お花畑で人は虫と化すか。
月明かりの下、アデレードとダニエルのふたりは馬車のある施設まで並んで歩いた。
はからずも、誘うつもりだった夜の散歩となっている。
「アデル様、ありがとうございます」
「……ふん。 『偶然』なのであろう? 興醒めすることを言うでない」
そう、全て『偶然』で無理矢理片付けたのである。
妙な格好で妙な荷馬車の騎士達がいたのも、それを不審に思ってアデレードが声を掛けたのも、そこにダニエルとネイサンが通りかかったのも、全て偶然だ。
「残念です。 今の僕の気持ちを満足に言うこともできないなんて」
そう言うと、ダニエルはアデレードの方に顔を向けた。急に熱い視線を向けられ、胸がドキンと跳ねる。
思わずアデレードは視線を落とし、それらをやり過ごそうとした。
「……!」
目に入ったのは、ダニエルの短剣の柄の先。
それは御者のあげたお守り。
遅い初恋から23にして思春期に突入したアデレードだが、そのお守りから『ま、まさか他の女から……!』などという誤解をする程、なにもかも恋愛一色に染まっているわけではない。
なにより足取りを追った末、御者の家を経由しているのだ。大体の経緯はそこで把握している。
共に城壁に行っていれば、最悪何か起こっても御者だけが責任を被ることにはならなかった。
そして今ダニエルと『偶然会った』ことも。
自分こそ、本当は謝罪と礼を述べるべき立場。
ダニエルがなんのために御者に会いに行き、こうして拐かされながらも『偶然』で片付けたかを察しているアデレードがそれをすることはできない。
(だがそれすら忘れ、ふたりでいる時間に浮き足立っていた)
アデレードは今、そんな自分を恥じていた。
「……妾は」
なにも言うことができないこの状況に、今度こそ歯噛みする。
「つ、月が綺麗だったから馬を走らせたくなっただけじゃ!」
「ははっ」
「ええい! 笑うなっ!」
気付けばキツい態度になる自分を、ダニエルは意に介さない感じで笑う。
羞恥はそれ以上の容量の気持ちにただの面映ゆさに変えられてしまい、妙な高揚感にふわふわしてしまう。居心地が悪いような気すらするのに、このままいたい。
(くそっ……!)
なんだか悔しくて、ダニエルを睨みつけた。
「……アデル様の方がお綺麗です」
「ッ!」
その言葉自体は予想の範疇。
「──」
しかし、目が合ったダニエルは予想外にも視線を逸らし、僅かに頬を染めていて。
アデレードは動揺した。
「ふ、ふん」
動揺を隠し、可愛げなく顔を背ける。
頬が紅潮するのを感じながら。
そこからは、ふたりとも無言のまま。
馬車を置いた施設まで着くと、ダニエルとネイサンは馬車で邸宅まで戻り、アデレードはネイサンが引いていた馬に乗って帰った。
なんにせよ事は穏便に収束し、しかもダニエルは騎士達に恩を売ることまでできた。
そしてアデレードはアデレードで、ダニエルから感謝をされた上に、距離が縮まった気がしている。
騎士達も(黒幕に叱責は受けるだろうが)罪には問われず、そこそこ円満に収まったと言えるだろう。
──しかし、その夜。
戻って早々にベッドに入ったダニエルだったが、彼はなかなか寝付けなかった。
瞼を綴じると浮かんでくるのは、アデレードの凛々しい姿。それはキースが竜に颯爽と跨り、飛び立った時の気持ちを思い出させた。
(もしかして……)
そう、ダニエルは『キース=アデレード』と気付いた──
と か で は な く 。
(もしかして、アデル様もめちゃくちゃお強いのでは?!)
こ れ で あ っ た 。
(そうでなければいくら警備がしっかりしているとはいえ、あんな時間におひとりでなんて……)
思い出しながらダニエルはドキドキしていた。
仮面を取ったアデレードの美しさに……
で は な い 。
仮面を取ったアデレードは確かに美しかったが、そんなのは想定の範囲内も範囲内。
仮面をしている理由が、『顔の造作に自信がないから』だったとしても、イケオジ辺境伯閣下の父と儚げ美形の弟にクリソツな亡母の間に産まれし娘である。
家族もモブ面の純正モブ面・ダニエルだ。
王妃である母に似てくる前のシエルローズ殿下もそうだったように、『言うてもどうせ美形なんでしょ』と思っていたくらいのもの。
顔への驚きは皆無と言っていい。
ダニエルの胸を高鳴らせるのは、自分を心配し駆け付けてくれたこと──そしてなによりも、その際の凛々しい姿。
ダニエルはローズ殿下のせいで恋愛小説に詳しくなったが、本当に好きなのは冒険活劇。
登場人物の中でも特に好きなのは、脇役であれ主人公であれ、一番強くてカッコイイキャラクター。
キースが竜に颯爽と跨り、飛び立った時……ダニエルは理想のヒーローを彼の中に見ていた。
そして今回のアデレードも同様に。
しかし、あの時のキースとは違う二点がアデレードにはある。
それは、自分のピンチに駆け付けてくれたこと。
そして、婚約者(※女性)であること。
(あんなの好きにならない筈がない!)
そう、ダニエルは恋に落ちていた。
婚約者なのでそれ自体は全く問題はないのだが、ダニエルにとっては非常に予想外であり、またとても複雑であった。
ダニエルは散々『ローズ殿下のお世話係』として、夢見がちな殿下が悪意なく振り撒く色香に惑わされ、迂闊にも恋に落ちてしまった男達を見ており、なんならその後始末や更生に手を貸したりしていたのだ。
恋とは優秀な人材の能力を塵芥レベルにまで落とす、とダニエルは知っている。
『脳内お花畑』という言葉があるが、そのお花畑で人は虫と化す。虫と化した人との会話は困難を極める……言葉は通じるけれども、話が通じないのである。
そうは言っても──別に皆が皆、そうなるわけでもない。
ダニエルもそれはわかっている。
わかってはいても数々の経験則(※そもそも相手がやらかした時に動く役目でもある為、陸でもない経験ばかり)が脳内に湧き上がる。
だからこそダニエルはこう思わずにいられなかった。
(僕も……強くなりたい。 せめて足手まといにならないぐらいには)
無自覚ながら、正統派ヒロインフラグを立てるいい子チャンなダニエル。
元々の性格もあるが、『よ~し、(物理的に)距離を縮めちゃうゾ♡』となることはない。
なにしろローズ殿下本人と周囲だけではなく、小説でも強引に行くヒロインは実は悪役──ざまぁされる運命なのだから。
──一方のアデレード。
明らかになにかあった様子の主を問い詰めるため、『用意してしまった夜食が勿体ない』などと取ってつけた理由で、急遽アデレードの部屋ではフェリスとメイド達による女子会が行われていた。
「ほほほう……今まで卒の無かった若旦那様が……コレはなかなか脈アリな感じですわね!」
「一気に(物理的に)距離を縮めるべきです!」
「エエッ?! そそそそんな」
「アデレード様の魅力にかかれば、おちゃのこさいさいですわ!」
アデレードの周囲は、ビッチヒロインコースを主に勧め、盛り上がっていた。
辺境女子は割と肉食系なのである。
【どうでもいい作者の呟き】
虫と化した場合、そのお花畑は食虫植物かもしれない……!
※尚、用意したお夜食は残さず頂きました。




