開幕は茶番劇。
御者が住んでいるのは街の外れにある、使用人が多く住む地域。所謂平民街である。
商業施設が少ないこのあたりは、夜半になると人気もまばらだが、この街は重要施設ばかり。
なので、外れとはいえ警備は他の街より遥かに厳しい。
そこに一番近い施設に馬車を停めると、平民のような服に着替えたふたりは、徒歩で御者の家まで向かった。
目立つ容貌ではないふたりは、馬だと逆に目立つと考えてのこと。
御者とはすんなり会えた。
解雇はされてしまったものの、ダニエルが想像していた通りユーストは御者の処遇に気を利かせたようで、次の働き口も決まっていた。
ただし、この街からは離れなければならないようで、辺境領で最初に通過した街に移住することとなったそう。
「残念ではありますが、仕方ありません……幸い領内、近いですから!」
引っ越し先も決まっており、次働くまでに少し家族と旅行に行くと言う御者。
その声に多少の諦念や強がりはあれど、概ね明るい。
(おそらく口止めもされているのだろうが、閣下のことだ。 住まいや慰労金も用意しておいたのだろう……)
自分が考えるようなことは、既にやっているのだ。
そう安堵した反面、今度は御者にとっても自分の行動は余計な世話だったな、と苦笑した。
「夜分遅くに邪魔をしたね」
「とんでもございません……あっ、若旦那様お待ちください!」
なにはともあれ、杞憂で済んだのならばいい──ダニエルはそう思い、挨拶をして帰ろうとする。だがそこを御者が引き止めた。
「気に掛けてくださりありがとうございます。 ここまで閣下が良くしてくださったのは、若旦那様のおかげです」
「いや…………」
(巻き込んでしまってすまない)
喉元まで出かけたそれを飲み込む。
徒に非情になる必要はないが、これからはこういうことが常だとは思うべきなのだろう。
「……君が今までちゃんと働き、閣下の前で話した結果だよ」
ダニエルがそれだけ言うと、御者は「若旦那様、これを」と小さなブレスレットのような物を渡した。
いくつかの蜻蛉玉を挟み、二種類の編み紐で模様が作られている。
「妻が作って販売しているこの地方のお守りです。 大した物でもなく、心苦しいのですが……」
「奥方が──いや、嬉しいよ。 ありがとう」
お忍びなので見送りは断った。
今度こそ御者の家を出たダニエルに、窓の向こうから御者とその家族が手を振る。
彼には妻と三人の子供がおり、一番下はまだほんの幼子だ。
用意した金子と紹介状は結局渡さなかった。
ユーストが気を利かせた以上、本当はこうして様子を見に行ったこと自体、既に出しゃばった行為と言える。
ダニエルは窓から見える彼等の笑顔に軽く会釈をして歩き出すと、貰ったお守りを握り締めた。
ただの我儘だと理解しつつも、御者とその家族と会えたのはやはり良かったと思うのだ。
馬車を置いた施設まで戻る道中、ダニエルはネイサンにお守りのことを尋ねる。
「ネイサン、これはどこに付けるもの?」
「鍵とか鞄ですね。 鞘や剣の柄の先に付ける者もおります」
「そっか」
腰の短刀の柄は、先に円い穴の開いたデザインだったので、そこに付けることにした。
剣を振れる程鍛えていないダニエルの自衛の為の装備は、この短刀のみ。
武器というよりも、云わばお守りみたいなもの。
「はは、お守りにお守りを付けているみたいだ」
「それで結構です、私がおります」
「頼りになるなぁ」
「そこは笑うところです」
「えっ冗談なの?」
「さて、どうでしょう……ですが、若旦那様。 つけられております」
「ええっ冗談でなく?」
「こちらは残念ながら。 如何なさいますか?」
「今まで通りで……ネイサンが平気なら」
「御意」
ネイサンの言う通り、ふたりはいつの間にか数人の男達に囲まれていた。
男達はローブのフードを目深に被っており顔は見えないが、身体つきはそれぞれ屈強。
ダニエルは呆れた。
(これ、完全に騎士達だよね。 わかりやすくしてくれているのか、とんでもなく暗愚と思われてるのか……)
いくら平民街とはいえ、こんな怪しさ満点の輩など入れる余地はない。しかも服や所作が綺麗過ぎる。
思わずダニエルは、自分を庇うように少し前に出たネイサンに零した。
「……ちょっと杜撰すぎない?」
「やめてください、笑わせにくるのは。 私は頼れる従者であって、役者じゃないんですからね」
「従えば悪いようにはしない」と宣う輩(風の騎士)に素直に従うダニエルとネイサン。
ふたりは男達に後ろ手に縛られ、荷馬車に乗せられた。
いつだって切り捨てられるのは下っ端。
急な指示だったとはいえ騎士を使っているあたり、言葉通りそう酷いことをするつもりはなさそうだ。
一旦とりあえず拘束され、指示されたであろう騎士達の面目を潰さないことにしたのである。
そして、茶番劇が幕を開ける──
「──従者の影に隠れ震えているとは。 情けない男だ。 安心しろ、貴様に待っているのは天国さ」
「なっなにを……──ッ!!」
ダニエルは小瓶に入った液体を無理矢理飲まされる。
男の話から察するに、おそらくは媚薬──だが、先程たまたま出たアルコールの話がある。
そう、ダニエルは毒物を固形化して分離できるのだ。
ネイサンもこんな時の為に解毒薬は持っているが、必要なさそうなので余裕が凄い。
「わっ若旦那様ァァァァ!!(棒)」
ネイサンは一切動かずに済んだ代わりに、大根役者ブリを如何無く(※わざと)発揮した。
一連の遣り取りの際、ずっとネイサンはこの調子だ。
確かにネイサンの後ろでダニエルは震えていたが、これはあまりに酷いネイサンの演技に笑いを堪えていた為。
しかし、相手方は上手く勘違いしてくれている様子である。
「お前もだ!!」
「むぐっ?!」
ネイサンも同様に飲まされる。
だが、ネイサンはとても有能である為、自身の魔力で解毒はバッチリ。
なんなら解毒薬もあるわけで。
「お坊ちゃん達はこんな状況じゃ勃つもんも勃たねぇだろ? 薬が回る頃に着くようゆっくり行ってやるから、まあ精々楽しめ」
そうとも知らず、満足気に輩(風の騎士)が悪役台詞を吐かして立ち去ると、馬車はゆっくり動き出す。
「クックソーナンテ卑怯ナァァァ!(棒)」
従者のふざけた悲鳴は、夜の闇と馬車の車輪音に掻き消されていった。




