危機的状況からの奇跡的出来事。
狼達はじりじりと距離を縮め、もうその姿を見せていた。
攻撃をしてこない代わりに、バチバチと小さな光と音を纏いながら、まるでステップを踏むようにトントンと忙しなくリズムを刻む。
細かく上がる草や小石……アデレードを囲う内の一体に、どれかわからぬように全体を通して魔素を循環しながら、譲渡を行っているのだ。
その数は5体だが、後ろに更に2体。
忌々しげにこちらに唸り声をあげながら、一部を血で赤く染めている。
もうとっくに石は尽きている。
アデレードはどの個体から雷撃が放たれるかのみに意識を集中した。
多少の回復はできたが、雷撃を躱すことができなければ最早勝機はない。
躱したところで、無事に逃げることは難しいだろうが──
今度こそ突破に賭ける時。
雷撃を放つ個体のところだけが、瞬間的に手薄になる。それにおそらく、ソイツが群れのボスだ。連携を崩すことも可能かもしれない。
(……来る!)
アデレードは雷撃が放たれる寸前にその方向へ走り出す。
渾身の顕在魔力を込め握った、剣を盾に。
「ああああああああぁぁぁ!!!!」
放たれた大きな雷撃とアデレードの魔力を込めた剣が重なる。
激しい落雷のような音が周辺に轟いた。
手元がビリビリと痺れるが、実際はその程度のモノではない。グローブは擦り切れ、柄を握った掌の皮全体が捲れている。
じわりと血が滲むも、離す気など皆無。
突破さえできれば、その後さしてもたなくても構わない。
ヘクターも轟音と光によって、こちらのおおよその位置を把握できた筈──それまでもてば。
「ぐうッ!!」
──ザザッ
だが、僅かに雷撃の威力が勝っていた。
押されたアデレードは突破どころか、後ろに下がる。
ボスと思しき狼も返った雷撃による衝撃で倒れた為、即座に総攻撃には至らなかったが、受けたダメージはアデレード程ではない。
気持ちはまだ折れていない──だがそれだけだ。
辛うじて剣は離さずにいるものの態勢は既に崩れ、剣も鉄屑同然と化している。
倒れた狼が立ち上がり飛びかかると、既に臨戦態勢だった他の4匹も同時に襲い掛かる。
崩れた態勢のままアデレードは身を低くし、再び剣を盾のように上部で構えた。
『一巻の終わり』……まさにそんな状況だが、焼け焦げた刃を焼け焦げた左掌で支える彼女の目は、強く開いている。
──コッ
なにか小さな音がした瞬間。
「ッ?!」
周囲は謎の光に包まれた。
ドサッと音を立てながら、狼達が次々落下していく。
そして光は灯りを消すようにフッと消える……辺りにその余韻を残したまま。
それはほんの数秒の中で順番もわからないような出来事だったが、アデレードの瞳はスローモーションのようにそれを映していた。
斜め右方向から飛んできたなにかに剣が触れた。
途端に剣は発光し、飛び掛ってきた狼達が空中で次々と動きを止めた。
「──」
剣が元に戻っている。
それはむしろ、今までよりも美しく研ぎ澄まされているかのよう。
思わず刃に添えていた左手をそっと外し、掌を見た。
(傷が……癒えている)
「アデレード様!」
「!」
ヘクターの声に振り返ったアデレードの足先に、硬い感触。
目をやり、それに気が付いて拾い上げた。
煤けた短剣。
柄の先には組紐……こちらもボロボロだが、それはこの地方で『お守り』として作られているモノ。
アデレードはそれに見覚えがあった。
「これは、ダニーの短剣……?」
組紐にそっと触れると、間に組まれた蜻蛉玉から小さな光がふわふわと舞い上がり、消えた。
「アデレード様、大丈夫ですか? 遅くなって申し訳ございません」
「あ、ああ……ヘクター、これは……」
「実は──」
駆け寄ったヘクターも戸惑いを隠せない様子で口を開く。
「「!」」
その説明より早く、アデレードは組紐を手首に通し再び剣を握る。ふたりは背中合わせに臨戦態勢になった。
狼達が次々に起き上がったのだ。
「──待て」
接近戦を不得意とするヘクターは即座に攻撃に及ぼうとしたが、アデレードがそれを止めた。
「様子がおかしい」
起き上がってはいるが、その動きは緩慢。なにより今まで感じていた、纏わりつくような瘴気が感じられない。
臨戦態勢にあるふたりに唸り声を上げてはいるものの、アデレードにはどこか自分達同様に戸惑っているように思えた。
最後に身体を起こしたのは、正面に対峙していたボスと思しき狼。
攻撃を止めこそしたものの、アデレードは警戒を緩めずその動きを注視する。
ゆっくり立ち上がった直後ブルルッと身体を震わせてから大きく伸びをし、スックと姿勢を正すとようやく、狼はこちらを見た。
視線が合う。
妙に長い時間のように思えたそれは、ほんの数秒で。
小さく鼻を鳴らすとフイッと顔を逸らし、そのまま森の奥へ歩いて行く。
他の狼達もそれに倣うように歩き出した。その中には一声吠えたのもいたけれど、攻撃はしてこないまま。
やがて追従した最後尾も森の奥に消えた。
光の余韻の残るここの空気が、瘴気の森とは思えない清浄なモノであることを感じ、癒えた掌を眺めた。
(浄化されたのか……)
確信を持ってアデレードは思う。
おそらくアレらは後天的な害獣で、光によって浄化されたのだ、と。
──ヘクターは「短剣を投げたのは自分だが自分の意思ではない」と謎の発言を口にした。
「シーグリッドと合流し、まず目的地へ向かいました。 そちら側からアデレード様の居場所を探すべき、と」
アデレードの想定通りの行動をとったヘクター。
降りたった場所はとても清涼で、すぐ傍の森の瘴気の濃さが嘘のようだった。
方向を確認しながら森へ戻ろうとすると、何故か逆側に走り出したシーグリッドがどこからか短剣を拾ってきたと言う。
「それを咥えたまま、森に入っていく彼を追い掛けました」
シーグリッドの走る先から、激しい衝撃音と光。
まだ姿は確認できていないが、位置は特定した。
まさかここまで危機的状況に追い込まれていると思ってなかったヘクターは、後方支援の為にもう少し近付いてから矢を射ろうとサンドラの足を緩め、弓に手を掛けた。
だが、弓に手を掛けるより先にシーグリッドが短剣を差し出してくる。
《投げろ》──そう誰かの声が聞こえた気がした。
「急遽射るのを止め、風魔法を使用して短剣を投げ付けたのです。 それだとアデレード様にも危険が及ぶのでは、と思いつつ身体が動いていました」
狙ったのは光と音の中心。
申し訳なさそうに言うのも当然で、少しでもズレていればアデレードに刺さっていてもなんらおかしくはない。
だが実際は、剣にぶつかっている。
ピンポイントで。
「……確かにヘクターの意思ではなさそうだ」
まだほんの僅かに光の余韻が残る森を見詰め、左手首にぶら下げた短剣を右手で握る。
いつかのダニエルの体温が、そこにある気がして。




