頼りになる客人。
フェリスは辺境伯邸のキッチンで、主ふたりの朝食のキャンセルを告げる。
「わかりました……しかし、こんな早くからどちらに?」
「お嬢様ったら昨夜からモジモジ悩んでたんだけど、若旦那様を『遠乗りに誘う!』って明け方に言い出して……そのまま」
「ああ~」
アデレードらしい理由に、料理人もキッチンメイドも笑うのみ。
ネイサンから一通り話を聞いたフェリスは辻褄を合わせる為にアデレードとダニエルの詳細な予定を決めた。
その後、ネイサンはダニエルの部屋で代役の為の仕込みを。フェリスは予定の変更通りにいつも通りの動きを。
アデレードのやんちゃや些細なやらかしを散々誤魔化してきたフェリスは案外冷静で、さりげなく暗躍した。とはいえ今までのとは訳が違う逼迫した状況に不安がないわけではない。
邸内の使用人は信用はできても信頼には足り得ない者ばかり。
彼等はそもそも獅子身中の虫への理解などない者が殆ど。もし話を漏らそうものなら味方だと思って、悪気なく敵方の者に喋るだろう。
「作った物は皆で食べて頂戴。 ランチは出先でお召し上がりに。 婚姻式の前で緊張するからディナーもいらないそうなの。 代わりに軽食をすぐ用意できるようお願いね?」
「かしこまりました!」
(これで不自然さはある程度消せたかしら……でも、私では力不足だわ)
邸内はアデレードの普段の素行もあり、概ね問題はないだろうが、如何せん明日が不安だ。フェリスは元の王国の貴族の末裔であり、アデレードと共に高位貴族淑女としての教育を受けたが、彼女は貴族ではない。
今この状況で、次になにをしておくべきかを考え、判断するにはあまりに経験が足りなかった。
本来こういう時に頼るべき人達は、皆信用ができない──そんな中、今ここにガブリエラがいるのは有難かった。
ガブリエラはここの内情をよく理解している、完全なアデレードの味方だ。
アデレードがダニエルを望んでいる以上、彼女は信頼できる。
フェリスは『彼女にだけは全てを話し協力を願い出たらどうか』とネイサンに相談した。
「本来ならばお嬢様にまず窺いを立て判断を待つところだけれど……」
「いつ戻るかもわからず、当然そんな猶予もない。 私には彼女とアデレード様との関係はよくわからないが、君を信頼している……力不足なのは私も同じだ、気を揉ませてごめん」
「ネイサン……」
「『明日の準備』という名目でガブリエラ様をアデレード様の私室へ。 私は隣から」
フェリスは黙って頷くと、すぐにガブリエラの元へ向かう。
ネイサンは隣のダニエルの部屋から夫婦の寝室を経由し、秘密裏にアデレードの部屋へ入ると、待っていたガブリエラに掻い摘んで事情を話した。
「成程……」
聞き終えるとガブリエラは、少しばかり思案した後で口を開く。
「私がお役に立てそうですね」
ガブリエラは自ら特使として王太子に会いに行くと言う。そこで王太子には全てを予め話し、協力を願い出るのだ。
ネイサンが代役として動くのは、辺境伯家にとってもリスクが高過ぎる。王族を謀るのは重罪……しかしダニエルになにかあったとなって婚約式が潰れれば、勿論王家との関係にはヒビが入る。
代役案はやむを得ない状況下での選択でしかなく、できれば選びたくないモノ。
ネイサンの変装は魔道具を利用した認識阻害──だが魔力量が多く、ましてやダニエルをよく知る王太子には気付かれる可能性が高い。
アデレードとの関係の良好さは王家にも伝わっているので、王太子もどうすべきか判断に困るだろう。
予め話を通して協力して貰うのが、ダニエルの安否確認すらできていないこの場合の最善策だ。
ダニエルを紹介したとはいえ、元々ダニエル自身の価値が高く評価されてのことではない。酷い言い方ではあるがダニエルになにかあって困るのは、王家と辺境伯家の体面上の問題が一番であり、次に辺境伯領の内部分裂が起こること。
ダニエルが死亡していた最悪の場合でも、遺体が見つからなければ──ダニエルが無事かもしれない希望もある状態であれば、この婚姻式は恙無く行われた方が都合がいい。
「閣下も本当は連絡を取りたいのでしょうが、おそらくタイミングが悪過ぎたのですわ」
なにしろ婚姻式を明日に控えた前日。
ガブリエラの言う通り、ユーストはダニエルに反発する傘下の貴族側に悟られる懸念から部下になにかを新たに指示する訳にも行かず、身動きが取れずにいた。
結婚式とは違い契約的な側面が強い婚姻式。
参加することも無い他家のガブリエラの方は事前準備がほぼ終わっている今、特にやることはない。
彼女が活躍するのは春の結婚式に向けての事務的作業が主。
婚姻式が終わった後からこそが忙しくなる。
「ですので私なら、今動いても特におかしくはありません。 母は今、家庭教師として王宮に召されておりますので、お会いする名目はご挨拶でなんとかします。 閣下には特使であることの証明だけ御用意頂ければそのあたりは私が上手くやりますわ。 慣習を鑑みるに王太子殿下御一行はこちらの準備に配慮し、隣領にお泊まりになり明日の早朝に出立されると予想できます。 それより先にホテルに着くことが肝要……悩んでいる暇はありません」
辺境の姫君の教育係として箔をつけたガブリエラの母は、今第二王女殿下の教育係を務めている。ガブリエラなら上手く立ち回り、挨拶くらいはできるだろう。
彼女の申し出を有難く受け、ネイサンは急ぎ明日の準備の体でユーストのところへと向かう。
ガブリエラはソファからアデレードの執務机に移動しながらフェリスに次の指示をする。机の端に置いてある便箋の束から一枚取り出し、ペンでなにかを書き綴りながら。
「ノースブロウ卿をこちらに」
「護衛につけますか?」
「いいえ、彼じゃ目立ち過ぎる。 王家の馬車で動くのは城門の街まで、そこからは乗り換える……ノースブロウ卿に行ってもらうのは『エル・ドラド』よ。 コレを」
『エル・ドラド』はこの街にあるホテルの名前だ。この街の特性からもわかるだろうが、それなりに高級な宿と言っていい。
「プリジェン卿に渡して。 共に行くのは彼よ」
「それは!」
「彼には詳細を馬車で話すわ。 ここの内部分裂や王家との確執は近隣の領の彼にとっても望むことではないし、彼と私ならまず疑われない」
「……ガブリエラ様はそれで大丈夫ですか?」
「アデル様の言葉を信じているもの。 それを貸しとして彼に迫られたら、また倒して頂くわ」
「ガブリエラ様──」
「さあ、私も急いで出掛ける準備をしなくては……フェリス、貴女は笑いなさい。 いつものように」
「は、はい……!」
フェリスは指示通りヘクターに手紙を渡し、『エル・ドラド』のボールドウィンの元へと急がせ、同時に馬車の準備を進めた。
悟られる懸念はあれどヨルブラントを王太子の元へと向かわせるべきかで悩んでいたユーストにとっても、やはりガブリエラの申し出は有難かった。
ユーストは即座に王太子への手紙をしたため、特使としての証明に使う辺境伯家の紋章が浮き出る魔法紙にサインをし、それぞれを封筒に入れてネイサンに渡し退出する彼を見送って溜息を吐いた。
(これで最悪の事態は防げるが……)
吐いたのは安堵の溜息などではない。
ダニエルはどうなったのか──
彼がいなくなってから、4時間。
未だに報告が、なにひとつ上がってこない。




