信じていた筈の未来。
街側本邸に戻ったアデレードはユーストに報告を行い、その際ヘクターの行先を聞いた。
「……私は森へ戻り、大佐と合流」
「いや、いい」
「は?」
「下がって休め。 今のお前は足手まといだ」
「──」
厳しい言い方だが、半分は事実であり半分は優しさから。アデレードがあまりにも蒼白で危うさを感じたユーストは、有無を言わさず休むよう命じたのだ。
ある程度までは心情を察せても、実際娘がなにを考えどう動くかはわからない。
反発することも少し予想していたものの、アデレードは無言のまま頭を下げ素直に従った。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「……フェリス」
戻ったアデレードの抜け殻のような様子から、フェリスはなにも聞かずにいつものように振る舞う。
だが「ありがとう」と微笑むアデレードの方も自分に気を使っていることがわかり、フェリスは居た堪れない気持ちになった。
「なにか少し召し上がりますか? 動き通しでしたでしょう」
「いや……少し眠るよ、ちょっと疲れたみたいだ」
何度かこういうアデレードを見たことがある。母や、親しい者が死んだ時。
彼女は『一人にして』とは言わず、こうやって静かに微笑む。
ダニエルが居なくなって暴れた時の方が余程良かった──そう思いながら、フェリスは部屋を出て扉を閉めた。
「フェリス……お嬢様はどう?」
「ネイサン……」
フェリスはなにかを堪えながら夫の腕を引き、使われてない客室へ入ると詰るように迫った。
「若旦那様は生きてらっしゃるのよね?! お嬢様はどうして会いにいかないの?!」
「フェリス……」
ネイサンに言っても仕方のないこと。
だがアデレードにそれを言うことはできない。なにか理由があることはフェリスだってわかっているから。
聞かれて話して楽になったり、後押ししてどうにかなるならいくらでもするが、きっとそうじゃないことも。
「悔しい」と言って泣くフェリスをネイサンは抱き締めた。
こういう時にできることがないことが悔しいのは、よくわかる。
ネイサンだって歯痒い。妻のやり場のない憤りを受け止めるくらいしかできないことが。
アデレードをフェリスのようには受け止められないし、彼女も自分にそうすることはない。
森を覆うように降る聖水の雨は夕方まで続き、瘴気溜まりや蔓延していた過剰な瘴気は消えた。討伐は数体の害獣のみで済み、今は東に追い込んだり城壁内に捕縛した生物達の対応に追われている。
生物達の様子から危機は逸したと考えて良さそうだが、まだ全軍指示は解かれておらず、一日二日は様子見となるだろう。
特に街側は、取りこぼした小動物や小型魔獣の害獣化が予測される。ユーストは事後処理をランドルフに任せ、その分騎士団への配備指示などに尽力している。
(本当は私も動くべきなのにな……)
アデレードは上着だけ脱いで無造作に放り、上半身だけをベッドに横たえてそう自嘲した。
なにをしたらいいのかわからなかった。
(……リルは聖域に力を戻し、加護を薄めようとしている)
聖獣であるリルはおそらくカルヴァートの大地から生まれている。
加護とは元を正せばこの地の力だが、ダニエルの加護が契約ならば直接的に結ばれているのはリルであり、ダニエルの加護はリルを介して与えられているに過ぎない。
逆にリルからは力を与えられていないアデレードだが、『加護』とは定義されなくともこの地の力を血と共に受け継いでいる。
加護も潜在魔力も不明な点が多い。
リルの加護がダニエルとこの地を繋げたり、ダニエルの潜在魔力が周囲に影響を与えたのだとすれば、自身のそれも、ダニエルの身体にどう作用するかわからない。
(切り離すのが療養になるなら、私はダニーに近付いてはいけない……だが)
──それは、いつまで?
それで彼は本当に回復するのか?
(いや、したとしても……)
自身を突き動かしていた希望や想いを強く再認識する程、なにが正解かが見えなくなる。
強さなんてダニエルに求めていなかったが、そう決めて動いてくれていたことを喜んでいた自分に彼を責める資格はないのに、今は詰りたい気すらある。
隣にいるのはダニエルだと信じて疑わなかった近い未来の姿が、もう想像できずにいる。
してはいけない気がしていた。
ヘクターからの手紙をつけて、夜にはサンドラが戻ってきた。
隣領では竜の襲来に大騒ぎになったようだが、幸いガブリエラと彼女と共に行ったボールドウィンはまだ滞在していたらしい。
ふたりは一度こちらに戻ろうとしたところ、入れなくて踵を返したそうだ。なにがあったのか知る為に、動かずにいたという。
ダニエルは医者に診てもらったが、栄養剤を打つぐらいしかできることはなく、ただ眠り続けているとのこと。
両てのひらと両膝を中心に黒ずんだ箇所は医者にはどうにもならず、高位神官を要請することを勧められた。
ガブリエラとボールドウィンがそれぞれ『よければ自領へ』と言ってくれているので、一度返事を待つ──との言葉で締め括られている。
(眠り続けているだけ、か……)
どうやら思っていたよりも状態は良さそうなことに、安堵する。
「……閣下はなんて?」
「アデレード様に一任する、と」
伝達を買って出たネイサンからそれを聞いたアデレードは、「そうか」と返したきり暫く無言でなにかを考えていた。
「──殿下方はまだ城壁邸貴賓室に?」
「! アデレード様……まさか、王都に戻すおつもりですか?」
「ネイサン、質問に答えろ」
「……いらっしゃいます」
「今から向かう」
「私も参ります」
「好きにしろ」
再び出陣するつもりでいたアデレードは、騎竜したまま街側邸宅へ戻り、シーグリッドはまた自室の前の庭で休ませていた。
放り投げ、汚れたままの上着を着直すとシーグリッドに跨る。
ネイサンを乗せる気も、待ってやる気もなく高く飛翔する。
もう聖水は降っていないが、街側には濡れた屋根、森側には木々の葉に残る雫が、月明かりに照らされて光っている。
アデレードはここが好きだ。
だが今は少しだけ憎い。




