お陰様でしぶとくなりまして。
ダニエルが目覚めたのは七日後のこと。
伯爵邸に着いて三日目の夜だった。
強い王族の浄化の力と辺境から離れたお陰か、黒ずんだ四肢の一部は色を戻し、一番長く地についていた手のひらと膝にうっすらと残るのみ。
「こ、こは──」
早い内から王都暮らしだったダニエルは、領内邸宅の部屋は全く馴染みがなく、しかも客室。
どこだかわからないし、喉が渇いている。サイドテーブルに置かれた水差しが目に入り、取り敢えず身体を起こそうとするも──
「っ?!」
肩は動くが肘から下に力が入らないことに気付き、狼狽した。更に膝から下もだ、と気付くのはすぐだった。
(ここは病院……?! では、なさそうな……っていうか、僕はどうしたんだ? 森はどうなった?)
叫びそうな気持ちではいても、幸い(?)喉が渇いているので声は出ない。
そのうち暗いのに目が慣れてきて、使用人を呼ぶ鈴が見えたのでどうにか転がってそれを落としたものの、その拍子にダニエルもベッドから落ちた。
鈴よりもその音で異変に気付いたらしく、若い男が部屋へと入ってきて叫ぶ。
「ダニエル様?! ……ダニエル様がお目覚めになりました!」
「あ、あの……水を……」
「水ですね?!」
軽々とダニエルを抱き上げ抱えたままベッドに座った男は、水差しを取ってそのまま水を飲ませる。
(アレ? ……この人どこかで……)
看板役者のような美形のヘクターと、精悍な顔立ちのクリフォードを足して二で割ったようななかなかの美丈夫──
(──あっ)
「ちょっまっ……ごふっ?!」
「あっ、すみません!」
思い出したがそれよりも、水の勢いが良すぎた。そして起きた早々に鼻から水を出しつつむせている間に、親兄弟がやってくる。
「ダニー!!」
「ようやく起きたのか!!」
「チキショウ、心配させやがって!」
涙のご対面だが、ダニエルの涙の方はむせた結果である。
(そうかここは実家……!)
「げふッ……ゲフンゲフン、ちょ、ちょっとあの、なにがどうなってんの?! それに彼! ローズ殿下の恋人だよね?! なんでここに?!」
「ローズ殿下は修行に出ておりまして」
「はあ?!」
「それよりお前! やっぱり腕とか動かんのか?!」
「ああダニー! なんて不憫な!!」
「大丈夫です母上! 生きてるだけで丸儲け!! なっ、ダニエル!!」
愛情は有難いし、心配を掛けて申し訳ないが、外野がうるさ過ぎて全く話ができない。
それはリルと出会った夜を彷彿とさせたが、一方的に喋ってくる相手は残念ながら一人ではなく、どうにもならなかった。
「皆に心配を掛けて申し訳ない! 夜中に起こしてゴメン、とりあえず寝ましょう!!」
この夜、ダニエルは状況把握を早々に諦めた。
一旦落ち着いてもらう為に皆にはああ言ったものの、ダニエル自身は散々眠っていたわけで。体力は落ちているし身体も動かないので寝ようと思えば眠れるかもしれないが、まだ寝る気はない。
とはいえ話を聞く前から色々考えても仕方ないので、動かない身体の方をどうにかしようと試みることにした。
(感覚が遮断されている感じだ……ああ、そういえばあの時、一体化した気がしたっけ……アレがまずかったのか。 きっと入り込み過ぎたんだ)
言葉としてどう表現したら正しいかはわからないが、ダニエルが想像するところは概ね正しい。
思い出して、背中に嫌な汗が流れた。
『今、生きている』と感じられることで、急激に当時の状況への恐怖が襲いかかり、震えが止まらない。
あの時の感じを言い表すのは難しいが、恐怖などは一切感じなかった。
それどころか『多幸感に包まれていた』というのが近いかもしれない──それが恐ろしい。
(『地に還る』とか言うけど、まさにそれだ……だから死は幸福なのかもしれない)
そんなことをチラリと思うが、だとしても全く死にたくはない。
浅い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと深呼吸に変えていく。
落ち着いてくると実体験なのもあって、負傷という意味で己の身に起きたことは大体理解した。
その後はわからないが、まあいい。まずは身体が動かねばどうにもならないのだ。
意外にも、冷静になったダニエルに悲壮感は微塵もなかった。
(あのお陰で潜在魔力の使い方はもうわかる。 多分イケる……筈!)
ランドルフはわかりやすい説明の為、顕在魔力との比較もあり潜在魔力を『無意識の力』と表現していたが、実際は少し違うのだ……と、もうダニエルは理解している。
アデレードやランドルフの使う身体強化と同じ──考えるより伝達速度の速い、意識的な力。発動のみに関しては反射神経のようなモノ。
そもそも潜在魔力とは常に体内を流れているモノなので、認識より先に発動されていてもなにもおかしくない。
ダニエルは全身に魔力を込め、自身の身体に感覚を取り戻すよう伝えた。顕在魔力の属性という括りが結び付き易さの傾向であるように、別に土属性でも魔素との結び付きの際術式などで変化させれば、火を出せる。それに近い。
ランドルフが『耳を澄ます時』と例に出したように、必要なのは継続であり、集中力と感覚。
過酷な任務をやり遂げたダニエルにとって既に、この程度の潜在魔力のコントロールは容易いこととなっていた。
「……よし、動く!」
目覚めるのこそ時間が掛かったものの、アデレードや周囲が死ぬ程心配していたにもかかわらず、ダニエルはアッサリ手足を動かせるようになった。
流石にすぐ元のようにとはいかないが、それは──
「でも……つ、疲れた……」
どちらかというと、ずっと寝ていたせいで落ちた体力のせい。
そもそもひ弱なダニエルが鍛え出したのは、辺境に赴いて暫くしてから。少しだけつきかけていたレベルのショボイ筋肉すらもうない。
肉体的にはひ弱に逆戻りである。
(アデル様……リル…………)
不安は色々あれど悩む間もなく睡魔が襲い、その夜はそのまま落ちるように寝た。
「やっだ~、ダニー! アナタ動けるじゃないの!」
元々ダニエルの朝は早い。
散々寝てたので、寝落ちはしたが通常より早く起きた。
なのに身支度を整えて部屋を出たら、もう既にローズ殿下がいた──『っていうかなんでいるんだ』と思ったのは言うまでもない。
しかも何故かシスターの格好をしている。
「そういやブランドル卿もいらっしゃいましたよね? えっと、僕まだなにもわからないんですが……」
「むむむ……」
「どうされました?」
「いや~私、余計なこと喋りそうだし……ゲフンゲフン。 ダットン、お願い!!」
「ええ……?」
曰く、辺境で浄化を手伝ったローズは『奉仕の心に目覚めた』という。
この先臣籍降下し『聖女』として国の為に尽くすことを視野に入れ、密かに修行することにしたらしい。
ダニエルが目覚めなければ定期的に高位神官が浄化に訪れることになっていたので、ならばついでに、と修行先を伯爵領内神殿にしたそうだ。
幸い歴史だけはあるブラック伯爵領には邸宅近くに大きな神殿がある。
ダットン・ブランドル伯爵令息は、シエルローズ殿下の婚約者兼護衛としてついてきた。だがローズの修行中は基本的にやることがないのもあり、宿泊施設として預けられた伯爵邸でダニエルの護衛兼介護を任されているという。兼任の多い男である。
まあそこそこ事実ではあるのだろうが、その裏に王家と辺境伯家の配慮があることは容易に察せられた。
「ありがとうございます」
「やめてよ。 私、浄化の力だけはバッチリだもの。 ダニエルは回復し、私も結果にモチベが上がってwin-winじゃない」
「大体来たばかりで、まだ一回しかかけてないし」と言って、ローズは二回目の浄化をかける。
その間にダットンがこれまでの経緯を説明した。
既に話すことは決まっていたらしく、説明は簡潔で淀みない。
ダニエルは神妙な面持ちでそれに耳を傾けた。
【どうでもいい補足】
この国における神官とシスターは全く役割が違い、通常はシスターが神殿にいることはない。
だが今回の『修行』に於いてローズが奉仕活動を頻繁に行うことや修行が秘密なことから、神官の着る法衣ではなく修道服を着ている。




