第一尾
言うまでもなく、誠人が日本へ来た目的の少なくとも一つは国外逃亡だ。駅に着いてからはまた別のタクシーを使い、潜伏の場所として訪れたのは北側の片田舎。しばらく歩いた後、人気のなさそうな一軒の民家を見つけた誠人はたまたま通りすがった一人の老婆に尋ねた。
「ごめんください。少々お聞きしても?右手の家のことなのですが」
「あぁ、山田さん所ね。あんた、戦後処理の奴さんやろ。奥さん、先日亡くなりはったわ。特攻に行っても奥さんの病気には勝てないのにねぇ……」
「慎んでお察しします。ところで、ここはとても良い場所ですね。のどかで」
「んなこたないわ。何にもないで、ホンマに。せやけど、落ち着くんはそうよ。あんたもこんな仕事してたらすぐ疲れはるやろうし、いつかこっちに来てくれるのもええなぁ。古臭い村やけど若もん来てくれたら嬉しいわ」
身にまとっていたスーツがたまたま都合の良い誤解をさせ、長期潜伏の住所も確保できそうだった。
「そうですね。処理の仕事も長いことやってきたので、もうそろそろ休みにまた来ます。その時はよろしくお願いします」
その後彼はまた駅前まで戻り、チェックインを済ませたホテルの一室から街並みを眺めた。これから二週間あまり、彼は万が一警察に自分が手配されることを考えて潜伏しながら状況を把握することにした。勿論、彼は英国での詐欺を警察にすぐに露見させるような方法は採っていない。そのうえ、日本このくにに足を踏み入れてからも、情報を得るために人を訪ねる時、常に『戦後処理』とだけ偽って、誰にも深い事情を探らせないように考えを巡らせている。
その心配は杞憂に終わり、少なくとも誠人が日本へ逃亡していることすら知られるのはまだ先になりそうだと分かった。また、駅からあの村の方向へ向かう人は一人も居らず、あの空き家の相続はまだ始まってすらなさそうだとも推測した。
「ほらーこの五円玉が動くよー。ち……え…こ、この人が君の気になってる人かなぁ?」
「ち、違うってバァカ」
(こっくりさんなんて久しぶりに見たな)
舗装されていない道沿いにある駄菓子屋から子ども達の楽しげな声が聞こえてくる。見ると片方は中学生くらいの女の子が、その3,4才ほど年下の男の子のことを占っていた。女の子の方なんか、ボロボロで丈も短いとは言え着物を召している本気っぷりだ。
ホテルを出た誠人は二週間前に訪れた村に再び戻り、その家に住むことにした。相続関係や不動産会社にこのことを突き詰められたら、この家本来の値段の倍以上の値段を払って黙らせるという少々心もとない即席の計画だったものの、敗戦国であり米国から支援を受けていてもまだ欧州諸国には経済力が遠く及ばなかった頃の旧日本帝国民からすれば、誠人が英国で複数の詐欺によって築いた莫大な資本にはそれほどの力が十二分にあった。
「おはようございます」
「あぁ、東さん。おはようさん。朝から荷下ろしご苦労ですなぁ。ワシもお手伝いしたいのはやまやまなんですけども……もうちょっと腰がいうことを聞けばぇ」
「気にしないでください。それより、今日は神社の方が賑やかぁな感じがするのですが、何かあるんですか?」
過度なコミュニケーションは人間的に怪しまれるが、逆に最低限しかかかわらないというのも憚られる。潜伏と消息不明は一見同じように見えても似て非なるものなのだ。誠人は、もっとも怪しまれない距離感で向かいの家との交流関係を良好に保ちつつも、聞きたいことはしっかり聞くようにしていた。朝早くからチャンバラごっこやケンケン足をしながら神社の方へ向かう子どもの集団のことを聞いたのは、国外逃亡を完全に成功させたことで彼が安堵していたことも要因の一つだった。
「あー。……『稲荷祭り』だっけな?終戦してちょっとした頃から復興の景気づけ、みたいな感じで始まったんだねぇ。どんな祭りかはさっぱりなんだなぁこれが、なんしろ一度も行けてないもんですから」
誠人の近所であるこの老人も、この村には最近引っ越してきて誠人とも時期はそう大差ない。
大戦では空襲による疎開など、人の移動が盛んに行われ、食糧問題なども少しは和らいでいた。……そう言ってしまえば多少の聞こえはいいかも知れないが、事実として多くの“身寄りのない人“を作った。
この村にも多くの疎開者が訪れ、同時に一定の割合で家族、住む場所をともに失い、結局は村に定住することを選択する人がほとんどだった。そのせいか、村では老人も多いが同じくらい子どもや若者も住んでいた。
「恐らく、まだしばらくは大阪辺りから移住者が来るだろうなぁ。無駄に活気があるのも困りものだ」
誠人が現在進行形で文句を言っているのはその活気あふれる祭りの一角、賽銭箱横の長椅子。正に発言と行動が伴っていない状況なのだが、それもこれも目の前で自分の得意分野のショーが白昼堂々開かれていたからだ。
「あなた方がどこから来たのか……この十円玉が示してくれます。あぁ、年齢でも、運命の人でも何でも占えますよ」
いや、普通の人から見たらショーとは言えない。祭りに来た人で通りかかったのを捕まえて占いをしているだけだが、誠人から見れば『詐欺』にしてはネタバレのしやすいショーとして感じられた。
「……只今のところ、金運は少し下がってきていますよ。でも、安心してください!結果からも謙虚でいれば問題はないと出ていますし、ここの神様は金運に通じているんですよ?この十円は代金ですけど、どうぞお賽銭に入れて行ってください」
祭りは古くからぼったくりの本場と言われる。その中でも気付かれにくいのが所謂『マッチポンプ式』。
占いを行っているのはいつか見たこっくりさん少女で、あの時と同じ着物姿なことからほぼこの村の住民で間違いない。一見客を憐れんでもらった代金を賽銭に使わせる優しい少女だが、普段から着物姿でいるあたり彼女は十中八九この神社の関係者、または祭りの運営委員で間違いない。
この手口では被害者はカモにされているということに気付きにくく、現に今占われた客も安心した表情で参拝している。――代金はくすねられているのも同然なのに。
しかし誠人が興味を抱いたのは手口ではなく技術だった。こっくりさんは彼の幼少期の記憶だと複数人でコインを抑えて誰かが動かしても分からないようにするものだが、いま行われているのでは客のみコインに触れている状態で占っているのだ。占っているのは出店ではなく大き目の切り株の上なので、子どもがそんなところに磁石を仕込むとも考えにくい。
「俺も占ってもらっていいかな。これ代金」
「いいですよー。何にしましょうか。五十音と○×で答えられるものなら何でも構いませんよ」
もしも少女がただのぼったくりというだけなら誠人も首を突っ込まなかっただろう。また、それが彼の長い間眠っていた悪戯心を呼び覚ました。
「じゃあ試しに俺の妹の名前を占ってみてくれ」
「はい……全てはこの十円玉が……あれ、ホンマ失礼なんですけど、妹さんいるのは本当ですか? 上の名前までは分かるんですけど、辛……なんちゃらさん?どうしてもこれは出てこないみたいですね」
「凄いな。俺に妹はいないよ」
「な、中々意地が良くないですねお客様」
「アズマでいい。もう当てただろう」
代金の十円玉に指を乗せた途端、ゆっくりとだが確かに『あ・す・゛(濁点)・ま』の位置まで形容の難しい力が働いて、それぞれ数秒動きが止まってから次の文字へ動き出す。これには誠人も素直に敬服した。
「……こんな感じですね。大変な人生を送られているんですねぇ、旅行だってほとんど無いのに海外からの来るなんて。最後に、先ほど『懺悔を求められる』って出ましたので、良ければ代金は……ん?あれ?十円玉はどこにいっちゃいました?」
代金分しっかり占ってもらった後、恒例化してる手口のつもりで見た切り株の上には十円玉がいつの間にか消えていた。
「あれ、俺は触ってませんよ」
「そう、ですよね。あたしも見てましたし。しょうがない、お客様に加護があるように、このお金を……って!?えぇっ?瓶の方も無い!」
誠人は湧き出す笑いを抑えながら、中身を入れ替えた小瓶を少女に見せた。
「賽銭に入れたのが瓶に移るのはどうやってるんですか?ほら、五円玉ならたくさん入ってますから、俺はこれを使わせてもらいます」
一瞬だけぽかんとして誠人と自分の手元を確認したのち、誠人を二度見して自分の瓶が奪われていたことに気付いた少女、そして自分が調子に乗りすぎたことに気付いた誠人。それぞれが発した第一声は。
「あぁ、別に、取ろうとしたわけじゃなくて。手品を齧ってたもので」
「……弟子にしてくれません?」
どこかずれているという点では二人は非常に似ていたと言える。