辺境の姫君は謎の感覚に悩む。
ちょっと長めです。
あの後すぐ、キースとしてダニエルの部屋を辞したアデレード。
見計らったかのようなタイミングでお茶のセットを小さなワゴンに載せたネイサンが近付き、入室前に彼女に耳打ちする。
「フェリスがおかんむりで、お嬢様をお待ちしておりますよ」
「……わかった」
ダニエルが想像していた通り彼の部屋の奥にある扉は、夫婦の寝室。つまり、その更に向こうはアデレードの部屋である。
勿論、フェリスはここで主を待っている。
万が一を考えアデレードは密やかに移動し、そっと自室の扉を開けた。
「フェリス」
「お嬢……ッむぐ?!」
「シー。 大きな声を出すのではない、私がここに居るとバレるだろう」
「……どうなさるおつもりですか? 色々。 さしあたって、晩餐は」
「それな」
フェリスのお説教は覚悟の上だが、今それどころじゃない。
晩餐には当然『キース』で行くつもりだった考え無しのアデレードは、ここに来て悩んでいた。
そんなアデレードに、フェリスはプリプリしながら言う。
「もう~、『それな』じゃありませんよ。 あんなにいい人おりません……ッ」
──先の教会にて。
年下の不遜な少年設定である『キース』にも丁寧な態度で挨拶をするダニエル。
フェリスは最初、そんな彼を『良さそうな人だ』と思った一方で、実は少しガッカリしていた。
アデレードは確かに我儘で、年齢も23と少しばかりトウが立っているが、自慢の主である。
多少盛られるのが絵姿なのにそれすら地味なダニエルに期待はしていなかったが、現れた青年は『冴えない小男』。
顔立ちは悪くはないが良くもなく、多分自分が夜会かなにかで会ったら、次の日には記憶に残らないであろう印象の薄さ。
あまりに主と釣り合わない。
だがそんなフェリスの印象は、その後すぐに大きく変わった。
アデレードのおかしな振る舞いは今日に限ったことではないが、側付きの侍女・フェリスにとってもアレは衝撃的。
主が『ズボンを寄越せ』と言い出したこともそうだが、素直にズボンを脱ぎ出したあたりにまず仰天。
我に返ってズボンを取りに走ったあとの受け渡し時、ただのメイドという役どころの自分にも自然に礼を言う。
直後の出過ぎた発言も気にすることはなく、主の愚行を怒るどころか褒め出す。
更に軟弱そうな姿でありながら、真っ先にフェリスを庇う姿勢を見せた上、機転を利かせて参戦する勇気。
ダニエルに対する彼女の好感度も既に天元を突破していた。
「なにしろ、ズボンを奪われて怒らないだなんて……信じられない寛容さですよ! いいですか? お嬢様はあんないい人を謀ってらっしゃる……むぐッ」
「だから声が大きいって」
思わず声を荒らげるくらいには、もうダニエルの味方である。
こんなお嬢様をお任せできるのは、もう彼以外考えられない。
「わかってる。 私もそれには心が痛いのだが……」
「まあ、どの面下げてそんなこと」
「口が悪くなってるぞ」
「お嬢様の侍女ですから。 では晩餐にはキチンとドレスをお召しになられますね?」
「いや……それなんだが……」
アデレードは胸に抱いた某かの感覚が、妙に不安で仕方ない。
「……お嬢様?」
いつもとは違う様子に気付いたフェリスも、不思議そうな顔をしている。
「フェリス……私は着飾りたくない」
「お嬢様──」
「いや、違う。 『キース』で行きたいのはやまやまだが、それでダニーに余計な不安を与えたいとは思ってないさ。 ただ……その……ホラ、着飾った私は美しいだろう」
「よく自分で言いますね?」
「仕方ないだろ、事実そうなんだから。 しかしその姿に惚れられるのは……なんというか、嫌だ」
「……まあ!」
いつになく歯切れが悪くもにょもにょ言い出すアデレードに、フェリスは歓喜した。
なんで喜ばれているのか、アデレードには感覚的にイマイチ察せないのだが。
「うふふ、要はありのままの自分を好きになって欲しいってことですわね?」
「……ありのままの自分を?」
「ええ!」
(ぬぬ……一体どういう意味だ。 ドレス姿だって、私は私だろう)
舐められるのが嫌いなアデレードは、ドレスにもこだわりと自信がある。
そりゃあもう、自ら「着飾ったら美しい」と宣うくらいには。
『妖精』などと称されてはいても、鍛え上げられた彼女の肢体は女性的ではない。
『妖精』を作り上げるのは、フェリスをはじめとする侍女達のスキルと、アデレード自身が磨き上げたセンスによる、こだわり抜いた数々の装備。
ドレス一式は全て、アデレード自らがデザイナーと相談し、デザインを決めている。一般女性より高い身長、広い肩幅や細いが筋肉質な腕や足腰、胸のなさなどをカバーし誂えたドレスは自身の魅力を最大限に引き出すよう計算し尽くされたものばかり。
これを自分と言わずしてなんと言おう。
(そう、ドレス姿も私…………だが……でも……
……兎に角なんか嫌なんだッ!!)
フェリスの言うことはなんだか違うような気はしても、やっぱり結論は『嫌』。
その理由は彼女自身よくわからず、気持ちを言語化しようとしてみても上手くはいかない。
しかしながら、どうしても拭えない抵抗感に、アデレードはまたクッションに顔を埋めて足をバタバタさせた。
「お嬢様、落ち着いてください」
「うん……」
恋愛──それはアデレードにとって、縁のないモノであった。
そんなもの、したこともなく考えたこともない。今回の婚姻話でも、特にそこを考えてはいなかったアデレードにとって、恋愛的な『好き』は理解の範疇を超えている。
(しかし何故フェリスはイキナリ機嫌が良くなったんだ……?)
なんだかさっきから急に、態度が優しい。
解せぬ。
全く解せぬ。
だが都合がいいからそこは尋ねない。
なのでアデレードはとりあえず諸々を流し、本題に戻した。
「……まあいい、兎にも角にも今日の晩餐だ。 普段着で行くわけにはいかん」
なにぶん普段のアデレードの服装は男装に近いもの。全てオートクチュールであり、女性らしさも加味して作られているので男装ではないが、普段着なのだ。
当然ながら歓迎の晩餐には相応しくなく、化粧で『キース』とは別人に見せても『婚姻が不本意である』と受け取られかねない。
「それならば、『キース』様で行っても変わらないのでは?」
「それは駄目だ。 まだ『キース』でも接していたい……」
『キース』として行くなら、『アデレードは自分』と言わねばアデレードは不在扱い。結局ダニエルはガッカリするだろう。
だが、それも言いたくない。
「無茶なこと仰いますね~」
「わかってる、だから悩んでるんじゃないか!」
「お声が大きいですわ」
無茶ブリと理解しつつも、悩むアデレード。それも含め、彼女は自分で自分の気持ちがわからないことに困惑している様子。
(普段のお嬢様なら考えられないわ……着飾るのを嫌がるにしても、それは相手のことが気に入らなかった場合しか予想していなかったし……)
アデレードは今まで着飾った時に口説いてきた男を躊躇なく袖にし、真剣に交際や婚姻の申し出をしてきた場合には普段の姿を見せ、それでも諦めない場合は手袋を投げ付け自力で薙ぎ倒していた。
薙ぎ倒すのは兎も角として、同じようにすればいいだけのことであり、悩む必要はない。
着飾りたくないというならば、尚のこと。
いつものアデレードならば我を通し『キース』の状態で出ていって『やあやあ私がアデレードだ! はっはっは、スマンスマン!!』等と吐かすに違いないというのに、ずっともだもだモダモダ……その挙句、なんか面倒臭いことを言い出す始末。
しかも今回はなんと、相手を慮ってときた。
アデレードの細かい気持ちはフェリスにもよくわからないが、ダニエルを相当気に入った結果なのは明らか。
当人は気付いてないが、これは恋!
フェリスはそう確信を抱いていた。
だが、なにぶんあまりに遅い初恋。
自覚がないだけではなく、ふたりの培った時間的にも焚き付けるにはまだ早い──だからこそ。
(真剣に考えなければ……お嬢様、このフェリスがなんとかしてみせますわ!!)
これは、無茶ブリだろうがなんだろうが、なんとかすべき案件である。




