美少年に屋外で『ズボンを脱げ』と迫られる。
飛翔した数体がロックバードへと向かう中、一体だけこちらに向かってくる。
「ダニー!」
こちらを振り向いたキースは真剣な顔で、とんでもないことを言い出した。
「ズボンを寄越せ!」
だが、彼は本気なようで──
「はァ!?」
「ズボンを脱いで寄越せと言っている! 早く!!」
「あっ、う、うん!?」
貸さなければ、無理矢理脱がして奪いかねないぐらいの鬼気迫る雰囲気がある。
『ズボン脱ぐの!? ここ外ですけど!!』
……と思えど、とてもじゃないが断れない。
もたつきながらも、ダニエルは躊躇せず靴を脱ぎ、そして長ズボンに手をかける。
急に目の前が陰ったと思った途端、
──バサッ! ズシャー!!
「うぶっ!」
土煙を上げて着地したのは、勿論小型竜。
「よし! いい子だシーグリッド!! ダニー、ズボンを!」
「は、はい!」
キースは彼のと思しき『シーグリッド』と呼んだ小型竜の、長い首の下の方にダニエルのズボンの両足を外れないように縛り付け、余った裾を持ち手にして跳ぶように背に跨った。
「じゃあ行ってくる!」
「いいい行ってらっしゃ──ぶわ?!」
巻き起こる強い風。
それは大きく羽ばたいた小型竜の置き土産。
瞼と両腕でガードしたダニエルが目を開けた時には、キースと竜は既に遥か上空。
「……すご……」
その場に取り残されたダニエルは、口を開けてそれを見上げていた。
──下半身は靴下にパンイチという間抜けな姿で。
我に返った彼が今感じていることは、『竜に乗ってる! スゲー!!』よりも『フロックコートを着てて良かった!』である。
それはもう、切実に。
もしウエストコート(※ベスト)だけで出ていたら、変態扱いされてもおかしくない。
まあ隠れていても、それはそれで変態っぽくはあるのだけど。
(戻ってズボンを出してもらおう……)
下半身が心許ないので、さっさとズボンを履きたい。
キースと更に仲良くなる為にはその勇姿を見守った方がいいのかもしれないが、もし忘れられたら非常に困る。
ロックバードが出た時の彼のテンションを思うと、ないとも言いきれない気がする。
そんなことになって放置されてみろ。
ただでさえアウェーなのに、『ズボンを履かずに婿入りしてきた奴』という不名誉である上に『どういうことかよくわからないけど、なんかいかがわしい』という妙なイメージがつきかねない。
「若旦那様~! ズボンをお持ちしました~!!」
そう言って駆け寄ってきたのは、先程のメイドの娘。どうやらダニエルとキースのやり取りを見ていた様子。
ズボンを渡すと、彼女は頬を赤らめて後ろを向いた。
有難いが……とても恥ずかしい。
「あ、ありがとう、助かりました!」
「お、お止めできずに申し訳ございません!」
途中で予測し、ズボンを貰って走ってきたのであろう彼女に、素早くコートの下でズボンを履きながら礼を述べる。
──屋外の、しかもうら若き乙女の前で必死にズボンを履いている自分。
(ナニコレ)
確か、間違いでなければ辺境伯家に婿入り予定だった筈である。
こいつァなかなか酷い冗談だが、最早なにが冗談だか彼にもわからない。
脳内が別次元へと空間移動しそうなので、ダニエルは恥ずかしさを押してメイドに話し掛けた。
「あの方はいつもあんな感じ?」
「え、ええ……その」
聞き方が悪かったせいで批難と取られたのか、メイドは口篭る。
「あ、違うよ? ビックリはしたけどホラ、カッコイイじゃない。 判断も早くて合理的だし」
「えっ、ええ! そうなんです! ……ですがその、失礼ながら……怒ってらっしゃらないのですか?」
「え? あ、そうだね……」
(まあ確かに怒ってもいいのかも……)
だが、別に剥ぎ取られた訳でなし。
それに咄嗟に笛で呼んだのであろう竜には、当然ながら乗る為の装備はつけられていなかったのだ。
それを踏まえて予め代替になるものを用意しようとしただけに過ぎず、勢いとはいえ断らなかったのはダニエルの意思。
(彼は悪くないな?)
「……うん、まあ特には」
相手が悪いかどうかと怒りの感情とが、実際に因果関係で結ばれているとは限らないだろう。逆もまた然りだ。
確かに恥ずかしい思いはしたけれど、ダニエルはキースに怒りを抱いていない。
ズボンを使うのが先人の知恵か思い付きかまではわからなくとも、『判断も早くて合理的』は純粋な賞賛だ。
それにいくら結びがしっかりしていても、あれでは安定感や安全性は遥かに劣るだろう。そんなことは微塵も感じさせない、躊躇なく乗り込む姿──
あの時の彼が本当にカッコ良かったから。
(飛び立つ時、目を瞑ってしまったことが惜しいくらいだ)
そう思い、空を見上げる。
それと同時くらいのタイミングで──突如、大きな影が日光を遮った。
「──ッ!」
その影の巨大さに、思わず息を呑む。
遠くの空で戦闘を繰り広げていた筈のロックバードと竜騎士達が、既にかなり近い。
(コレ、呑気に喋ってる場合じゃなくない!?)
スピードを鑑みればさもありなん。
やっぱり警鐘は領民への避難指示だったのだ。