君はロマンス小説のヒロインだ。
「ダニー!!」
美少年のようなアデレードが、竜に乗って空から自分を不安げに見下ろし叫ぶ声。
その後竜から降りて、塔の階段を駆け上がってくる足音。
色々と細かいことは違えど、それはまるであの時の再現のようだった。
それは騎竜し戦うアデレードを見た時。
あの時もう既に、自分の心は奪われていたのだ──そうダニエルは思う。
「──ダニー……」
「アデル様…………」
だがあの時と大きく違うのは、塔を駆け上がったアデレードが怒るように心配する言葉を掛ける代わりに、今にも泣き出しそうなこと。
「か、身体はっ……」
全てを言えない言葉の分を補うように、口を開くと同時に瞳から涙がポロポロと零れる。
「アデル様……」
突然の再現のような予期せぬ再会と、彼女の涙。
それに動揺しながらも涙を拭おうと伸ばしたダニエルの手首を握り、アデレードはまるで奪い取るように素早く目の前に引き寄せた。
「……ああ……」
てのひらが、白い。
それを確認し、アデレードはそのまま両手で包むと感謝を捧げるように俯いた額に当てる。
──こんな風にされては、掛けられる言葉がない。
沢山話したいことや告げたいことがあって、『会ったらなにを言おう』とか『なにから話そう』とかそんなことばかりを考えていたのに、全身から迫り上がる名状し難いナニカに胸が苦しくて、単語のひとつも出てこなくなってしまう。
「……ご心配、お掛けしました」
「うん……」
ようやく出てきたのは、なんの捻りもない一言。
ダニエルの手首を掴んだ手を緩めたアデレードは、鼻をすすりながら涙に濡れた顔を上げ、笑う。
ダニエルも釣られたように笑った。
「──あっ……?」
アデルはダニエルのうしろの存在に気付き、声を上げる。
それはダニエルに言われた通り、お利口に待っていたリルである。
先程まで座っていたダニエルの膝に乗っていたが、騎竜したアデレードが現れたことによって、その場で待たされていた。
ようやく関心を向けられたリルは嬉しくて、しっぽをフリフリする。
《アデル!》
「小さい……けどリルなの?」
《そうだよ!》
そう、ダニエルが抱き上げられるくらい、リルは小さくなっていた。
その大きさは小型犬よりの中型犬程度。それはそれで可愛いが、もう背中には乗れなさそう。
だが、リルは元々この大きさだと言う。
『まだ成体でないのでは』というダニエルの推測は当たっていた。まだリルは子供なのだ。
文献で描かれていたのが盛られていただけで、成体は以前の大きさ……という点は外れていたが。
役どころが過分だったのはダニエルだけではないらしく、リルはこの地から力を借りていただけ。
そうなると『加護』や『力を戻す』などの意味合いも思っていたのと若干違ってくる。詳しく理解するには時間が掛かりそうだが、今はこれで充分だろう。
「アデル様」
ダニエルは上着のポケットから小さなケースを出す。
そこに入っていたのは、剣飾り。
良質な魔石と美しい装飾で作られてはいるが、この地のお守りを模したのだということはすぐわかった。
ダニエルがここに来るのに時間を要したのにはいくつか理由があるが、そのうちのひとつはコレだ。
花以外に、プレゼントらしい品を贈ることができなかったから。
「受け入れてくださいますか?」
「!」
ダニエルはアデレードの真意を正しく受け取ってここにいる。
彼は多くを語らないが、代わりに贈る物が煌びやかな装飾品ではなくお守りの剣飾りであることが、それを雄弁に語っている。
「受け取って平気? ……馬番じゃなくて、私の夫しか空いてないけど」
少しだけ悔しくてそんな風に言うと、ダニエルは声を出して笑う。
リルを間にふたりは階段に腰をおろし、アデレードは剣を外すと、ダニエルに柄の先を向けた。
緊張か寒さからか、剣に飾りを括るダニエルの手は僅かに震えている。
アデレードはその手をじっと見詰めていた。
──まだ不安だ。
てのひらは綺麗に戻っても、きっとこれからもずっと、不安は消えない。
本当にダニエルが意識を失っていた姿をアデレードは見ていない。
それが良かったのか悪かったのかもまだわからないが、できれば次は傍にいたいと思う。
なにもなく互いに歳を重ね、看取られる側でいられるのが一番いいけれど。
「できまし──」
──ゴーン、ゴーン、ゴーン。
声と同時に鐘が鳴り響き、ダニエルは身構えた。
そこまであの時と同じでなくてもいい。
剣を持ったまま慌てて立ち上がろうとするダニエルの手に、アデレードの手が優しく重なり軽く手を下へと引いた。
彼女の微笑む表情を見て、やや脱力気味に座り直す。
「……今のは?」
「前とは音が違うだろ? あれは教会にある鐘。 祝いの鐘の音だ」
「祝いの……」
「……」
少しだけ見つめ合い、ふたりは自然にそのまま軽く口付けを交わした。
離れると目が合ってしまい、双方が照れて笑い合う。年齢的には初々し過ぎるが、多分まだこれくらいがいい。
鐘は遅れてやってきて、神父に話を聞くなどしてダニエルがいると察したヘクターの指示である。
彼はなかなか気が利いている。
『お前が恋愛を語るな』と思ったが、訂正せねばならないかもしれない。その分クリフォードの今後は少し心配だが、それはそれである。
──春になり、ふたりの婚礼の義は華々しく行われた。
婚姻の書面はダニエルが戻るとすぐ受領され、それからリルはすくすくと育ち出し、春には元の大きさになっていた。
大分語彙の増えたリルが「パレードではダニーを乗せる!」と言って引かず、当日は『竜に乗る花嫁と聖獣に乗る花婿』というなにやら凄い図式が出来上がり、辺境伯領は大盛り上がりであった。
そして夏。
アデレードは懐妊した。
「アデル、ありがとう!」
ダニエルは大歓喜し、それはアデレードが若干引く程。
「いやまだ産んでないからね?!」
「はあああぁぁ心配! 騎竜とか絶対やめてよね!? 討伐は僕が行くから!」
「ダニーは行かなくていいよ!」
ダニエルの職務に討伐や駆除の類は含まれていない。力はついたが、そもそも兵を率いること自体が向いていないので。
彼が行うのは、ほぼ書類仕事である。
ランドルフの元で鍛錬は続けているが、講師であるランドルフが潜在魔力や加護の方に興味があるせいで、筋肉はあまりついていない。
「名前でも考えてて!」
「自分でつけたいけど、閣下につけて頂くのもいいなぁ……ただ」
「?」
ダニエルは、『ひとつだけ決めていることがある』と言う。
それは──男の子でも『キース』だけはつけない、ということ。
「もう呼ぶことはないけれど、僕の永遠のヒーローで恋人の名前だからね」
「ダニー……」
既にアデレードは『アデレード』と『キース』への想いを同時に抱え、ダニエルが(不毛にも)真面目に悩んでいたことを聞いている。
今となっては完全な惚気でしかないが、当時のダニエルは本当に苦しんだのだ。
「私がヒーローなら、君はロマンス小説のヒロインだな」
そう言ってアデレードは、わざとそれらしく髪をかきあげてフッと笑うと、耳元で囁いた。
「時々なら呼んでもいいんだよ? ダニーは特別」
「じゃ、じゃあ……キース君……」
「なんだいダニー」
「……なんか逆に恥ずかしい!」
「ははっ」
両手で真っ赤になった顔を覆う様は、かなりヒロインじみていて、アデレードは笑う。
そんなイチャイチャし出した若夫婦を、『こっちが恥ずかしいわ』と生温かい目で家人達は見守っていた。
辺境は、今日も概ね平和である。
ご高覧ありがとうございました!!