その時ふたりの物理的距離……0。
──ガタン、ゴトン
然程大きくない音と揺れ。
華美ではないが職人らが丁寧に作り上げた辺境伯家の馬車は、朝の冷たさが幾分和らいだ快晴の日差しの下、石畳の小道をゆっくり進む。
その中にはドヤ顔のアデレードと、顔を真っ赤にして固まったダニエル。
今、ダニエルは膝枕をされていた。
少し前のこと。
エスコートしようと先に馬車に乗り込もうとしたダニエルが、寝不足の為にふらついたのが始まり。
「むっ?! どうしたダニー」
「いや……はは、お恥ずかしい。 ちょっと寝不足でして」
「そういえば顔色が悪いな! よし、妾に任せよ!」
距離を近づけようと張り切っていたアデレードは、そう言って──
「ええ……!?」
ダニエルを持ち上げた。
横抱きにして。
「ああぁぁあアデル様ッ?! ッ重い! 重いですからァ!!」
「ふっ……貴様ひとり持ち上げるなど、この妾にかかれば造作もないこと(ドヤァ)」
「いやいやいやいや!!」
暴れる訳にもいかず、これ以上身体を近付ける訳にもいかず、ダニエルは硬直した状態で顔だけを俯かせた。
「──お嬢様」
それに溜息を吐くフェリス。
助け舟を出してくれる……そう思っていたのだが。
「そこは『君は羽根のように軽い』と言うところですわ」
「ぬ、そうか」
「いやいやいやいや?!」
残念ながら助けてなどくれなかった。
フェリスはアデレードの妙な行動を想定の上で、既に諦めていたのである。
「ハハハハハ、ダニーはハネのようにカルイナー」
ムードは一切足りていないが、アデレードは上手く近付けたことに上機嫌。むしろ、意識する間がなかったことが功を奏しており、そこに羞恥や緊張は発生していない。
もっとも言動のおかしさという点では変わらないが。
大体にして筋力を足らないことを気にしている男子が『羽根のように軽い』と言われてもなんの褒め言葉にもならん。
「さあさあ楽しいお出掛けの始まりだ!」
「イッテラッシャイマセー(棒)」
「……!!」
こうして問答無用で抱き抱えられたまま馬車に乗せられたダニエルは、その流れのまま強制的に膝枕をさせられることとなった。
強制的ではあるが、アデレードの動きは実にスマートであった。
優しく頭を撫でて、彼女は紳士的に宣う。
「ふっ、道中ゆっくり眠るがいい」
「~~~~ッ」
(眠れるわけないよ!)
ダニエルは両手で顔を覆い、羞恥と諸々に耐えた。その姿は、まるで乙女のよう。
(なんでこんなことにッ!! 僕はロマンス小説のヒロインか?!)
妙なタイミングでのタイトル回収だが、話は続くのである。
僅かな軋みと車輪の音が馬車内にささやかに響く中、穏やかな寝息。
「……?」
ダニエルはそっと両手を顔から離す。
いつの間にかアデレードの方が眠ってしまっていたようで、首を窓側に傾けてすっかり寝入っていた。
なんだかんだアデレードも、昨夜のプレゼントが嬉しすぎてあまり眠れなかったのだ。
そして培ってきた危険察知能力と野外鍛錬や戦闘時の経験から、危険を感じるまではどこでもどんな体勢でもグッスリ寝れる女、それがアデレード。
今更だが『辺境の姫君』とはなんぞ……と思わざるを得ない。
既に頭に置かれていた手は離れている。
ダニエルはそっと抜け出すように起き上がり、横に座った。
(やれやれ……)
急に距離を縮めてきたアデレードに困惑しつつも、悪い気などする筈もなく。むしろ気の利いたことのひとつも言えない不甲斐なさを実感しながら、服を直しつつ盗み見るようにアデレードを見た。
普段の凛々しさとは違う、あどけない寝顔。
(か……可愛い……!)
あたりを見回しあまり意味の無い確認を行うと、ダニエルは震える腕で慎重にアデレードに肩を回す。
「こ、こちらにもたれた方が楽ですよ……?」
非常に言い訳じみた小声での声がけと共に、そっと引き寄せてみる。
すると、「うーん」と小さく声を漏らしながらダニエル側に身体と頭を寄せた。
多少触れても立場的に問題はなく、馬車内で眠る身体の負荷を考えれば正しいと言っていい。
そこに疚しい気持ちが微塵もないとは言わないが、勿論不埒な真似など働くつもりもない。
(はわわわわわわわわ……!)
だが、自分でも思いもよらぬ大胆な行動を取ってしまったダニエルの語彙は崩壊した。
言語化すると色々意識してしまうから、本能が自衛で言語を排除したのかもしれない。
胸のドキドキは止まず……緊張と動悸の激しさにダニエルの疲れた身体は耐えきれず、そのまま意識を失った。
結果、馬車内で寄り添うように眠ったふたり。
実にプラトニックだが、婚姻式はもうすぐ。
このままだと初夜もままなりそうにない。
ムードに弱い(流されるという意味ではなく、おかしくなるという意味で)アデレードが、マトモに振る舞えるようになるのが先か。
それとも体力と自信に欠けるダニエルが、リードを出来るまでに成長するのが先か。
この物理的距離がどう今後に影響するのかすら、夢見がち(※比喩ではなく目下の事実)なふたりには未だに不明。
全てはまだ始まったばかりだ。
それから暫くの間、恙無く時は過ぎた。
馬車で寄り添い眠ったことにより、アデレードはかなりキースに寄せれる……徐々に自然体でダニエルに接せるようになっていった。
しかしそれに浮かれているのはアデレードの方だけ。
ダニエルはひとり、煩悶を繰り返していた。
(アデル様との距離は縮まった……だが、何故だ!)
最近、キースとは全く会っていない。
アデレードと過ごす時間は楽しく、愛しさは募る一方だというのに、何故かアデレードとの距離が近付く度に彼女にキースを重ねてしまう自分がいるのだ。
(僕は……やはりキース君が好きなのか……)
──アデレードよりも。
ダニエルはアデレードにキースを重ねていると思っているが、そもそもアデレードの素はキースである。
だが誰もそのことを教えてくれる人はおらずダニエルも一向に気付かない。その為、状態としてはかなりいいのに、状況としては全くよくないというこのカオス。
今のダニエルを端から見て表現するなら『頭痛が痛い』といったところ。
そんな頭痛の頭を無理矢理横に振る。
(いや、キース君に似たところも魅力なだけで、アデル様特有の魅力に心が動かされない訳じゃない。 ……忘れるんだ、この想いは)
アデレード特有の魅力……それはツンデレ。
キースの際は必然的に婚約者という立場ではないので、あまり見る機会がないというだけなのだが、そこにも当然気付かない。
兎にも角にも、アデレード優位な点がある、というのは良かったようではある。
ダニエルはアデレードと過ごす度に過るキースの面影に苦しめられつつも、『アデレードのことが好き』という気持ちは深まっていた。
それに応えるように、アデレードの方もちょいちょいバレバレなツンデレをかます。
ダニエルもまた、そのたび胸をときめかせ、好意もダダ漏れ。それにまたアデレードがツンデレる……といういい循環ができている。
それでも振り切れない想いと、増すアデレードへの想いから罪悪感と葛藤を抱えたまま、ダニエルは鍛錬にヨルブラントの手伝いに、と自らの時間を自己研鑽に充てた。
明後日でダニエルがやって来てから1ヶ月となる。
いよいよふたりの婚約は目前。
★副題
……嘘は言ってない。




