力が足りなくても。足りないからこそ。④
(や……柔らか……)
初めての口付けは、唇と唇が触れ合う軽いモノ──ではあったものの。
「──ふぐっ?!」
その柔らかさの余韻に浸る隙もなく二回目がきた。
しかも、滅茶苦茶濃厚なヤツ。
そもそも軽い方すら初めてのダニエルには上手いとか下手とかはサッパリわからない。
快楽というよりは興奮で沸騰する脳内で『いやそれを本来判断される側は自分の方なのでは』という疑問が微かに過る程、されるがまま。
他に微かに過るのは、ローズ殿下から借りたロマンス小説の『鼻で息をするんだ……そう、いい子だ』というヒーローの台詞。しかもアデレードの声に変換されている。
息は確かに苦しくてだらしなく喘ぎ声みたいなモノを漏らしてしまい、ダニエルは脳内アデレードの声に従った。
尚、実際は言っていない。
アデレードも初めてで、そんな余裕はないのだ。(※つまり幻聴)
何度も角度を変えて繰り返される口付けに慣れてくると、気持ちが良過ぎて逆になにも考えられない。
後で振り返ると、自分でも信じられない程に自然な仕草でアデレードの背中に手を回し、自ら貪るように舌を動かしていた。完全に無意識で。
脳が痺れるような快感を無我夢中で味わっていると、スッとアデレードの顔が離れる。
どちらのかわからない唾液が、銀糸のように引き、アデレードは垂れた唾液を拭うように唇を舐めた。
その溢れ迸りダダ漏れな色香はまさに、ロマンス小説のヒーローである。
「……どう?」
──『どう?』とは。
惚けているダニエルに掛けられた一言に、最早題名も思い出せない小説のワンシーンが重なる。
それは王子様系ヒーローのちょっと意地悪な台詞そのもの──
『どう?』とからかうように微笑むヒーロー。
『もうっ聞かないでくださいませ!』と顔を赤らめながら、ポカポカ胸を叩くヒロイン。
──だが、彼は勿論ロマンス小説のヒロインではない。
そしてアデレードもまた、『ちょっと偏屈で尊大な姫キャラ』を装ったりはしたものの『ちょっと意地悪な王子様キャラ』ではない……と、思う。多分。
「そ、その……とても気持ち良かったです!」
なので一瞬悩んだ末、赤くなりながらも心のままに答えた。
「~~ッ!!」
それに慌てたのはアデレードの方。
「あっあの、そそ、そうではなくっ! 身体の方……っ!? カラ……いやっ」
元々口付けのせいからか紅潮していた頬だけでなく、みるみるうちに真っ赤になる。
噛みながら口を吐いて出た自分の言葉がまたよろしくなかったらしく、顔だけでなく耳と首までぐんぐん赤く染まっていく。
「いやっカラダも違くはないけど違くて! ──ええと、カイフク! 回復はした?!」
「えっ」
(そういえば……)
身体が軽い。
眠っていない分、なかなか回復できなかった身体が、寝ていないのが嘘のように。
コホン、とひとつ咳払いをした後、まだ赤みが引かない顔のままアデレードは口を開く。
「試したかったのは魔力譲渡。 ……体液を交わすことでできると聞いたことが──ほら! 私の潜在魔力は身体強化だろう?」
この地の力や聖水で回復はされるが、元の身体機能ありき。ここに来てからのアデレードの傷の治りが異常に早い理由は、彼女の潜在魔力の特性に尽きる。
ダニエルも魔力回復は早くなったものの、それに伴って奪われた体力の回復力は然程上がっているわけではないのだ。
「もしかしたら一時的な体力回復に使えるんじゃないかって……」
意識して使える程の潜在魔力保持者が少ないだけに、眉唾物の情報であり、アデレードもスッカリ忘れていた。
再会時の勘違いから口付けを意識したことでそれを思い出したのだ。
「で……ど、どう……?」
改めて聞くも、先の『気持ち良かった』がどうしても頭から離れずに、アデレードはモジモジしてしまう。
『ダニエルを回復させたい』という気持ちは確かにあったが、かなり勢いからの行動だったのも事実。
必死にどうにかしようと足掻く姿には胸が震えたし、婚姻の意思確認をした後の安堵と不安の入り交じった表情には、庇護欲をそそられた。
──要は、タガが外れたのである。
元々齢23にして初心な乙女のアデレード。そうでなければあんなこと、できない。
「は、はいっ! お陰様で!!」
「そ、そうか! なによりだ!!」
幸い空気を読める男であるダニエルが、間髪入れずに元気にそう返したので事なきを得た。
「では、私ももう行くよ。 またね、ダニー」
「アデル様……あのっ」
空気を読んだので表には出していないが、『治癒行為』に対して『気持ち良かった』などと吐かしてしまったダニエルの方が気まずさと気恥ずかしさは上だ。
普段ならば「『気持ち悪ッ』『なんてイヤらしい男だ!』とか思われたのでは……!?」などと不安になっていたところだろう。
だが今はそんな気持ちよりアデレードへの心配の方が更に上であり、それを含めたこれから自分がしようとしていることへの不安が更に上だった。
「──……僕は」
焦って周りが見えないくらいが丁度良かったのでは、とすら思う。
今は剣を持ち騎竜しようとするアデレードをハッキリと意識してしまって、先の狼魔獣との戦いが脳内を占めていた。
あんな思いはしたくない。
『やってみないことにはわかりませんが──』
保身の為に吐いて出た前置き。
だがやらなきゃ駄目なのだ。
なんとしても。
「……僕も、最善を尽くします。 どうか、ご武運を!」
本当は一言でも想いを告げようかと思ったけれど、やめた。
代わりにまた俯いた顔を上げる。
瞠目した後でニコリと微笑むと、アデレードは騎竜した。軽く手を上げてから颯爽と飛び立つ姿は凛々しい。──パンイチなのも忘れて見惚れてしまったあの時と同じように。
思い返せば最初から大分酷いな、と思ってダニエルは笑った。
(あの時からずっと、ただ我武者羅なだけだった)
ヒーローみたいにならなければ彼女に相応しくないような気がしていたけれど、『ヒーロー』はひとり、アデレードだけでいい。
リルは構ってくれるヘクターがいなくなり、ダニエル達はずっとヨクワカラナイ話をしているので、不貞腐れて眠っていた。
起こす為に近付くと、横にはダニエルの短剣が置かれている。この地や精霊達の力で浄化され、いつの間にか綺麗になっていた。
伸びをしながら起きたリルが身体を震わせると、銀の毛が飛び散ってキラキラと光る。
(このタイミングで眠ってくれたのは良かったかもしれない)
小さい子供がそうであるように、リルも『疲労』の意識が薄いのかもしれない……そう思ったのだ。
もし途中で力尽きたら困る。
ダニエルは短剣を腰の鞘に戻し、リルの鼻先を撫でた。
(僕は弱い。 だから皆の力を使って、精一杯皆を助ける)
「行こう! リル」
《うん!》
今までとは違う四度目の潜水の為、ダニエルはリルの背に跨った。
第九章はここで終わりです。
ご高覧ありがとうございました!
【どうでもいい補足】
・「私の潜在魔力は身体強化だろう? もしかしたら一時的な体力回復に使えるんじゃないかって」←めっちゃ早口




