不穏なスタート。
辺境伯邸から城壁までは森の中、一本だけしかない整地された道を馬車で進むと案外すぐ。
辺境伯邸のある街側から続く他の道は、整地されてない狭い道のみ。整地された道は安全面からもここだけだ。
城壁は東西に広く、その他の整地された道は近くの村や町へと繋がっている。
当然ダニエルは街から繋がる整地された道を馬車で向かう筈だったのだが……その途中、突然車輪が壊れた。
辺境伯邸から出て然程経っていないことや、道に障害物が見当たらなかったのも含め、整備不良がまず疑われる状態。
「申し訳ございません!」
ここでは馬車の点検整備から御者の仕事である為、御者の男は蒼白な顔で謝るばかり。
「こういう事故ってよくあるの?」
「いいえ、滅多に」
そして彼の質問に応えたのはネイサン。
キースには昨夜ネイサン経由で『先に城壁入りすることにした』と告げられていた。
(なら、有り得ない失態だ)
しかしトラブルそのものに関して言えば、ある程度想定済みではあった。
自分の見た目を知らずとも、おそらく王都から来た文官風情であることはもう周知されている。
騎士や辺境伯軍の中に、ダニエルを不愉快に思う者は当然いるだろう。
これが単なる偶然に過ぎなかったとしても、どう動くのが自分にとっての最適解か──それを考えないと、今後に差し支えるのは明らかだ。
ここの場所柄妙な輩に襲われることは考えにくいが、魔獣もいる為ふたりの警備騎士が馬で併走している。
クリフォード・ノースウェッジとヘクター・ノースブロウ。
辺境伯家傍系の子息であり、ネイサンの幼馴染みでもある。
「馬車の馬を使い、このまま向かいましょう」
「いや待って」
騎士のひとり、クリフォードがそう進言したのを、ダニエルが止める。
「馬車と御者をそのままにはできない。 彼が職務に忠実であったのなら、それは第三者の悪意ということになる」
クリフォードの眉根が寄り、あからさまに不快感を示す。馬車の点検整備は御者でも、管理警備は彼等だ。
「……誰かが細工したと?」
「僕が来たのは王命だから……納得できない人はいるさ」
ダニエルは、あくまでも静かに告げた。
「だが王命だからこそ、まだ婚約者の僕になにかあれば泥を被るのは閣下だ」
「!」
「偶然の事故であれ、今後このようなことが起こると困る。 迅速に報告すべき案件で、処理の権限はまだ僕にない。 ネイサン、こういう場合はどなたに報告を?」
「閣下が適当でしょう」
もうひとりの騎士ヘクターが、すかさず前に出る。
「クリフォード、ダニエル様の仰る通りだ。 君は邸宅へ一旦戻り、まず閣下に報告し指示を」
「待って、御者も連れての方がいい」
「わ、わたしも……?!」
咎められるのが怖いのであろう御者は、そう悲鳴のような声を上げる。
ダニエルは優しくその背中を叩き、気楽な口調で言う。
「馬車が直るようなら直して使わないと勿体ない。 それを一番正確にわかっているのは君だろう? 頼んだよ」
「馬車を……? ああっ、ですが……」
困惑しつつも、絶望といった感じの表情が僅かに和らいだのを見て、ダニエルは視線を合わせた。
「考えてみて……皆無事とはいえ、馬車は壊れてしまった。 もし悪意だとしたら君は不条理に罪を負わされたことになる。 そんなのは許されない」
「若旦那様……で、ですが……」
「今の馬車の状態を含め、なるべく事実通りのことを話しなさい。 大丈夫、僕等も後で経緯を話すから、誰かに無理矢理捻じ曲げられはしない。 お咎めなしとはいかないだろうが、君が職務に忠実であったのなら閣下も悪いようにはしないだろう」
「──わ……わかりました」
大分落ち着いた様子の彼を見て、安堵し笑みを零す。
あの狼狽ぶりから見るに、御者はおそらく関わってはいない。
自分の安否は勿論大事だし、歓迎してくれている閣下に迷惑が掛かることへの懸念はある。
しかしなによりも、以前散々自分のせいでないことで怒られてきたダニエルは、彼への叱責が強まるのが嫌だった。
勿論、無事だったから言えることではあるのだが。
「あ、ノースウェッジ卿。 もうひとつ」
「なんでしょうか」
「大袈裟にはしたくない。 閣下には『どうぞ内々に』とお伝えして」
「畏まりました」
クリフォードと御者を乗せた馬が走り去るのを見て、ダニエルは嘆息した。
安心させる為にああ言ったものの、巻き込まれた御者には気の毒だが解雇は充分に有り得る。
(気の毒だが、あとは彼自身がなんとかするしかない……最悪、次のいい働き口を見繕ってあげないと)
ここでの伝手はないが、幸いなことに持参金はたんまりある。
慰謝料と慰労金により実家の伯爵家も潤ったことだし、幾ばくか金子を持たせてそちらを紹介してもいいだろう。
(──こんなんで、上手くやってけるのかなぁ)
巻き込まれるのには慣れているが、他人を巻き込むことには慣れていないダニエルは、御者への罪悪感と自分の甘さに少し凹まずにはいれなかった。




