婚約破棄からの婿入り決定につき。
快晴の秋空の中。
ブラック伯爵家三男であるダニエルは、ぼんやりと馬車に揺られながら雲を眺めていた。
(風が気持ちいいなぁ……)
本来ならば乗るのは一番前の王家の出してくれた馬車の中だが、敢えてそこには乗っていない。
その後方の荷を積んだ幌馬車の一番後ろに座り、積んだ荷に背を凭れながらだらしなく足を外に出してブラブラさせている。
一張羅を着させられたが、服さえ見えなきゃ凡庸な冴えない小男。
上にボロいケープを羽織ってしまった今、辺境伯家に婿入りする為のこの一行の主役が彼だとは誰も思わないだろう。
向かっているのは由緒正しいカルヴァート辺境伯家。
屈強で凛々しい現辺境伯閣下や、亡き美しい奥方に似たご令息の姿はダニエルも見たことがある。
だがご令嬢であらせられるアデレード嬢の姿はあまり知られておらず、婿入りをする彼も、絵姿すら見せられていないのでさっぱりわからなかった。
耳にした噂も『アマゾネス』だったり『妖精』だったりと、無茶苦茶。
おそらく父似か母似かで噂が二分していることは容易に推測できるが、アデレードの年齢がもう23であることから『アマゾネス』という噂がやや優勢。
(大体にして、王宮で王太子様付の文官(※一番下っ端)の僕が辺境伯家に婿入りするとか、ぶっちゃけ意味わからん……)
考えないようにしていても、頭に過ぎる疑問と不安。
この婚姻は王命である。
王家となにかしらの取り引きがあったのかなー等と思うものの、大事な一人娘でしかも次期当主の相手。
それだけに、恐らく彼女の見た目は『アマゾネス』の方なんじゃないか、とダニエルは予想している。
──彼の元婚約者は第一王女であらせられる、シエルローズ殿下だった。
シエルローズにダニエルが呼び出されたのは、1週間前のこと。
彼女の横には何故か、本来近くで控えている筈の騎士の姿。呼び出されたのは、その騎士と恋に落ちて云々故の婚約破棄を彼に告げるためだ。
まあ、 知 っ て た 。
シエルローズ第一王女殿下とダニエル・ブラック伯爵子息の婚約は、幼少期に結ばれた。
先の陛下が若くして病に倒れ崩御、王弟殿下が即位されたことがきっかけである。
独身だった王弟殿下は、国の混乱を防ぐ為に先王の妻であった王妃をそのまま自分の妻とした。
先王と王妃の間に生まれた唯一の子──それがローズ。
元王弟殿下である現陛下と王妃の間にはすぐ子が生まれ、しかも男児だった。そして更に女児、男児と続く。
ふたりは先王の娘であるローズを蔑ろにはしなかったが、他のお子達とは違って王族としての重責を与えることを拒んだ。
婚約者に由緒正しいが力のないブラック伯爵家の三男であるダニエルが早々に選ばれたのも、その結果といえる。
それは要らぬ火種を産まぬ為であり、またローズへの気遣いでもあったものの、まだ幼い彼女がそう受け取れなかったのも仕方ないこと。
凛々しい先王の見目を色濃く受け継いだ彼女は、美姫と名高い王妃とも、中性的で柔らかな顔立ちの現陛下とも違う。
王妃似の第二王女がすぐ生まれたこともあり、幼少期は卑屈にならざるを得なかったのだろう。
そんな経緯での婚約だが、4歳上のダニエルと、シエルローズの仲は良かった。
しかしローズは、成長するにつれ段々と王妃に似た、女性らしく美しい姿へと変化していく。
立場とは関係なく(完全にそうとは言えないにせよ)、自分の魅力によって急に男性からちやほやされ出したローズ。
見た目と共に内気だった彼女の言動は変わっていった。
それは、良くも悪くも。
その結果が婚約破棄。
幸か不幸か、ダニエルは共感性と客観性に富んで育っている。コンプレックスの強い彼女が、認められることで徐々に変わっていったのを責めることは、彼にはできなかった。
また、自分もそれほど潔癖な人間ではない自覚もある。
だからといって傷付かない訳でも、傷付いて尚初恋の幻想をそのまま抱き続けるほど純粋でもなく……既に心は離れていた。
「ごめんなさいダニー……! でも私、真実の愛を知ってしまったの!!」
美しく涙を流しながらそう言う王女殿下の震える肩を、横にいる騎士がそっと引き寄せる。
なかなか絵になる光景である。
(当時は地味な容貌の僕だからこそ、逆に心を開けたんだろうなぁ……)
過去を懐かしく振り返り、ダニエルはこう思った。
それでも自分にだけ向けるあどけない笑顔に、かつて彼は恋をしたのだ。
「そう……お幸せに」
婚約破棄を告げられたダニエルは、ひとつ溜息のような息を吐いたあと、控え目に笑顔を作る。
初恋の残滓のようなものを久々に噛み締めつつも、それは保護者的愛情による諦念。
そして今、彼の大半を占めるのは……
(ようやく……ようやく僕は自由だぁぁぁあぁぁぁぁ!!)
内心に隠した、清々しい程の解放感であった。