不在の婿殿とアデレードとランドルフ。(前)
アデレードはいきり立っていた。
「ダニー!! ダニエルッ!!」
森の中では馬は使えないが、幸い竜は小型である為森での捜索にも適している。
ただ情報漏洩への懸念やそもそもの役割である防衛上の観点からも、大っぴらに動かせるのは彼女の竜である『シーグリッド』のみ。
同様に、捜索隊もごく一部の人間で構成されている。ダニエルが過ごしていたテント周辺の捜索はランドルフの指揮の元、彼等に任せ、アデレードは単騎でひたすらシーグリッドと共に森を駆けた。
しかし、ダニエルの痕跡すら見付けられないでいるのだ。
「くそっ……! どこに行ったんだ……」
時間だけが無情にも過ぎていく。
クルル、と主の様子を窺うようにシーグリッドが小さく鳴く。
「……ごめん、シーグリッド。 そうだよな、ちょっと落ち着かなければ」
(そうだ……冷静に考えねば。 こんなところまでダニーが一人で? 何の痕跡もなく? まず無理だろう……)
シーグリッドがいる上、殺気立つアデレードは魔獣に襲われることなどないが、今も気配は多数。ダニエル単体なら、確実に襲われている。何の痕跡もないのは逆に僥倖と言っていいだろう。
気付けば森深くまで足を踏み入れていたアデレードは、一旦ランドルフの元へと戻った。
「どうだい、ランドルフ爺」
「周辺を調べましたが、魔力痕すら。 捜索隊の一部を私服に着替えさせ、街の方を探らせることに致しました」
「そうか……拐かされた可能性は?」
「流石に城壁外とはいえ、森側……可能性としては低いかと。 もっともダニエル殿が街側へ出てからならば、有り得ますが」
「……」
(ダニーは直前で嫌になったのだろうか)
元々唐突すぎる婚姻前提での婚約。
婚約期間は一応慣わし通りに取ったとはいえその期間は短い。
男性側の婚約期間が短いのはあくまでも男女の身体上に於ける不貞への懸念からの差に過ぎない。充分に相手を知ろうと考えてならば、もっと長い期間を設けるのが常。
辺境の長い冬前というタイミングや、アデレードの年齢からこちらに招請されたダニエルだが、政略と片付けるには彼にとっては納得のいかない条件だった筈だ。
上の立場からであったという婚姻と婚約の事実に、今更ながらアデレードは不安を感じてしまっていた。
その一方で、それはあまりにも信じ難い。
(馬鹿な……あんなに仲良くなったのに?)
ここ最近は特に、自分に向けてくる特別な好意を感じずにはいられず、上手く普段通りに振る舞うことができなくて度々困ったくらいだったから。
困惑し動揺する彼女を見ながら、慰めるでもなく淡々とランドルフは告げる。
「──だがそれならば、儂とネイサンが気付かん筈はない」
「!」
「そもそも、ランプが壊れているのですぞ。 なにかがあったと考えるのが道理。 ……話を続けても?」
ランドルフはくだらない感傷や不安になど付き合ってはくれず、『時間の無駄』だとでも言うようにそう尋ねた。
「すまない、続けてくれ」
「少し話が逸れるようじゃが、ダニエル殿がこちらで過ごすことをお嬢はなんと聞いておったのですかな?」
「……身体を鍛える為に、ランドルフ爺から指南を受けて、と。 違うのかい?」
「合ってはおります」
合ってはいる──ダニエル自体、ランドルフの目的とするところを正確には理解していないし、ランドルフも細かく説明を行っていない。
ダニエルの目的は強さである。
その直接的な餌を敢えてよくわからないモノに変える意味などなく、ダニエルも真摯に取り組む以上従うのが当然だと思い詳しく尋ねたりはしなかった。
ランドルフはダニエルの潜在魔力が多いことなどを説明したあと、この鍛錬の意味合い、そしてネイサンに話せなかった考察の続きを語る為に再び書類を出した。
そこにこそ、ダニエルの行方のヒントがある気がして。
書類に記されているのは、ランプから得た周囲の記録──ダニエルがランプに魔力を供給している間や彼が眠っている間、なにが起こっていたか。
彼が満足に眠ることすらままならず気を張っていた、最初の三日間より後のこと。
「特に変化が顕著なのは、後半──」
「これは……?」
ダニエルのテントの周囲に、魔獣や野生動物が集まっていた。いずれも害意はないようで、ただその場に横たわっているのだ。
それは日が経つにつれ、範囲を拡げていた。
「これはあくまでも儂の推測ですが、おそらく身体を休めに」
「どういうこと?」
「ダニエル殿が注いだランプの魔力です」
ダニエルだけでなく周辺を映す為と、結界の範囲を拡げる為にテントの入口側一面の上部は空いており、ランプは吊り下げられている。
「潜在魔力増幅の試みとして行ったこの顕在魔力コントロールは大成功。 ダニエル殿の潜在魔力は大きく増えましたが、顕在魔力は然程の変化が見られませんでした。 顕在魔力が尽きる程には使ってはいけないのが前提のこの方法ではまあ、そうでしょうな。 ここで注視して頂きたいのは彼の潜在魔力量が大幅に増えたことと、睡眠時間に変化がないこと。 そしてこの周囲の変化です」
ランプに必要な魔力は変化しない。
ダニエルの顕在魔力が変わらなくとも注ぐ量も変わらず、彼の魔力量で朝まで持たすには足らなかったから定期的に起きて注ぎ直している。
──ネイサンはこう言っていた。
『生真面目な若旦那様が目的のある鍛錬を余裕を持ってやるわけありません。 ギリギリのラインを読んで魔力を注いでいたと考えます』
彼の憶測は正しいだろう。
だが潜在魔力が増えたならば、身体は楽になっていていい……つまり、顕在魔力の増幅はなくとも回復は早い筈であり、必然的に二回目以降に注げる魔力は増える。
故にダニエルの性格上、ランプにギリギリまで魔力を注いでいるとしたら、それに伴い睡眠時間も増えている筈なのだ。
しかし、睡眠時間は増えていないのである。
「つまり──潜在魔力が回復に使われなかった。 潜在魔力の痕跡まではわからないのが口惜しいところじゃが……周囲の変化を鑑みるに気付かずに放出していたのではないか、と儂は見ておるのです」
潜在魔力を放出してしまい、回復に回せていなかったのなら、睡眠時間が変わらない説明はつく。
これまでわかっている限りのダニエルの能力ともなんとなく合致する上、潜在魔力の概算値と動物達の訪れる範囲の拡がりにも。
「お嬢様はダニエル殿になかなか慣れないご様子と窺っておりますが。 ああ、悪い意味ではなく。 意識してしまうのでしょう?」
「そんな報告まで?!」
顔を赤くするアデレードを揶揄うでもなく、真面目な様子のままランドルフは続ける。
「思い出して頂きたい……その感覚は、このデータと重なっておりませんかな?」
ランドルフが指で指し示す先──それは、ダニエルの潜在魔力量、概算値の推移グラフだった。




