消えたダニエル。
「馬鹿な、結界が破られただと?!」
「そんな!!」
ふたりは焦燥に駆られながら即座に席を立つ。向かうは無論、ダニエルの元。
いくら強力な結界を作る魔道具とはいえ、魔獣がずっと攻撃を繰り返した場合、破られることはある。
しかし、その気配は一切なかった。
一切なかった上で、破られたのである。
──つまり今ダニエルに迫っているのは、強力な結界を事も無く一撃で破れる程の力を持った、なにか。
しかも城壁外にはそういった脅威の為、いくつかの箇所に強い力を検知する魔道具が取り付けてあるのだ。
ロックバード出現時そうだったように、出現の際には警鐘が鳴るかたちで。
なにが起こったのかわからないまま、飛び出すように駆け付けたランドルフとネイサンだったが──
「なん……だと?」
「これは……一体……?」
ふたりはその場に呆然と立ち尽くす。
駆け付ける短い間にも、事態は更に混迷を増していた。
ダニエルがいない──忽然と消えていた。
ランプはもう片方と同様、無惨に大破しているものの、使用していたテントは寝袋が入ったまま。
襲われていれば服が破れたり血が出たりするものだが、戦闘どころかダニエルが抵抗した形跡すら微塵もない。
魔力量は少ないが器用な彼は、無詠唱で魔法を使うのが常。しかし地面が抉れたりは勿論なく、魔法痕は大破したランプのところだけ。
それはまさに『消えた』という表現が相応しい状況といえた。
「ネイサン! 急ぎ閣下とアデレード様に連絡を、ダニエル殿を捜索する!」
「はっ!」
大佐としてのランドルフの指示が飛ぶと同時に、ネイサンは厩舎へと駆け出した。
「──私が付いていながら……有り得ない失態です」
ユーストの前で冷静に報告を行った後、そう漏らしたネイサン。そこに、自らの保身は全くない。
自信家だが慎重でもあるネイサンはそれに驕ったことなどなく、事実、それ故にここまでの失態を犯したこともなかった。
なにか事が起こればその場で分析し、リカバーに努めるべき──そんな彼が今強く感じているのは、敗北感に近いモノ。
こうして一刻も早く報告するのが最適解にせよ、なにしろ経緯すらわからない。できることは、現状を述べるだけ。あまりに無力で不甲斐ない。
それが歯痒くて仕方なく、爪の先が掌に食い込む程に手を強く握り込む。
そんなネイサンを睥睨するも、ユーストが彼に向けている冷たい視線もまた、自分自身を叱責するものだった。
「ネイサン。 お前だけでなく大佐からも婿殿を預かる報告は受けていた。 婿殿の前向きさに喜びこそすれ、森の危険性を鑑みなかった私の失態だ──だが今考えるべきは別のことだ。 悔いている場合ではない」
「はい」
ユーストの言う通りだ。
後悔など渦中ではなんの意味も為さない。
アデレードは全ての報告を待たず、既にランドルフの元へ向かっている。
ネイサンも城壁に戻ろうとし、ユーストに止められた。
「何故お止めに……?」
「冷静になれ、ネイサン。 明日は婚姻式だ──この意味がわかるな?」
「……っ!」
その言葉にネイサンは息を呑んだ。
いくら形式だけの華やかなものでは無いにせよ、婚姻式は相応の儀式的手順がある。
ましてやここは元・別の王家だった辺境伯家、従える者達への示しをつける為にも略式は許されない。
なによりこの婚姻には王家が直接的に関わっている。──つまり、王家からも立会人がやってくる。
しかもダニエルは王太子付きの文官であった上、シエルローズ王女の元婚約者だ。
「軽率でした。 ……王族のどなたかが、いらっしゃるのですね?」
「王太子殿下が。 もしかしたら王女殿下も来るかもしれん」
当然ながら既に王族を乗せた王家の馬車は、こちらに向かっているところ。
「婿殿が婚姻式までに戻らなかった場合を考慮せよ。 不幸中の幸いと言うべきか、消えたのは城壁……しかもランドルフが指揮しておる」
「──御意」
全てを語らす事無く、ネイサンは引いた。
ネイサンは元々影の一員だ。
ダニエルがアデレードの相手として選ばれたことで、体躯の似た彼が従者として選出された……という経緯がある。
ダニエルが戻らなければ、代役としての役割を務めねばならない。
その仕込みもあるが、一番はユーストが『幸い』と言った部分にある。
ダニエルに不満を抱く貴族サイドはまだこのことを把握していないという示唆。だが、悟られて横槍を入れられる危険を考えると絶対にバレてはいけない。
(私がすべきなのは若旦那様がいるように振る舞うこと……!)
もどかしさに歯噛みしながらもいつもの読めない柔和な表情に戻し、フェリスの元へ向かった。




