無自覚に翻弄し合うも、それどころじゃない。
「ダニー……」
「──」
柔らかく髪をくすぐる感触に目を覚ますと、アデレードの手。そして膝。
(手……膝ッ?!)
「……わあっ?!」
「ダニー!」
飛び起きたダニエルの身体は、キャッチされるかの如くアデレードに捕われ、抱き竦められた。
(ひゃあぁぁぁぁぁぁ!!)
人畜無害面とはいえ、ダニエルも男。
そしてたとえ下地が逞しい筋肉だとしても、アデレードは女──鉄壁の基礎の上には、小振りだが柔らかなふたつの山々が備わっている。
ジャケット越しとはいえ、ぎゅうぎゅうに押し付けられればその感触を意識せずにはいられない。
「……!」
ダニエルは息を止め身を固くして縮こまり、素数を数えた。動くとぶつかるし、息をすると必然的に匂いを嗅いでしまうからである。
お外でパンイチは既に経験済だが、それ以上にお外で他人に見られたくない姿というのは存在するのだ。
「すまない……! 私は君を謀っていた!!」
「! ……!」
「だが『キース』としても君といたかった……ん、ダニー?」
ダニエルの反応があまりにないので、身体を離すと、顔は呼吸困難も相まって茹でタコのように真っ赤だ。
「ああごめん、苦しかった?」
「いやその……っ」
確かに苦しかったが、問題はそこではない。
今度は中性的な美しい顔がこちらを覗きこむように近付き、ダニエルは俯いて顔を逸らす。
自分を捕らえている腕が緩められたのを機に、どうにかアデレードから距離を取ろうと身体をひねり四つん這いで逃げようとしたが、そのまままた捕まえられた。
今、ふたりは所謂『ラッコ抱き』状態になっている。普通は女性が前なのだろうが、勿論前はダニエル。
「行かせない」
「アアアデル様?! どこにも行きませんから、あのッ、離してくださ……」
「ダメだ」
『離して欲しい』と言っても離すどころか、更に抱き締められる始末。
「ふぐっ?!」
(む、胸が……)
アデレードはそこまでの高身長ではないが、女性にしては高い方。女性の平均身長は低く男性の平均身長が高めなこの国で、小柄な方のダニエルとは殆ど変わらない。
則ちこの状態、お互いの顔が近い位置にくるわけで。
「また勝手に消えては心臓が幾つあっても足りない」
「き、消えませんよ……!」
背中の柔らかな感触のみならず、話をされると耳に吐息がかかり、参ってしまう。
おまけにこの台詞、口説き文句ともとれる言葉だ。
無意識なのはわかっているが、こちらの心臓の方がよっぽどもたない。
(……ヘクター! ヘクターはどこに行ったんだ?!)
女性への興味が著しく他男子より低いとはいえ、彼も男。今の状況で困っていることを察して止めてくれるのは、最早彼しかいない。
しかし残念なことに、ヘクターは散々リルをモフった後、報告の為に一旦城壁に戻っていた。
「そうだ食事! 回復に食事を……」
なんとか体面を保ちたいダニエルは、苦し紛れに食事を所望する。勿論食事と回復は必要だが、今はアデレードから離れる為の理由に過ぎない。
だが、これが思わぬ方向から現実へと引き戻すことになる。
「うん? じゃあ待って……ごめん、誰かそこの袋を取ってくれないかな」
「──えっ?」
《いいよ~!》
アデレードの言葉に返事をする、鈴の音を転がすような可愛らしい声。
手の届かない位置に置かれたダニエルの食糧袋が、ズリズリとこちらに近付く。
引っ張っているのはフワフワとした光。それを纏った中に現れた姿がダニエルにももうハッキリ見えている──精霊だ。
「ありがとう! でももうひとつだけお願い!」
《え~? 仕方ないなぁ~》
「助かるよ!」
袋の中からコップを出したアデレードは、精霊にお願いして水を汲ませて受け取った。
「ありがと、皆!」
「あっ、あのアデル様?! もしかして彼等が見えるんですか?」
「ん? うん。 最初は朧気だったけど、今はハッキリ見えるよ。 可愛いよね」
「!」
《あ、ダニー! 起きたぁ~♪》
「リル、ダニーはこれから食事だよ。 もうちょっと待っててね」
《は~い!》
「あっあの?」
アデレードはリルとも仲がいい様子。
俄に今まで抱いていた危機感を思い出し、ダニエルの口は意識せず動いていた。
「アデル様の魔力でも浄化はできるのでは……?!」
アデレードは次期辺境伯で、潜在魔力量も多く、今は精霊も見えている。
元々『何故自分が?』と思っていたダニエルが、こう考えるのは当然のこと。
しかし──
《ん~? んん~、んんん~》
リルは悩んでしまったようで、唸りながらその場をぐるぐると回る。
代わりに精霊達が答えてくれた。
《できるけどできないんだよー》
《そう、できるけどダメー》
「ど、どうして?」
《浄化はできるけど、それはリルだからなのー》
《ダニーとアデルは違うからダメー》
(浄化をしているワケじゃない……?!)
ダニエルはここにきて自分の思い違いと迂闊さに気付いた。
拙いリルの話と伝承などの自分の知識に照らし合わせた結果、思い当たった魔獣大発生の懸念。きっと、それ自体は間違っていない。
だから抜かれた魔力は、全て浄化に使われていると思っていた──だがそれは違うらしい。
つまり、他にも懸念すべきことがあるのだ。
(じゃあ一体僕は……僕の力はなんの為に使われているんだ?)
そもそもリルはなにをしているのか。
意識を失って確認できない状況だったとはいえ、浅はかで短慮だった。……まあ、リルと話ができたところでわかったとも思えないが、真面目なダニエルは滅茶苦茶反省した。
(確かめなければ……今ならできる筈だ!)
「ダニー? ほら、あ~んして」
「アデル様!」
「うわっ?!」
勢いよく立ち上がったダニエルは、アデレードがパンを持っているのをいいことにその腕から抜ける。
「すぐ戻りますのでちょっと失礼します!」
「ダニー!! ダメだッ!」
だが当然ながらアデレードは逃がしてくれない。パンを持ってない方の手で素早くダニエルの腕を掴む。
有無を言わさず行くつもりだったダニエルだが、アデレードの表情を見て心が揺らいだ。
それはキースの時、ロックバードと対峙しながら、こちらに向けた表情と同じ。
今、そんな状況にないのに。
(ああ……この方は)
本当に自分のことを心配してくれているのだ。
「アデル様……」
ダニエルは右腕を掴んだアデレードの手に自分の左手を優しく重ねると、そっと持ち上げるように柔らかく引き剥がす。
その手を離さないまま、アデレードと向かい合って視線を交わしながら跪き、指先に唇を落とした。
「──ッ」
「誓ってすぐ戻ります。 暫しご容赦を」
リルの背中に乗り潜水するダニエルを、アデレードは硬直したままただ見詰めていた。
(…………反則ぅ~!!)
今度はアデレードが赤くなる番だった。
アデレードは普段のダニエルの、優秀で卒のない割にちょっととぼけたような、真面目で素直な彼の人柄が滲みでている感じがとても好きだ。
けれどそれ以上に、時折見せる男らしさには、抜群に心ときめいてしまうのだ。
あんな風に言われては、止める術は無い。
惚れた弱味である。
【どうでもいい補足】
パンは落としてません。
アデレードが食べました。




