狐と狸と対のランプ。
「どうなんです大佐。 若旦那様は」
婚姻式が形だけとはいえ、明日の夜は流石に準備がある。ダニエルの森テント泊鍛錬も今夜が最終日。
城壁側辺境伯邸の客室、ネイサンとランドルフは酒を酌み交わしながらこれまでの経過とダニエルの変化について話し合っていた。
「ふふ、聞いて驚くなよ小僧」
魔力量が多く器用なネイサンを育てたのも、ランドルフ。当時と同じ様に小僧呼ばわりする老爺の機嫌は相当いい。
(これは相当面白いデータが得られたようだ)
ネイサンにはダニエルの従者としての仕事がある為、直接的な経過の観察はできてもランドルフがなにをどう調べていたかまでは細かく知らない。
ワクワクした気持ちを落ち着けるように、まだ中味のあるランドルフのグラスに酒瓶を向ける。気持ちよくグラスを空け、注がせてからランドルフは口を開く。
「ダニエル殿の潜在魔力量は凄いことになっておる。 最初は微微たる量だったし、まだ儂やアデレード様に匹敵する程ではないが、特筆すべきはその成長の早さだ。 これを見ろ」
そう言って席を立ったランドルフは、書類を執務机から出すとローテーブルに置いた。
書類はこれまでの経過を纏めたもの。
いくつかの項目にわけて作成されている、およそ40頁程の書類を後ろの方から捲る。
そこには概算値であるものの、ダニエルの潜在魔力量とその推移がグラフにして描かれていた。
そしてその下にはヨルブラントの昔の顕在魔力の推移や、その他参考資料。
「ヨルブラント殿の潜在魔力量を測り直したところ、然程の変化はないようだった。 参考に出した顕在魔力の推移ですら、比較にならん」
「ヨルブラント様はとても優秀だったと」
「うむ」
顕在魔力と体力・筋力を増やすのが目的のヨルブラントの場合、勿論森に放置などはしていないが、その代わり限界まで魔力を使わせる、という方法を取っていた。
『強くなりたい』と願ったダニエルに同じ方法を取らなかったのは、彼の顕在魔力が『大して多くない』と自称するヨルブラントに比べても圧倒的にショボいからである。
だがこの方法は、ランドルフがダニエルの潜在魔力に興味を抱いたことが大きい。
ランドルフはヨルブラントの時とネイサンから聞いた話を参考に、潜在魔力量を増やせそうな方法を考えた。
それが魔道具のランプに魔力を注ぎ込むという、この方法。
魔道具の結界は森の魔獣から身を守れるだけの、強力なもの。当然相応の魔力を必要とし、顕在魔力量の多くないダニエルが全力で注いだところでたかが知れている。
また夜が明けても、誰かが迎えに来るまでは森の中……魔獣や野生動物には早朝に動きが活発になるものも多く、そこまで注いだ魔力でランプが持つという絶対の自信がなければ、全力で注ぎ意識を失うのもリスクが高い。
意識を失わないようにコントロールしながら顕在魔力を使用する為の集中力。
肉体が顕在魔力量を増やすように作用しないレベルで、つまり意識を失ってはいけないという縛りによる緊張感。
身体に襲いくる倦怠感の中でも、それを続けなければ死に繋がり、逼迫した状況下でも休める時は休まねば続けることも厳しい。
精神と身体の疲弊──それはランドルフ自身が『潜在魔力が増えた』と感じた時に近い状況。
ヨルブラントの例を見ても、潜在魔力が生命や健康の維持にある程度回されるようであることは確か。
潜在魔力が気になるとはいえ、『強くなりたい』というダニエルの目的とは繋がらなさそうに感じるかもしれないが、そうではない。
潜在魔力がなんに使われてるのかは不明だが、総量が増えればそれもハッキリするかもしれない──短期間で闇雲に鍛錬を行うよりも、そちら方がダニエルの目的達成により可能性が高かったから、というだけのこと。
可能性を重視というダニエルにとってはシビアな選択ではあるものの、ランドルフとて万能ではない。この短期間でどうこう、という元々が無茶振りなのである。
「潜在魔力は資料が少ないし、顕在魔力とは質が違う。 比べることが自体違うと言われればそうなのだろうが、それにしてもこれはなかなか……」
これまでの結果を振り返り、ランドルフは感嘆の吐息を零すと美味そうに酒を呑んだ。
なにしろ数値だけなら大成功と言っていい。
ダニエルの初期値がどれくらいだったのかはわからないが、彼が王宮や学園に行くようになってから『それなりに多い』くらいに増えたのだとしてもかなりの期間。
だが辺境に彼がやってきて測った、二回目の時からは──ランドルフが最初に測ってからなんと、半月も経っていないというのに、増えていたのだ。
微微たる量であれ、まずそのことが驚きだった。
更に今や『それなりに多い』が『かなり多い』くらいには増えているのだから、驚きどころか衝撃的ですらある。
「さて──お主はその要因をなんと見る?」
「若旦那様が器用であらせられること、でしょうか」
ダニエルが目の下に隈を作るくらい眠れなかったのは、最初の3日程まで。
それからはネイサンが言うように、器用にランプが消える頃に起きて魔力を注ぎ、寝るを繰り返していた。
異物の体内分離もそうだが、ダニエルの魔力量は僅かだが、その操作には非常に長けている。
ネイサンは、ダニエルが最初の3日程で注いだ魔力からランプが灯る時間と、自身の魔力回復速度で寝られる時間の塩梅を掴んだのだろうと見た。
「生真面目な若旦那様が目的のある鍛錬を余裕を持ってやるわけありません。 ギリギリのラインを読んで魔力を注いでいたと考えます」
「ふむ。 それも要因のひとつじゃろう。 だがおそらく他にもある」
「なにかおわかりになったんですね?」
「ふふ……色々調べておったら面白いことがわかってな」
ランドルフはネイサンに渡した書類を捲り、テント泊時の経過観察が細かく書かれた部分の初日の頁まで戻した。
「周辺の変化の項目に着目し、読み進めていけ」
「──コレは……?!」
「どうだ、なかなか興味深いじゃろ?」
総量が増えてもまだどんな能力かはハッキリしない。目下のところ増えた潜在魔力がどう作用するのかは不明なまま。だが、いくつか不思議なことが起きていた。
「儂が思うに──」
ランドルフがその不思議な出来事と絡め、自身の考察を述べようとした、そんな時であった。
──パリンッ!!
「「?!」」
激しい音と共に、ダニエルの持つランプの動きを感知する対のランプが突然割れたのだ。




