025 アラネアの群れ VS 狐 ②
右の脇腹、開いた傷口から零れる血を隠すように、私は壁に沿って立つ。
周囲は黒いアラネアに囲まれ、さらにその後ろからは白い波のようなアラネアの大群が迫る。
洞窟の、目の前にある地面も壁も天井も、そのすべてを塗りつぶす勢いの巨大なクモの群れ。
……壁際に……追い…こまれた…。
その光景に、この状況に。
私はただひたすらに、"死"を感じた。
あぁぁぁああぁぁぁぁああああああっっ!!!
胸中に絶叫を響かせながら、私は地面を蹴って跳ぶ。
直後、私が立っていたところに立て続けにアラネアの攻撃が炸裂し、さらに回避した私を追うようにして続けざまに蜘蛛糸が殺到する。
大群が追いついてきたからだろう、視界いっぱいを埋め尽くされそうなほどの量の蜘蛛糸が殺到して───
私はそれを、火纏で無理やり突破した。
そのまま、勢いを殺さず壁を蹴り、地面に着地する。
……かっ、かべ!!
間髪入れずに飛んでくる複数の攻撃と蜘蛛糸を再び跳躍して避けつつ、私はその時咄嗟に思いついたことをそのまま実行に移す。
壁を走ってこの包囲を抜ける!!
あの黒いアラネアたちは地面に突っ立って私を囲んでるだけ!まだ完全包囲されたわけじゃない!!
向こうが壁を走るなら私だって走ってやるわぁ!!
あいつらを牽制しながら壁を走って、この包囲を抜けて、そのまま逃げる!
それしかっ、ない!!
考えが浮かんできた途端、恐怖でぐちゃぐちゃだった頭の中が冷えてくる。
死の気配に凍り付いた心に、僅かながらの余裕が戻る。
殺到する攻撃を走って回避し、避けきれないものは体を捻って極力ダメージを負わないよう努めて、蜘蛛糸は火纏で焼いて、致命傷を避けながら壁沿いに走って助走をつける。
その動きに、黒いアラネアの一匹が反応。私の進路を塞ぐようにして走ってきたが……
火玉!!
そのアラネアに対して、私は咄嗟に火玉を放って牽制。
狙い通りに打ち出された火玉は私の退路を塞ぎに来た黒いアラネアに真っすぐ飛んでいき、そしてアラネアが横に跳んで回避したことで不発に終わった。
よし!!
だが、今はそれで十分。
もしこれで、今の黒いアラネアが火に耐性があったら、それで私は詰んでいた。
避けてくれてありがとうクソッタレ!!
私はそのまま、空いたスペースを突っ切って跳躍。
さらに壁を蹴って、さらに蹴って、蹴って、さらに蹴ろうとして、失敗した。
うおっ!!?
咄嗟に体のバランスをとって着地する。
人間の体だったら間違いなく墜落していたと思うが、そこはキツネ。無意識にでも尻尾で上手くバランスをとって適切な体勢になれる。
ずっと走っていこうとしちゃったけど、流石にそれは無理か…。
…でも、包囲網は抜けれた…!!
開けた前方の景色を見る。
背後には、私はなおも追いかけてくる莫大な気配。
だが、もう遅い。
私が包囲を抜けようとしたときに一匹しか動かなかったのが運の尽き。
包囲を抜けた今、こっちはあと逃げるだげぇ"っ"!!?
開けた視界。生き残れる可能性。希望。
それが見えて、あとは、踏み込むだけ。
だけ、なのに。
ふみ、こ、め……え?
ガクリと視界が下がって、後ろ足に力が入らなくなる。
……いや、違う。入らないどころじゃない。
────感覚が……ぁっ
振り向いて、気付く。
あ、足が。後ろ足が……なくなって……っ!?
私の後ろ足は、両足ともに膝より下が無くなっていた。
ぅぅぐあぁぁぅぅぅ"ぅ"ぅ"ぅ"ぅ"!!!?
傷を自覚したからだろうか、途端に体を蝕むとてつもない激痛に悶える。
痛覚耐性があっても、四肢欠損レベルの痛みは中々きついらしい。
なんで足が…ぁぁっ……ぐぅぅ!!
カサ。
カサ、カサ。
心の余裕は、必須だが危うい。
心に余裕があることは強さに繋がるが、同時に、ほんのわずかにでも扱いを間違えるだけで弱点となる。
即ち、油断に。
そして、そんな陽炎のような不安定なものを、この間まで引きこもりの女子高生だった私が咄嗟にうまく扱える道理など、どこにもなかった。
なぜ私は壁に追い込まれたのか?
なせ私は退路を塞がれたのか?
そもそも、私の脇腹の傷は、何につけられた?
───全部、全部。
こいつらが原因だった。
だというのに私は、ただ必死に逃げたいがために、逃げられる可能性に縋って、こいつらを軽視していた。
最初に受けた完全な奇襲の意味を、よく考えもせずに。
目の前を、黒い影が覆う。
真っ黒な外骨格に身を包んだアラネアの群れが、まるで死神の迎えの如く私を囲んでいた。
刃のように薄く尖った、鋭利な八本足で立ちながら。
………土掘。
…土掘。土掘………土掘!土掘!土掘!土掘!!!
それは、ほとんど無意識的な行動だった。
前も横もバケモノに囲まれていて、後ろには"土"の壁。
だから他に逃げ道などなくて、頭の中にある私の手札の中から唯一使えるカードを、ほとんど反射的に切っただけだった。
そのまま、背後に掘った穴に転がり込む。
直後に地面を鋭利な何かが抉る音が聞こえ、見やれば私を囲んでいた黒いアラネアたちがその鋭利な足を振り下ろしているところだった。
……ぁ……まだ…助かる……?
まだ…いける…っ!!
形成!!
空けた穴の入り口を、塞ぐようにして土を形成する。
…が、さすがにそこまでうまくはいかないらしい。
穴が塞がることを防ぐように、黒いアラネアの手が突っ込まれた。
ひぃぃ!!ぅぁぁああ!!火玉!!!
咄嗟に放った火玉が、ちょうど穴に入ってこようとしていた黒いアラネアの一匹に直撃。後方にわずかに吹き飛ばす。
ああぁぁあぁ!!火玉!土掘!火玉!土掘!火玉!火玉!火玉!!火玉!!!
そこからはもう、ひたすら必死だった。
穴の外側をどんどん埋め尽くしていく膨大なアラネアの気配に、頭まで千切れそうになる後ろ足の激痛、ガリガリと入り口を削られる音、無理やり入ってこようとするアラネア。
その恐怖に、ただ死にたくないという一心で、気が狂いそうになりながらひたすら火玉を放ち続けた。
アラネアはそんな私は殺さんと、火玉が放たれるのもお構いなしに穴へと入ってこようとする。
だが幸いというか、この穴はとにかく私が逃げれればよかったので、かなり狭かった。
私ですら、足があったとしても立ち上がれないだろう程度のギリギリの狭さだった。
そのおかげでアラネアは穴に入ることに苦戦し、その間に私の火玉をいくつも喰らって、どんどんと力尽きていった。
それこそ、レベルが上がってしまうほどに。
『条件を満たしました。〈ヴァルプスLv.8〉が〈ヴァルプスLv.9〉になりました』
『条件を満たしました。各種ステータスが上昇しました』
『条件を満たしました。スキル〈魔力感知Lv.3〉が〈魔力感知Lv.4〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈魔力操作Lv.4〉が〈魔力操作Lv.5〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈暗視Lv.4〉が〈暗視Lv.5〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈記憶Lv.3〉が〈記憶Lv.4〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈鑑定Lv.3〉が〈鑑定Lv.4〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈魔闘気Lv.1〉が〈魔闘気Lv.2〉になりました』
………ただ、私にはこれを聞けるほどの余裕はすでに残されておらず。
『条件を満たしました。〈ヴァルプスLv.9〉が〈ヴァルプスLv.10〉になりました』
『条件を満たしました。各種ステータスが上昇しました』
レベルアップを告げる声など耳に入ることはなく。
『条件を満たしました。スキル〈魔力操作Lv.5〉が〈魔力操作Lv.5〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈視覚強化Lv.2〉が〈視覚強化Lv.3〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈気配抑制Lv.2〉が〈気配抑制Lv.3〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈威圧Lv.1〉が〈威圧Lv.2〉になりました』
魔力が全く切れる気配もなく火玉を放ち続けられることに疑問を覚えることすらなく。
『条件を満たしました。スキル〈思考加速Lv.3〉が〈思考加速Lv.4〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈魔鎧Lv.1〉が〈魔鎧Lv.2〉になりました』
『条件を満たしました。スキル〈痛覚耐性Lv.5〉が〈痛覚耐性Lv.6〉になりました』
ただただ、死にたくなくて。食い殺されたくなくて。
火玉を放ち続けて。
『条件を満たしました。スキル〈恐怖耐性Lv.1〉が〈恐怖耐性Lv.2〉になりました』
だから、外のアラネアの気配がいつの間にか無くなっていることにも気が付かずにいて。
『条件を満たしました。〈ハイヴァルプス〉〈ウィンドヴァルプス〉〈フレアヴァルプス〉のいずれかへ進化が可能です』
その、今までに聞き覚えのない内容の声に気が付いたのは─────
『進化しますか?』
ふぁ…ふぁいあぁ………ぁえ……?
魔力が枯渇して、魔法が撃てなくなってからだった。




