今やるべきことは。
《早く早くぅ!》
「いやいやリル……僕は瘴気を食べられないし、お腹も空いた。 ホラ、万全じゃないと良くないだろう? ちょっと食事しに家に戻らないとね。 お願いできるかな?」
《う~ん……わかった!》
今思うと、そうリルを言いくるめて城壁側の辺境伯邸に戻ったのは正解だった。
「「「──若旦那様!?」」」
辺境伯邸に戻ると、皆まずフェンリルに驚き慄いたあとで、ようやく背中のダニエルに気付く。
「いやーごめんごめん、ビックリさせて……急いで閣下と大佐に連絡──」
「ああっご無事でなにより!!」
「フェンリル?! フェンリルですか?!」
「スゲー!!」
「えっどういうことすか!?」
一日中ダニエルを探していた軍の面々は、伝説の聖獣とともに降り立った感動と共に歓喜に沸いた。
「皆それどころじゃない!!」
それを一喝したのが、騎士で唯一ダニエル捜索に参戦していたクリフォード。
あれからクリフォードも名前で呼べるくらいには仲良くなった。
とはいえヘクターの方がダニエルとは仲がいいのだが、とりわけ見目の良い彼は今日、アデレード側のお付き。
ランドルフも不在の今、捜索隊の指揮は一応ダニエル付きのクリフォードが執っていたのである。
「ダニエル様、急いでください!! もう式が!!」
「──えっ……?」
ここでようやく、『根こそぎ魔力を奪われた』ことの弊害に思い至る。
今までも魔力枯渇で倒れることはあったが、それはあくまでも顕在魔力のみ。しかも今まで潜在魔力のお陰で復活が早かったダニエルは、まさか丸一日倒れていたなんて思いもよらなかったのだ。
「まままままさか、一日過ぎてるッ!? ……うわぁぁぁッ!!」
ダニエルは真っ青になり、頭を抱えた。
「神殿へ! 今ならまだ代われます!!」
「代わる?! 今どうなって……」
《ダニー!》
「へあっ?!」
無視されているのが気に入らないのか、突如ダニエルのシャツを引っ張ったリルは、そのままぶんぶんと首を振る。
宙吊りのダニエルをお構い無しに。
「やっやめ……ッ! やめてリル!」
《ごはんごはん! 早くしないとまたうるさくなっちゃう!》
「コレは……攻撃した方がいいヤツですか?!」
「いやダメッ、それはダメッ!! リ、リル離して!!」
──べしゃっ
「ふぐッ!?」
「ダニエル様!」
リルが素直に離した結果、顔から落下。
だが顔についた土など気にすることなく飛び上がるように起き上がったダニエルは、リルの背に飛び乗る。
「ごめんクリフォード、袋に沢山食べ物を用意しといて!! リル、神殿へ! 神殿ってわかる?!」
「わかるよ! キラキラしたとこ!!」
「そこに行って!」
「あっ、ダニエル様?!」
「頼んだよ~!!」とドップラー効果のかかった一言を残し、ダニエルを乗せたリルは晴天の空を駆けていく。
アデレードに並ぶ為の決意も、婚姻が成されなければ元も子もあったものではない。
仮に成されなくともこの責務は果たすが、自らフイにする気など毛の先爪の先程もないのだ。
そうして着いた神殿。
既にローズ殿下のせいで場は混乱を極めていたが、外は外で阿鼻叫喚の様相を呈していた。
「うわぁあぁぁぁ!!!!」
「ひいッ!!」
それもその筈、上空からイキナリのフェンリルの登場だ。
婚姻式はお披露目ではないが、それでも耳聡い一部領民は、一目我等が辺境の姫君とその夫君となる男性を見ようと神殿へ赴いていた。
そんな民草達から見れば、聖獣フェンリルもただの銀色に輝く魔獣。
しかも魔獣が入れない筈の神殿に入っていくのだ。 神殿の中では婚姻式の真っ最中だというのに。
皆叫び声を上げこそすれ、腰を抜かしたり失神したりでほぼ無抵抗。
神殿周囲は厳戒態勢にあり、警備の領騎士達の大多数は神殿を囲む形で配置されている。
叫び声は凄かったものの神殿から少し距離があるのが幸いし、大きな混乱にはならずに済んだ。
「──と、止めねば!!」
「行くぞ!!」
「待て! あれは……フェンリルでは!?」
騎士達は突然の出来事に応戦を試みるも、それがフェンリルだと気付いて対応を躊躇した。
民とは違い彼等は領騎士。
伝説とはいえ、紋章にも使われている『北の森の守護者』聖獣・フェンリルの存在を知らない者などいない。
「神殿に入っていったぞ?! ならばこの婚姻の祝福の為に現れたのでは……!」
そもそも魔獣ならば神殿には入れない筈──現にアデレードが乗ってきた竜すら、少し離れた位置で待機しているのだ。
「フェンリル? 伝説の聖獣……か?」
「おお……竜だけでなく伝説の聖獣まで……?!」
「流石は姫様! 聖獣からも祝福を受けるような素晴らしいご縁なのだわ!」
阿鼻叫喚が一転、領民達は歓喜に湧いた。
いくら普段から領民にもフレンドリーに接してくれるとはいえ、彼等にとってアデレードが姫様なのに変わりはない。
遠目からでも美しく着飾った今日のアデレードには、貴人ならではの現実離れした風格があった。
しかも竜でのご登場。
王族までいらしている。
そのあたりが上手く作用したのもあり、なんかそういう感じでまとまった。
余談だがこの日、領内には辺境の姫君の婚姻を祝福する号外の新聞が配られた。
その見出しは『聖獣・祝福に駆け付ける!』であったという。
(ま、間に合った……)
なんとか間に合ったことに、ダニエルは安堵した。
心底心配してくれているアデレードの様子に胸の奥がキュッとなる。
柄にもなく抱き締めたいなどという衝動に駆られるもそれを抑え、冷めた瞳で周りを見渡す。
ネイサンが身代わりになったのは、直ぐに察せられた。
それがどういうことかなど、王太子の元で勤めていたダニエルに、わからない筈もない。
──状況は決して芳しくない。
(僕のせいだ)
我欲が判断を狂わせた。
あの時フェンリルをなんとか説得し、すぐに邸宅に戻るべきだったのに。
だがもうその挽回を含め、『今は無理』と判断するよりなく、気持ちを抑えてアデレードからそっと離れる。
《ダニー!!!!》
「ひいっ!」
「うわぁっ!!」
ただでさえせっかちなリルは既にご機嫌ナナメで、威嚇とも取れる咆哮まで出す始末。
叱ったらとりあえず素直に言うことを聞いたものの、説明や相談を出来るほどリルの我慢は持たなさそうだ。
(結構危険なのかもしれない)
ダニエルとて状況を全て把握できているわけではないし、この聖獣についても理解しているわけではない。
リルの情緒が幼いのだと思っていたものの、やたらと急かすことには別の不安を抱いていた。
音の齎す驚異は想像以上に逼迫しているのかもしれない、そう感じて。
──自らの意思は示した。
(処遇は任せるより無い)
自分への処遇だけでは済まされないかもしれないという申し訳なさと、その反面、ここまでしてくれたことへの喜びに胸が熱くなる。
(だからこそ今は、やるべき事をやらねば)
説明も謝罪も、それからだ。
クリフォードが用意している筈の食料を回収し、リルが落ち着くまで何度でも魔力を渡すつもりでいる。
まずはなによりも、リルを優先すべきとダニエルは考えていた。
ダニエルにとっては想像の域を出ない危機だが、この子はその危機を一番理解しているに違いないのだから。




