『君はツイてる』とか言われても。
爽やかな秋風が頬を撫でる中、キースの案内の下、ふたりは馬車の脇を抜けて教会裏の小路を歩く。
(ここは……)
それは既に廃墟となった古城。
ほぼ瓦礫で、一部が残るのみ。
エスメラルダに属する前の王城だろうか。
「こっち」
少年心を擽られる光景に見惚れて立ち止まっていると、キースが少し先で手招きする。
そこは辛うじて残っている、城の端の塔の部分。
屋根から斜めに半壊しており、瓦礫の散らばる入口付近と残った壁に沿った螺旋階段の途中までが剥き出しになっている。
「……うわぁ」
登っていった階段の先端は、周辺を一望できる見晴らしのよさ。
「本当は辺境伯邸に向かうには遠回りなんだけど、ここは少し高台にあるだろう? だから休憩にはここを指定したんだ」
「……道理でなんか傾斜が多いし、なかなか着かないなぁと」
「君は婿殿だからね、馬番でなく。 不満?」
「まさか! ……ありがとう、見せてくれて。 馬車の窓からじゃ見えなかった」
礼を言うと彼はあどけない笑みを見せる。
不覚にもちょっと泣きそうになってしまったダニエルは、慌てて意識を風景へと向ける。
「これ、良かったら」
そう言ってキースは折り畳み型の望遠鏡を手渡した。
どうやら華やかだったのは最初の街だけのようだ。
点在する小さな町と広大な畑に、王都から離れた辺境だというのを実感する。
長閑な田舎の風景の中で唯一目立つのは、遠目から見ても荘厳な建物。知らぬ間にもう大分近くまできていたと知る。
王宮と似たかたちで、そこを最奥として囲われた中にいくつもの建物がある。周辺全体が領内統治の為の施設と、そこに従事する人や家族の生活拠点になっているのだろう。
華やかではあるが、最初の『街』とは明らかに違う。
その後ろに延々と広がる大きな森。
さざめく深緑はまるで夜の海。
領を飲み込む高い波のように、奥の山の傾斜に沿って生えた木々がさざめき立っている。
森の木々を縫うように続く城壁らしきものは、いくつかの大きな建物を繋いでいて、かなりの規模だ。
「あの大きなのが辺境伯邸?」
一番目立つ建物を指し、ダニエルはキースにそう尋ねる。
「……う~ん、もし本邸という意味で聞いてるなら、微妙に違うよ」
「え?」
「アレはね、確かに辺境伯邸だけど──」
──カンカンカン!!
キースの言葉を遮るように、遠くで始まった鐘の音。
それは麓の村からもけたたましく鳴り響く。
「これは!?」
「!」
次いで、大きな羽ばたき音と、耳をつんざく謎の高音。
ダニエルの質問には応えずなにかを確かめるように見回した空、キースはある方向を見て叫ぶ。
「……ロックバードか!?」
「えぇ?!」
大怪鳥・ロックバード。
読んで字の如く、とてつもなくデカい鳥である。
勿論魔獣だ。
「チィッ!」
「あっ! キース君?!」
舌打ちをして階段を駆け下りていくキースを追い掛けながら、ダニエルも彼の見た方向をチラリと見上げる。
「!」
まだ遠く森の上空の筈。今は肉眼で見ているというのに、遠近感がおかしくなったのかと感じるほどに大きな鳥の影。
あれがロックバードだというなら、その姿はまさに大怪鳥と呼ぶに相応しい。
(それはともかく)
「クソっ! なんで私がここにいる時に?!」
ダニエルが視線を戻すと既に下まで降りたキースは、歯噛みしつつイライラと頭を掻きむしっている。
(なんでそんな悔しそうなの?!)
彼はとても悔しそうに美しい顔を歪める。
興奮冷めやらぬ様子のまま、遅れて下まで降りたダニエルの方を振り返った。
「ほら見てみろダニー! 君はツイてる! ロックバードはここでも中々お目に掛かれないんだ!」
「えぇぇ……?!」
(なんでそんな嬉しそうなの?!)
正直、あまりツイてるとは思えないのだが。
「つーか警鐘鳴ってたよ?! 避難した方がいいんじゃ……!」
「馬鹿言え!」
ダニエルの言葉をそう一蹴すると、小さく舌打ちをしながらロックバードの飛ぶ方へと向き直る。キースは大きく息を吸ってから、懐から取り出した笛を鳴らした。
彼の視線を追うように、ダニエルも再び見上げた空。
肉眼ではなく、今度は胸ポケットから出した、小さな望遠鏡で。
「──ッ!?」
そこには城壁と思しき場所の辺りから飛翔する、数体の小型竜の影。
その背になにかが乗っている。それが望遠鏡越しに人だと辛うじてわかるようになるまで、時間はそうかからなかった。
凄いスピードで上空を移動しているので、いつの間にか判別出来るぐらいの近さまで来ていたのだ。
「りゅ、竜騎士ィ?!」
「ああ! カッコイイだろ!」
キースはドヤ顔で言う。
これはダニエルが後で調べて知ったことだが、『ロックバードが珍しい』というように『飛行する』という意味で飛べる大型魔獣は意外と少ないらしい。
識者の見解では『体長から鑑みるに、魔力や翼で飛ぶのには負荷がかかり過ぎると想定される』とのこと。
また、翼の有無に関わらず長距離飛行可能なもの(大型竜等)もいるが、そういった魔獣は定位置に住み着きあまり活動しないことから『普段は魔力を溜めており、繁殖期などに移動の為、魔力を用いて飛ぶ』と考えられている。
辺境伯軍の小型竜も躾られてはいるものの、基本的には近距離しか飛ばない。
飛べないことはないが、辺境伯領から離れるのを好まないのだ。
やはり躾は難しく捕まえて慣らせたのは数体しかいないので、王都からほぼ出たことのないダニエルが知らなくても不思議ではないだろう。
だからこそ──
「確かにカッコイイけど!」
(辺境伯軍には竜騎士がいるのかよ?!)
そう驚くばかり。
野生動物を捕まえて躾るのは難しく、ましてや魔獣……しかも飛ぶ竜。
いたっておかしくない環境とはいえ、実際にいるのを突然知ったのだ。
当然、度肝を抜かれずにはいられなかった。