脳内のお花畑から、君だけに捧げる花を。
そもそもの今日の予定は、最近の慣例となっているキースによる城壁の案内だが、キースは急遽不在。
なのでヨルブラントのアドバイスを受け、ランドルフのところで教えを乞うつもりで城壁に向かっていた。
……筈だったのだが。
「──ネイサン、」
「はい?」
「今日は少しばかり、自由時間を貰ってもいいだろうか」
元々ランドルフと約束していたわけでもなく、突然の申し出になる。おそらくは快く受けてくれるだろうが、今ダニエルは頭に入りそうにない。
わざわざ時間を割かせるというのに、それではあまりにも礼を失している。
「……御意」
主の様子があからさまにおかしいことは当然ネイサンも気付いていた。
心配半分興味半分ではあるが、配慮と気遣いは充分にへにょりと笑う。
「本来のご予定も変更となりましたしね。 辺境に来てからずっと気を張っておいででしたから、休むのも大事です。 今回は私が街でも案内しましょう」
ネイサンの「ふたりなら目立ちません」という言葉にダニエルもクスッと笑った。
今日の担当警備はヘクターだったが、『キース』が離脱したので彼もそちらに行ったのは丁度良い。
ネイサンの言う通り『目立たない』というのもあるが、ヘクターがいると話しづらいことを聞いてみたかったのだ。
「ネイサンはフェリスの夫君だと。 ……彼女とは?」
そう、恋の話──略して恋バナである。
馬をゆったり走らせながら、ダニエルはネイサンに尋ねた。
フェリスはアデレードの筆頭侍女であり、キースの信頼も充分(とダニエルは勘違いしている)。
その夫であるネイサンが『アデレードの夫となる者の従者』というのは職務上都合がいい。
無粋なので言葉にはしなかったが、『そういった思惑から、どちらかが宛てがわれたかたちで婚約が決まったのか』という意味を含んだ問いになる。
その部分についてのネイサンの答えは「そうであってそうでもない」というもの。
「アレの将来は早いうちに決まっておりましたので、私はいくつかの選択肢の中から一番彼女に相応しい立ち位置を選びました」
「ええっ?!」
ふたりが幼馴染みなのはダニエルも知っている。
だからといって『じゃ、都合がいいんでコレにしま~す』で簡単になれるような役どころではない。
期待されてない婿の補佐だからこそ尚のこと有能でなくてはならず……しかもネイサンの場合、護衛も兼ねているのだ。
「ふわぁ……」
改めてネイサンの有能さを突き付けられたダニエルは感嘆の息を漏らす。
(めちゃくちゃカッコイイ……!)
『彼女の為に職を選ぶ』──それはロマンス小説のヒーローのようだが、ネイサンの振る舞いも含め、キャラクター的には無双系。
ここにも理想のヒーロー格がいた。
飄々とした無双系ヒーローに、全く厨二心が擽られない男子など存在しない。(※個人の見解です)
(……いや、そこじゃない!!)
ウッカリ話が逸れそうになって、ダニエルは自らツッコんだ。
「あっええと、じゃあ昔からネイサンはフェリスのことを?」
「ふふ、本人は姉気取りでしたけどね……」
「幼馴染みだもんね。 関係性を変えるの、難しくなかった?」
「勿論。 なんせ相手は自分を弟扱いですし。 まあ弟ポジションを上手く使って距離を詰めていくのもなかなか……」
そう宣うネイサンの細い目が仄暗い光を纏ったあたりで、彼は自ら「おっと、このへんでやめておきましょう」と話を止めた。
ネイサンの話を聞き恋心というのが人をダメにするかどうかは自分次第だ、とダニエルはいたく反省した。
行動の指針や努力の理由となることもある。
ネイサンに能力があったにせよ、彼がその為に努力をしたからこそ、今この場にいるのだ。
(僕がしていることは『アデル様の夫となる努力』などと宣いながらも『能力の低さ』を言い訳にしているに過ぎない)
そうダニエルは痛感していた。
研鑽を積むのはいい。だが、アデレードとの関係を良くする努力をしなくていい理由にはならず、優先順位としては明らかに順番が逆だ。
「結局、僕は怖いんだ……自信がないから。 『ダメな奴だ』と思われて、嫌われてしまうのが……」
「若旦那様……」
(──そのくせ多情にも、同性に現を抜かすなど……ッ! しかも親愛を寄せてくれている相手に!!)
また走り出したい気持ちに駆られつつ、なんとか堪えた。
そうこうしているうちに、いつの間にかもう辺境伯邸に着いていた。
厩舎前で馬を降りて馬番に引き渡す。
城壁に行くつもりだったふたりはラフな格好をしているので、そのまま街へ向かって歩きながら話し続けた。
「──もしも」
「え?」
「いや……ネイサンは、怖くなかった? その、嫌われてしまわないかとか」
「そうですねぇ……基本的には嫌われることをしなければ大丈夫かと。 相手にもよるでしょうが、フェリスはそうですね。 理由なく人を嫌うタイプではないので」
「ふたりとも穏やかそうだしね」
「ふふ、そんなことはありませんよ。 嫌われる心配はしなかったけれど、喧嘩はよくしましたから。 私も若かったので……彼女を何度も泣かせました。 『嫌い』と言われたこともありますよ? ですが、ぶつかって話し合わなければわからないことってありますし。 他人で、ましてや男女ですからね」
(ぶつかって、話し合え……か)
「若旦那様はお立場上、少し難しいですよね……ですが僭越ながら。 お嬢様ご自身はそれをお望みではないかと」
政略であるダニエルの婚約は、先に相応しい立ち位置を与えられてしまっており、ネイサンのように選び勝ち取ったものではなく、身の丈に合っていない。
その目的には他者の意向が大きく介在し、ダニエルに引け目がなかったとしてもアデレードと同列とは言えないだろう。
だが、それも含めてネイサンの言う通りだ。
アデレード自身は尊大な態度は取るものの、そういった格差を望んでいないように思える。
ダニエルは歯噛みした。
(もっと早く、せめてアデル様を意識した時点から……距離を詰めるべく努力すべきだった)
最初は遠慮と引け目などから、あの夜からは意識し過ぎてしまってそれができなかったことを激しく後悔して。
今ダニエルは、自分の中にあるキースへの気持ちに気付いたことで、アデレードとの距離を詰めることに躊躇いが生じていた。
アデレードとはもっと仲良くなりたいし、仲良くなるべきだが、別の相手への気持ちを同時に抱くという自身への強い嫌悪と罪悪感がそれを拒むのだ。
(……だが、上手くやり過ごさねばならない)
婚約者であり、あと半月もしないうちに伴侶となるアデレード。
彼女を泣かせる気などは微塵もない、恋をしたのなら尚更だ。政略の婚約者に恋をしたなんて僥倖と言っていい。
逆にキースは男であり、アデレードと仲の良い部下であり、彼女の親族……とダニエルは思っている。
どのみち許されない、道ならぬ恋と言える。
ダニエルの想像通りなら、の話だが。
それは考えるまでもない選択肢。
『もしも、ふたりの人を同時に好きになってしまったら』という問いかけ──ダニエルの悩みを口にすることはできなかった。
ましてや幼い頃からフェリスを好きだったという、一途なネイサンには。
(ぶつかって、話し合え……か)
ダニエルは自嘲しながら、ネイサンの言葉を再び脳内で反芻する。
それは正しいが、これはそうしてはいけないこと。
この気持ちは、誰にも知られず墓場まで持っていかねばならない。
「……よし、アデル様に花でも贈ろう! 実はなにを贈っても喜ばれるかわからない気がして躊躇してたんだけど、気持ちの問題だよね?!」
「そうですよ~」
胸に刺さるチクチクとしたなにかと、重い罪悪感に苛まれながらも、ダニエルは明るい調子でネイサンと花屋に向かう。
アデレードへ贈る、花を買うために。
恋心の代わりに。
なにがあっても好意を示すのは、アデレードにのみなのだから。




