ダニエルと銀の獣。
──話は二日前。
ダニエルが消えた、あの夜のことに遡る。
やはりダニエルはギリギリを見極めつつランプへの魔力注入をおこなっていた。
それは予想した通り彼が生真面目であるからだが、補足するならままならない恋心から。
アデレードに相応しい男に──は勿論。
キースへの気持ちを捨て切れないことを、『自分の弱さ』と位置付けたダニエル。
生真面目な彼は気持ちに翻弄され溺れることをよしとせず、代わりに鍛錬に救いを求めていたのである。
なにしろアデレードへの想いが募る程重なっていくキースの姿に罪悪感は深まっていく。だが、集中している間は余計なことを考えなくて済むのだ。
「はぁっ……!はぁ…… ──ふぅ」
回復し注ぎ直すまで。ギリギリの魔力を絶妙にコントロールしランプに注ぎ息を整えると、身体は泥の様に重く、ダニエルは倒れるように寝た。
熊に襲われる夢を見たりしたのは、最初のうちだけ。
訪れる深い眠りはひたすらの無。
それは悩みがちなダニエルに、とても優しかった。
──パァン!!
唐突な破裂音と共に、ランプは大破した。
勿論対のランプと同じタイミング。
しかし、ダニエルにそれは聞こえてはいなかった。
彼が目を覚ましたのはそれとほぼ同時ではあるが、違和感は音ではなく全身の感覚。
強い力で引き上げられるような。
「えっ、ええっ!?」
《起きた!》
気付くと周囲はフワフワした銀色のモノに包まれており、テントの中とその周囲を照らしていた光はない。代わりに上には夜空。
「ええええええええええええ!?!?」
ダニエルはフェンリルの背に乗せられ、上空を飛行していた。
《起きた起きた! あるじ起きた!! 早く早く! うるさいの! なんとかしてッ!》
ダニエルが起きたことにより、フェンリルの動きは激しいモノとなったが、それによりダニエルが振り落とされることは何故かない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
《早く早く!》
「ひえぇぇぇぇぇぇぇ!?」
《あるじあるじ!》
もっとも、振り落とされないから大丈夫というわけでもなく、フェンリルの動きと共にダニエルは激しく揺さぶられた。
「ちょま……止まって話して?! ねっ!?」
《……んん? わかったー!》
ふと下を見下ろすと、街は点描の風景画の一部のように小さく。キースに連れられて行った王城跡地よりも、遥かに高いところだと一目でわかる。
下から見れはこの存在感溢れる銀の獣は、瞬く星のひとつぐらいにしか見えていないのだろう。
流星よりは遅いスピードで、フェンリルは森の奥地へと降下する。それは辺境伯軍精鋭部隊すら訪れたことのない、未踏の地。
それはとても美しく、澄んだ空気の場所。
エメラルドグリーンと群青にキラキラと色を変えて輝く小さな湖に囲まれた、小さな島。
中央にはいくつもの木が重なり合うようにひとつになった、大きな古木。
そこにはなにかフワフワした沢山の光が飛び、チラチラと瞬いては消える。
(こんなところが森の奥に……)
強制的に起こされ名実共にジェットコースター体験をしたダニエルは、そこまでのフライトの中でようやく頭が動き出していた。
(まさかこの子……聖獣?)
銀色の巨大な狼のような獣。
辺境に来てから熱心にこの地を知ろうと努めたダニエルだ。当然『北の森の守護者』である聖獣・フェンリルのことも知っている。
なんで連れて来られたのかはサッパリわからないが、竜ですら愛でる動物好きの彼。
襲いかかられるなら兎も角、相手に害意はなさそうな上言葉も通じる……ちょっとばかりでかいとはいえ、このモフモフに恐怖など感じなかった。
「ええと……それで君は? なんで僕を?」
《うるさいの困ってた! あるじ探してたらいた!》
(言葉は通じるケド、語彙が幼児レベル……多分、情緒も。 ゆっくり聞いた方がよさそうかな?)
「『うるさい』……はまあいいや。 『主』……僕は君の主なの?」
《うん! よばれたもん!!》
「『よばれた』……僕が『召喚んだ』? 聖獣を?」
《うん!》
「そ、そうなんだ~」
ダニエルは笑顔のまま固まった。
(ヤバい……サッパリわからない)
だが連れてこられた場所が森の奥地なのは、なんとなくわかっている。
明後日は婚姻式。気持ちは焦るがここで焦ったところで余計に戻れないのは目に見えている。
こちらの事情から先に……とは思えど、話した感じから察するに、知性はあっても情緒は子供だ。
『あるじ』などと言ってはいるが、機嫌を損ねたらどうしようもない。この獣が危害を加えて来なくとも、放置されたら死は目前。
小さな湖なので泳いで渡れない距離ではないが、そこから森を抜けて帰るのはまず無理。
魔力量が増えたとはいえ、実感はなく使い方も不明な潜在魔力。多少は筋力も増えたが、元々貧弱なダニエルだ。
魔獣は勿論、大型の野生生物に出会したら一巻の終わり──
久しぶりに脳内に甦る、『追放されて森へと迷い込んじゃったパターン』……その結末まっしぐらである。
となると己のコンセプトは『生命を大事に!』一択。
ダニエルは根気よく聞き取りを行った。
《うるさいの、イヤ!》
フェンリルはしきりにそう言う。
ダニエルには『なにか異変が起きているようだ』レベルでしかわからなかった。
せっかちで語彙もないフェンリルをなだめつつ、話をゆっくり進めていく。
《うるさいの止める! ……でもあるじ、困るね? だから!》
「うるさいのを止めると、僕が困るの?」
《うん。 あるじの好き、いっぱい! だよね? あるじは大丈夫! でもあるじの好き、だいじょばない。 だから、ガマンした!》
どうやら自分は大丈夫だが、別の人は大丈夫でないことが起こるらしい。
やはり色々言葉が足りておらずそこにも疑問はあるが、先ずは聞いた事を取っ掛りに聴き取りを進めることにした。
「うるさいのに我慢してくれたんだね、ありがとう」
《エヘヘ♪ 『けーやく』だからねっ!》
とりあえず礼を述べると嬉しそうにしたあと、えへん、と胸を張る。
(『契約』……? もしかして閣下と間違えているのでは……)
間違える要素がさっぱり思い当たらないが、なにぶん聖獣の基準。そこは一旦置いとくとして、仮にそうだとしたら『だいじょばない皆』は領民達。
フェンリルが『北の森の守護者』であることからも、この仮定はおそらく正しいと思われる。
(これは……大変なことだ)
ダニエルは自身の腰くらいにある、フェンリルの鼻の頭を撫でながら、しばし伝承を思い出していた。
──土地の守護者であるフェンリルはこの土地の危機に現れるという。
(確か、瘴気を食べ浄化してくれるんだったよな……)
今いる場所の清涼さと彼の出現を思えば、それには納得がいく。
そもそもこの森の奥地は瘴気が濃く、簡単に入れない場所だ。だがある程度の瘴気はこの森に欠かせない要素でもある。
瘴気があるからこそ、人と森は共生できる。
人は狡賢く愚かで我儘な生き物だ。
いくら恩恵を受けていても物言わぬ森からその恩恵を感じ取ることは難しく、自分達の利だけを求めて搾取を繰り返し、最早どうにもならなくなった頃にその恩恵に気付く。
現に自然の畏怖として瘴気があるからこそこの森は維持され、カルヴァート領は王国時代から今も森への感謝を忘れない。
必要以上に狩ることはなく、討伐対象となる害獣にもキッチリ指定がされている。
領となった今、役割や寄せられる畏敬の念もこの森にあり、その一部は瘴気のおかげ。
瘴気があるからこそ他国の侵入を許さない。
また瘴気により発生する魔獣に被害は被れど、その討伐が領と民を潤すのも事実だ。
(……大量の瘴気が発生するのか? この地の危機となる程の。 なら、)
おそらく起こるのは、魔獣大発生。
結論はそれである。
今すぐ戻り、閣下へ報告すべき──そう思ったものの、フェンリルは興奮している。
《だから早く早くゥ!》
「ちょっ、ちょっと待って!!」
苛立つというよりはおねだりをするような感じで、フェンリルは前足を下げてダニエルに鼻を近付けると、左右に身体を揺する。
「うわっ?! うわぁぁぁああぁぁ!!」
そしてヒョイとダニエルをつまみ上げ、背中に乗せて走り出したのである。




