ささやかな抵抗。
ダニエルは街側の邸宅に戻るとすぐ、馬車の件でユーストの執務室に行き報告を行った。
入室すると、既に人払いはされているようだった。部屋には御者を除く4名と、ヨルブラントとユーストのみ。
軽くネイサンが状況説明を行い、現場にいた残り3名に間違いがないかを確認した後で、ダニエルが口を開く。
「──閣下。 甚だ不躾なお願いではございますが、まず私から発言させて頂きたく存じます」
「許そう、なんだね?」
「御者が責任を負ったのであれば、私への説明は不要かと。 ……如何でしょうか」
「「「「!」」」」
それは暗に、『誰が犯人かは問わない』と示唆する発言。
実行犯が実際に罰を受けずとも、派閥や人間関係を洗えば裏で糸を引いている者は自ずとわかるだろう。それが罰を与えられないような相手であれ、今後の警戒の為には知っておくべき情報だ。
だがダニエルはユーストに、言いづらいことをわざわざ言わせる気はなかった。
それは恭順だけでなく、僅かな不満を示す為。
事を荒立てる気ではなく、覚悟を示すといった類のモノ──もう迷いはない、と言ったら嘘になるが、最初の挨拶通り『一員となったならば尽力する』そう決めていた。
ならば、庇護されるだけの立場に満足すべきではない。
「ふむ……貴殿がそれでいいのであれば」
「はい。 では、私は失礼致します」
「いや待て──ヨルブラント」
「はっ」
「代わりと言ってはなんだが、ヨルブラントを好きに使うがいい」
「微力ながら、なにかの力になれるかと」
病弱だったヨルブラントは今も線が細く、早くから父である辺境伯閣下・ユーストの下で家令として学び、アデレードの支えになる道を選んでいた。
「……ありがとうございます!」
(少しだが……認めてくださった)
『アデレードの夫』以外には、特に何も期待されていないダニエル。
これはただの『歓迎』とは違う、次期辺境伯の夫としての大きな一歩だ。
「よろしかったのですか?」
「ああ……どうせ聞いても今の僕では同じことの繰り返しだ」
どうやら重鎮方の自分への反発は概ね、高い郷土への誇りから派生する王都への対抗心と、王家への反発からと思っていいようだ……ユーストの対応から、そうダニエルは結論付けている。
根底にあるのが郷土愛と誇り、そして辺境伯家への尊敬ならばそれは受けるべき。
ダニエルがそれなりに使え、辺境への畏敬の念を示せば問題はあまりない。
「むしろ、ヨルブラント殿から学べるなら、良い方へ転んだと言っていいだろう」
「素晴らしいお考えです。 ……そのお姿でなければ、ですが」
「だよねェ~」
そう、カッコつけてはいるものの、私室でそう宣うダニエルは、ソファでぐったりしていた。
「だって正直言って厳しいよね! でも僕が仕事に携わる為に閣下の心証をよくする機会ってあんましなさそうだし! ああぁぁぁぁ……胃が痛いぃ」
「昼間凄い量勧められてましたからね。そちらが原因では? 胃薬お持ちしましょうか」
「うう、塩対応なのに優しい……」
(しかし……ネイサンとは大分打ち解けた気がする)
優秀な従者を付けてくれたのは本当に有難い。それを鑑みるに、ユーストもダニエルの扱いを考えあぐねているのかもしれない。
「しかし意外と酔わされなかったのには驚きました」
「ん? ああうん。──ほら、コレ僕の特技」
そう言うとダニエルは上着のポケットから飴玉のようなものを取り出した。
「? これは?」
「摂取したアルコールさ」
「! 魔力で、ですか?」
「うん。 土属性持ちが毒を吸収しづらい特性を持つって言われるのは知ってるよね?」
「ええ」
土属性持ちは毒を吸収しづらい──一般的にそれは、多くの毒薬が植物由来のモノだからと言われている。
厳密に言うとそれは事実ではなく、質量を持つもの全てに微量の土属性魔素が含まれるから。他属性持ちより毒を吸収しづらい……というか、体内の異物を検知しやすい特性から毒を排除しやすいのだ。
その為治癒師などには土属性魔力を持つ者が多く、余程の魔力量の持ち主、或いは魔術に長けた場合でなければ患者に直接触れて治す。
「学生時代に研究してね、毒素を分離し固形化することができるようになった。僕の魔力量は少なく分解ができないから、なんかそれに代わる良い方法ないかな~と」
治癒師の毒の治癒は患者に直接触れて毒素を分解することにあるが、ダニエルの場合、魔力量が少ないので他人は勿論自分であっても難しい。代わりに考えたのが分離である。
飲食物を摂る際、意識を舌に集中させれば少量の魔力で異物の分離は容易く出来るのだという。アルコール分離はその応用。
元々アルコールにも強くないダニエルは練習して慣らし、今はほぼ無意識でこれを行えるようになっていた。
勿論、自衛の為。
アルコールだけでなく、王都でのダニエルは嫌がらせ程度に毒を盛られることが多かった。
嫌がらせ程度なので酷いことにはならないものの、その都度具合が悪くなるのは当然ながらしんどいし、困る。
「本当に嫌がらせには慣れているんですね」
「まぁね。 ただ……歓迎されるのも、案外重いもんだってわかったよ……でも」
ローズ殿下の婚約者で文官。その立ち位置は『ローズ殿下の粗相の後始末係』程度。
大した期待はされていない。
今もなんだかんだダニエルに大した期待などされていないが、『次期辺境伯の婿』と『お飾り第一王女の婿』では相手の責務が大きく違う。
「できるなら、それに応えたい」
最初の挨拶時、ユーストに言った『尽力するつもりだ』という気持ち。それは最初から嘘ではないが、多少方向が変わっていた。
『妻』となるアデレードが歓迎してくれている以上、アデレードの為に足場を固めておくべきだ。
「推薦してくれた王家の顔を立てる為にも、なにか役に立てることを探さなきゃなぁ……はぁ……全く思い浮かばないよ」
『自分になにができるか』を真剣に考え出していたダニエルにとっては、ヨルブラントに学べるのであれば、強がりではなくいい方向に転んだと言っていいだろう。
しかし、喜んでばかりもいられない。
そう、御者は解雇されてしまったのだ。
彼の細かな処遇を尋ねるタイミングはなかった。
(ネイサンに聞けば調べてくれるだろうが……)
そもそもユーストが配慮しているとは思う。
(でも……ぶっちゃけ居た堪れない! 甘いかもしれないけど、目の届く範疇は確認と、必要ならフォローをさせて貰わないと、先に僕の胃に穴が開いちゃうよ!!)
それが本音である。
今、不憫系的な立場は御者へと移っており、自身ではなくとも現場にいたダニエルの想像力が止むことはなかった。
幼子を抱え路頭に迷う御者。そして妻と幼子達は──(以下略)
これを見過ごし切り捨てる覚悟は、まだダニエルにはなかった。
「──ネイサン、やっぱり僕……!」
「ええ、わかっております。 参りましょう」
「流石!」
「私、優秀な従者ですので」
「うん! 本当助かる」
「そこは笑うところです」
「え、冗談なの?」
上着を脱ぐ気もなく、部屋に入ってすぐソファに寄りかかったダニエルに、ネイサンは既に察していた。
こうしてダニエルは、ネイサンを連れて御者の家へと向かった。




