抜けて家で酒でも飲んで一日をどう過ごそうか考えていた。
しかし、今日だけはそのようなことはできなかった。あの代理人が今日はいつもとは違う感じだった、何やら特別な事情があるらしく今日は絶対に練習をしてもらうとのことだった。俺はそんなこと知ったこっちゃないから帰ろうとしたが怒涛の剣幕で迫られてしかたなく少しだけ練習をするためにトラックへと足を運んだ。しかしそこには見慣れない影があった。
近づいてみるとそこには車いすにのったやせ細ったガキとその母親らしき女性がいた。
「おいてめぇ、これはいったいどういうことだ?あとガキ、『英雄』さまならここじゃねぇからさっさと帰んな」
代理人に詳しく話を聞こうとすると母親らしき人物が俺に声をかけてきた
「あのっ、この子カイル選手のファンなんです。病院でもいつもカイル選手の動画とか見たりしてて...今日だけ特別に外出許可が出たからカイル選手を見に行きたいって止まらなくて」
「だそうよ、カイル。だから私は今日あんたに帰ってほしくなかったわけ」
なるほど、こいつが言ってた特別な事情とやらはこれか...それにしても『英雄』ならわかるが俺のファンだぁ?俺は別に人から好かれるようなことはした覚えがない。自分でもそれくらいはわかってるはずだ、だがこのガキは違うのか?
ガキは緊張したような顔で
「ぼっ、ぼくカイル選手の走りにいつもあこがれてて」
「ㇵッ、走りならあいつの方が早えだろ、ちゃんとレース見てんのか?」
「ちょっとあんたその言い方、「うるせぇ黙ってろ」
ガキは俺の剣幕に少しだけビビッてたがすぐにこう返してきた。
「は、はい、でもカイル選手の走りとても好きなんです!後ろから最後グッーって上がってきて最後にみんな抜かして一位をとるのがとってもかっこよくて!!」
「ハっ、そうかよ。」
嫌な気分ではなかった、不思議とさっきまでの嫌悪感を少しだけ晴らしてくれたような、そんな感じがした。そして「かっこいい」その一言がなにより俺の心に深くささっていた。
少し離れたところで代理人と母親が話をしていた。たぶんこのガキと俺を気遣っているのだろう。
ったく、俺はガキの扱いには慣れてねぇってのに...しかもこんな弱ったやつなんて...
「カイル選手!一回だけ生で走ってる姿がみてみたい...です。いいですか?」
ガキは唐突にそんなことを言ってきた。これが代理人が言ってきたなら容赦なく断っていたがそんな気持ちにはなれなかった。こんな気持ちになったのは初めてだ。少しだけ心が浮き彫りにされていくような、そんな感じだった。
「...良いぜ、よく見てろよ。」
俺は初めて誰かのために走った。
もしかしたら少年が彼に走ってほしいといったのだろう。彼はセットポジションになりスタートの準備をした。彼が人の話をお願いを聞くのなんて珍しい。そう思った。そしてスタートした。
驚いた。
「あいつ、笑ってる?」
笑っていた。あんなに心が砕けて走るのさえも嫌いになっていたあの頃からは想像できない。『彼』は今、初めて走りで笑っている。そこまであの少年との会話で心が動いたのか。何を話したのか疑問に思う。その後にすぐに悔しさが私の心の中に渦巻く。
彼は今変わりかけている。しかしそのきっかけを作ったのは私ではない。あの少年だ。長い間彼につきながらも彼を変えるきっかけを作れなかった自分への苛立ちもあった。しかし、その気持ちはすぐに消え失せた。彼は100mを走り切り少年の元へとまた戻った。
少年ははしゃいでる様子で彼と会話をしている。彼は少年の話しながらもその顔には笑顔がしっかりと浮かんでいた。
きっと彼は今『カイル・ヴェルディ』へと戻りかけている。そんな気がした。
少年は水を買いに母親とともに自動販売機のほうへと向かっていた。私は彼、カイルに近づき声をかける。
「あの子供、幼いころからいつ命を落とすか分からないほどの病気を抱えているそうよ。」
「...そうかよ、んで?なんでその話を俺に言おうと思った。」
「あのお母さんが言ってたわ。あの子は、自分は体が動かせなくて走れないからこそ、あんたの迫力ある走りに勇気をもらってたんですって。」
「...そうかよ」
少年と母親が戻ってきてから数十分。もう空も東雲色に染まってきていた。母親がそろそろ時間だと言い、少年はそれに不満げながらもしっかりとお礼を言い帰ろうとしていた。
「おい、まてガキ。」
カイルがその少年を引き留めた。少年は驚いたようにカイルのほうを見ると
「お前は、走りたいと思ったことはねえのか?今までで一回も。」
カイルはその少年の目を見てはっきりと問うた。その言葉は車いすの少年には重すぎる一言だった。彼は生まれつきの病気で体もろくに動かせない。いつ命を落とすのかもわからない。故に自分が走るなんてことは思っていなかったのだ。少年はカイルの一言に動揺しているとカイルはその少年の近くにより背を向けしゃがんだ。
「おら、乗れ。」そう言わんばかりの行動だった。少年はその大きい背中に乗りカイルは立ち上がりそのままトラックを走る。
カイルは感じていた、軽すぎる。ただただやせ細っているだけではない。もう、体も朽ちかけている。そんな中で自分の元へ来てくれていた。そんな少年にカイルは感謝の意すらあった。カイルは少年を乗せて走った。風を切って空間を進む。そしてゴールをすぎだんだんと減速していく。走り終わった合図だった。少年は最後にカイルに言った
「ありがとうカイル選手!オリンピック絶対優勝してね!!」
「あぁ、任せろ」
カイル・ヴェルディが初めて明確に勝利すると。あの『英雄』に勝ち自らが最強であると証明することを決めた。
少年との出会いの後も彼は必死で練習を続けた。オリンピックまでに自分の最高の肉体にして少年に金メダルをとったところを見せると決めた。代理人もそんな必死な彼を全力でサポートした。
少年の訃報が入ってきたのはオリンピックの一週間前だった。
代理人はこのことをカイルに言わなかった。言ってしまうと彼の頑張っていた目的が無くなってしまうと考えたから。だからこそ代理人はいつも通りを装いカイルに残りの一週間を調整してベストな状態で迎えてほしかった。しかし、カイルはそんな代理人の願いとは反対だった。さらに強度が増し、さらに鬼気迫った様子でトレーニングをしていた。
オリンピック陸上男子100m 決勝
決勝に出そろった選手が一列に並ぶ。第3レーンにはミファーの姿があった。風はほぼ吹いておらず天気も良好。観客のボルテージもマックスまで高まっていた。しかしそれは誰が優勝するかを期待する声ではなかった。大勢が期待するのはミファーによる世界記録更新。ミファー本人も記録を塗り替えるための実力をつけていた。しかし彼の目線はゴールではなく第1レーンにあった。
目を瞑り、静かにスタートまでを待つカイルの姿だった。そのすさまじい集中力から出る迫力、ミファーは彼を警戒していたがすぐにその邪心を捨てレースに集中した。そして全員がセットポジションにつく。
スタートした。いいスタートをきったのはやはりミファーだった。観客はそのスタートに大歓声。きっとこのまま駆け抜ける。誰もがそう思った。
カイル・ヴェルディは一週間前の代理人の様子がなにか変だったことに気づいた。しかし代理人は何があったのか話してはくれなかったが彼は理解した、だからこそ、努力を続けた。限界までそぎ落とした肉体には鬼が宿った。彼は前を必死で目指す、視界の右前に移る選手なんて気にせずに。ただただ走る。かっこいい走りだと言ってくれた者がいた。いってこいと激励を送ってくれた者がいた。命が朽ちるまで応援してくれた者がいた。だから走るのだ。彼の走りは色をも追い越しモノクロの世界が広がった。背中に少しばかりの重さを感じる。それは重圧による重さではなかった。いやな重さではない。軽すぎる重さだった。風をきって走る。この瞬間だけは彼はひとりで走ってなどいなかった。やがて視界の右にいた選手が見えなくなる。それでも走る、走る、走る。ずっと走れなかった者の分まで。あの少年の分まで走るのが自分に課された責務だと。ゴールとともに背中の重さがふっと消える。
大歓声とともにカイルの世界に色が取り戻される。
電光掲示板に書かれたタイム 9.56
世界を、記録を塗り替えたのだ。
彼は雄叫びを上げ続けた。大歓声よりも大きく勇ましく、まるで『英雄』のように
その咆哮はきっと天にまで届く