ヒーローは遅れて現れる。
「ダニー……!」
「アデル様……うわっ?!」
アデレードはダニエルを見るや否や、駆け寄り抱き着いた。
「ああああぁぁでるさっ……みゃっ?!」
真っ赤になって狼狽えるダニエルの頬を摘むと、グニグニと引っ張ったり伸ばしたり。
夢ではないことをとりあえず確認しているらしい。
「夢ではないな? 無事か?」
「ぶ、ぶじれす!」
「そうか……」
アデレードが頬から手を離すと、ダニエルはそっと彼女の肩を押し、愛おしげに彼女を見つめる。
そして申し訳なさそうにはにかんで小さく頭を下げた。
「──ご心配をお掛けしました。 ですが、少々事情がございまして……」
《ダニー!!!!》
フェンリルが咆哮するようにダニエルを呼ぶと、神殿内の空気がビリビリと揺れる。
「ひいっ!」
「うわぁっ!!」
武人ではない重鎮貴族は勿論、武人であっても逆に力の検知能力の高い者はその圧に耐えられず慄き、方々から悲鳴が漏れる。
倒れる者やしゃがみこむ者も出ている。
《早く! 早く!》
「どんだけせっかちなんだ?! いい子だからもう少し大人しくしてて!!」
《むうっ……》
ぐるるる……と喉の奥で声を出しつつも、フェンリルは我慢しているようだ。
皆、最早なにに驚いたらいいかわからない様子で、ただそれを眺める傍観者と化した。
「すみません!! 婚姻の意思はあります!」
そんな皆の方へ向き直り一礼すると、ダニエルはそう言ってアデレードの前から婚姻契約書のある祭壇テーブルに移動する。
自分の署名欄にサインをすると、すぐさまフェンリルの背に乗り込んだ。
「あっダニー!? ……待てッ!」
「ッアデル様……」
ふたりの視線が交差する。
だがダニエルの言葉は愛称を呼んだ後続くことはなく、一瞬苦しそうに顔を歪めてからなにかを振り切るようにアデレードから視線を逸らした。
「──皆様!」
皆の元に向けた彼の表情。
「申し訳ございません! 必ず戻りますので、この責めはその時に負わせて頂きたく! 婚姻の意思はありますが、僕の処遇はお任せします!」
それは凛々しく、声は力強い。
「──」
アデレードは息を飲んだ。
《行くよ!》
その僅かな間に、再び銀色の風。
巻き起こる突風に皆が目を瞑る中、アデレードの眼は瞠目したままダニエルを写していた。
彼が頷くのが妙にゆっくりと、ハッキリ見える。
声が、出ない。
夢の中のように重たい身体で、無意識に手を伸ばした。
「……ッダニー!!」
ようやくひり出した声に、一瞬だけ目が合う。
銀の獣は毛をふわりと舞い上がらせながら、風と共にその姿を消していく数秒、ダニエルの口が自分の名を紡いでいたように見えた。
カオスに継ぐカオスの中、婚姻式は打ち切られた。
一応書類は受理されたものの、神殿預かり。
煩くなるかと思われた周囲だが、するのは『ダニエルが戻らなかった時』の話ばかり。
やはり聖獣であるフェンリルの存在が強く、強引なすげ替えとはいかないようだ。
立会人が王太子であり第一王女もいる。そのこともあり、話し合いは一旦持ち越し。
王族のふたりを連れ、アデレード達『事情を知っている組』は辺境伯邸へと戻る。
ユーストらは人払いをした応接室にふたりを通すと、改めて謝罪と事情説明を行った。
ローズはあれから大人しい。
か弱いダニエルが聖獣に乗って登場したことに驚いてはいたものの『別人』とは言わなかった。
婚姻についてはまだ触れてはこないが、おそらく誰しもがそうであるように、それどころじゃないのだろう。
──そう、こうなってくると婚姻についてより、ダニエルの今の状況の方が遥かに気になるわけで。
そして気になれど、やはりわからないまま。
だが、少しばかりこの状況を理解している者がいた。
ランドルフとアデレード、そしてランドルフから報告を受けていたユーストである。
しかし、アデレードはこの場にいない。
それを誰も咎めないまま経緯を含めた説明は概ね終わり、その話へと移行する。
「やはり、大佐の予測通りだったか……」
「ええ。 一瞬にしてあの強固な結界を破り、魔力痕を検知できないとあらば、神力での破壊以外に考えられません」
アデレードに今朝告げたのはそのこと。
復元し解析したランプからの周辺画像に残っていたのは、身体を休めていた魔獣や野生動物達が捌けていくところ。
その後、白い空白の数秒。
そして駆け付けた時には、ダニエルは消えていた。
この白い空白は、フラッシュのようなものと考えられる。銀の獣──聖獣フェンリルが現れた光だろう。
この画像だけでは信じられなくとも、一部の地表に神気が確認されたことで、報告に至った。
今や実際にダニエルを乗せて現れたのだから、疑う余地もない。
『ダニエルの生存はまず間違いないが、連れ戻すことはできないかもしれない』
今朝のアデレードに告げたことは聖獣と予測したランドルフのこの見解を含む。
聖獣は瘴気を食し、浄化すると言う。意味なく危害を加えることはない。
だが、ダニエルと聖獣の間にどんな遣り取りがあったのかは不明なまま。
「なにぶん聖獣なんて初めて出逢う存在ですからな……」
獣でありながら聖なる存在であるフェンリルは、伝承通りに高い知性を備えていることは間違いない。
現に人語を解し、操っていた。
だが強大な力を持つことは間違いない。
連れ去っただけにすぐは殺さないにせよ、ダニエルが贄的な立ち位置にある可能性も一応は考えられたのだが──
「……仲は良さそうでしたね」
「うむ、ダニエル殿の言うことを素直に聞いておりましたな」
元々薄かったセンではあるが、その心配はないと見ていい。
「やはり……」
「うむ」
ユーストとランドルフは頷き合う。
壁際に立ち話を聞くネイサンも薄々理解しだし、王太子もなにか心当たりがありそうだ。
ひとり理解の外にいるローズは、苛立った様子で尋ねた。
「それで……ダニーは今どこにいるの?!」
「──姉上、落ち着いて」
「オスカー! 貴方はどうしてそんなに落ち着いているのよ!」
「聖獣こそ本来の『北の森の守護者』。 この地を護る存在……そうですよね? 閣下」
「王太子殿下の仰る通り。 殿下はスチュアートとご友人だとか。 彼から話を?」
「ええ。 姉上、」
王太子オスカーはローズに向き合う。
姉に声を掛けた彼はまだ14歳の少年だが、その表情は大人びており感情は見えない。
「この地には今、災害の危機が迫っていると予測されている……スチュアートの予測が正しければ、火山噴火と」
「──一体……さっきから、なんの話をしているの」
ローズが震える声で聞く。
本当はもう察しているが、聞かずにはいられないのだ。
「おそらくダニエルは、火山付近に」
ダニエルはなにかしらの理由から聖獣に見込まれ、共にいる。
きっと、この危機に立ち向かうために。




