モブ令息はモブに埋もれる。
花屋に行ったダニエルとネイサンの方だが。
「どれにしようかな……」
色とりどりの花の中から、なにを選ぶかをのんびり悩んでいた。
なにかと煩わしい貴族社会。花は便利なツールだ。
手紙やメッセージカードには定例の文言で礼を述べつつ、贈る花や添える花によって婉曲に意思表示をできる。
王都にいた頃のダニエルは宮仕えで下っ端。
そんな彼だ、花言葉には当然詳しい。
通常なら、相応しい花言葉の範疇で相応しい花を選ぶのだが……ネイサンはこう言う。
「若旦那様。 失礼ながらアデレード様は、花言葉に一切興味がございません」
「えっ」
基本的に社交を必要としていない辺境の姫君・アデレードにとって、意を伝える為の遠回しな花言葉など無粋なだけ。
こちらから贈る時には気を付けても、貰う花の花言葉をいちいち調べたりはしないのである。
そんなわけで、淑女教育時にはキチンと覚えたものの、使わないので今やサッパリ忘れ去っているらしい。
美しいものは好きなので、綺麗ならなんでも喜ぶ。
「なので、イメージで選んだ方が正解かと」
「ああ……成程……」
(アデル様らしいな)
普段の男装のようでいて女性らしい姿からは、美への拘りだけでなく機動性と凛々しさがあった。
美しければ花言葉を問題としないという潔さが彼女らしくて清々しく、ダニエルは口元を緩ませる。
アデレードをイメージして百合かカラーで悩んだ結果カラーの方を選んだ。
贈答用にリボンをかけてもらうのを待つ間、目に入ったのは色鮮やかな青紫のアザミ。
それに、やや小ぶりの向日葵。
(キース君なら、コレかコレだろうか……──って、僕はなにを考えているんだ!?)
先程まで確実にアデレードのことだけを考えていた。
だというのに、いつの間にかキースが入り込んでいることに自分でも驚く。
「どうしました?」
「いやっ、この店は花の種類が豊富だなって!!」
「ああ、王都より凄いでしょう? 領東部で、様々な季節や土地の植物の栽培を研究している温室があって、それが流れてくるんです。 じきにキース様がご案内なさるでしょう」
「そっか……」
領は広い。それは、城壁からもまだ行ってない場所がある程。
城壁は時に川を跨ぎ、延々と続いている。
まだまだキースの案内も続くのだろう。
彼といる時間が楽しく、アデレードよりも長いからこそ、そう思うと憂鬱だった。
(キース君も仲良くしなきゃいけない相手だ。 僕の感情でふたりを傷付けないよう、ちゃんと切り替えなきゃ……)
「……若旦那様、顔色がよろしくないようですが。 もうお戻りになりますか?」
「や、大丈夫。 でも少し小腹が空いたかな?」
「アデレード様お気に入りのカフェが近いので、そちらは如何ですか? 酸味の強い林檎で作られるアップルパイが評判です。 丁度今の時期、早摘みの林檎の収穫期ですし」
「いいね! アップルパイは僕も大好きなんだ」
お わ か り い た だ け た だ ろ う か 。
この『アデレード様お気に入りのカフェ』『アップルパイ』という露骨なフラグ──そう、ダニエルとネイサンは今まさに修羅場と化す寸前の、偽装されし三角関係の地へ赴いたのである。
そして、テラスが確認できるあたりまで行ったところで、バッチリ、キースのガブリエラへの熱烈キスシーン(偽)を見ることになった。
「──」
「あっ若旦那様!?」
今日もタイミングが絶好調のダニエルは、失神寸前。
そしてそんな彼をよそに、うかうか失神もしていられない事態が起こる。
ボールドウィンの手袋がキースに投げ付けられたのだ。
「──!!」
おもわず駆け寄ろうとするダニエル──
「ぐふっ!?」
「お待ち下さい、若旦那様」
──の首根っこを掴み、ネイサンが止める。
『若旦那』に対して大分杜撰だが、それくらいダニエルの動きが思いの外早かったが故。
「よくご覧になって下さい、ア……キース様の表情を」
「……!」
キースは鷹揚に手袋を拾い、不敵に笑っている。
「キース様は人前でわざわざあんな行動をする方ではございません。 おそらく、決闘を狙っての煽りでは? ここは静観すべきかと」
「……ッ」
(ネイサンの言うことはもっともだ……でも!)
心配するなという方が、無理な話だ。
追い付かない感情に無理矢理蓋をして、ダニエルは拳を握り締める。
(キース君……!)
「……プリジェン伯爵家が次男、ボールドウィン。 貴殿に決闘を申し込む」
ボールドウィンはまだガブリエラとなんの関係もない。そしてここは辺境伯領。
現時点ではまだ目立つ揉め事を避けたかった彼だが、元々自信家で自尊心も高い。
流石にここまで虚仮にされて黙っていられるわけはなかった。
「ふん、名乗りを上げられて無視する訳にもいかんな。 お相手致そう……ヘクター!」
「はっ」
「見届け人にはこの、ヘクター・ノースブロウ卿を」
「辺境伯領騎士・ヘクター。 誉あるノース姓に賭けて公平かつ厳正な判断を誓いましょう」
「いいだろう。 貴殿は? 名を名乗り給え」
「名乗る名などない、と申した通り。 挑まれたから受けただけのこと……君が勝ったら教えてやろう」
非常に不遜な物言いではあるが、『名を名乗らない』のは諸々の気遣いでもある。
互いに名乗りを上げない限り『決闘』は、あくまでも非公式。
『キース』として動いているアデレード側の問題もあるが、流石にボールドウィンにとっても決闘を挑んだのが『アデレード』となると、不味いどころの騒ぎでは済まない。
「……成程?」
ボールドウィンとて貴族であり騎士。
意味合いを正確に受け取った彼は、『キース』が辺境伯領の若き重鎮であることを理解した上で続ける。
「ならば、場所を変えるべきかな? 坊や」
「言ったろ? 挑まれたから受けただけだ。 私はここで構わん」
「ふっ、なかなかの自信家だ」
派手な怪我を負わせたらやはり問題にはなる。
ここにあるのは互いの携えた剣のみ──模擬刀ではない。勝敗を決する一手は寸止めになり、通常よりも難しく実力差が出る。ボールドウィンの言葉はそれを示唆していた。
つまりこれは、実力のある方が勝つ『模擬戦』である。
──カフェのテラス席周辺、一定の空間を空けてそれを囲むように人だかりが出来ていた。
その中でダニエルはハラハラと状況を見守るしかなく、その姿はまさにモブ中のモブ。
そんな主に、心底不思議そうにネイサンは問うた。
「なにをそんなに心配してらっしゃるのです?」
「逆になんでそんなに心配してないんだ?!」
プリジェン伯爵領若き騎士団長・ボールドウィンは、王都でも名が知れている。
仕えていた王太子殿下も、年齢の近さや見目の良さだけでなく、強く機転の利く彼を欲しがった程。──もっとも『有事の際はお力に』との文句でやんわりと断られてしまったが。
しかし、ダニエルの言葉にネイサンは呆れを通り越してやや困惑気味だ。
「キース様の戦いぶりはご覧になったと聞いておりますが。 まさかお相手がロックバードより強いとでも?」
「……!!」
(今日の若旦那様はどこかおかしいな……)
ネイサンは他人の恋愛感情にも機敏な方ではある。
しかしダニエルは真面目で、しかも『キース』を男と思い込んでいる。なにより、つい昨日まで『キース』を友人としてしか見ていなかったのだ。
まさかそんな主がつい何時間か前に『キース』に対して恋に落ちており、アデレードに続きダニエルまで面倒臭い状況に追い込まれていようとは。
この時点でそれに気付くことは、流石のネイサンにも難しかったようである。




