7話 ※公爵視点
「まったくあなたは、何を考えているんですか」
さほど大きくはないが、はっきりとした声が廊下に響く。発しているのはクロヴィス邸で働く執事長のアルフだ。彼は先代の頃からクロヴィス邸で働いており、マティアスを幼少から知る人物のひとりでもあった。
そんな彼は今、呆れたような目をマティアスに向けている。
「まさか隠し子だなんておっしゃいませんよね」
「私の年齢を考えてくれるかな。……いや、ありえるのか?」
マティアスは今年で二十五になる。アリシアの年齢は定かではないが、少なくとも十二は越えている。最低でも十三歳のころの子供でなければ隠し子として成立しないのだが、アルフはアリシアが何歳なのかを知らない。
彼にはアリシアが成熟した十歳ぐらいの子供に見えていて、マティアスが十五のときに――と考えているのなら、ありえないこともないのかもしれない。
神妙な顔つきで考えるマティアスに、アルフがため息を落とした。
「いえ、隠し子でなかったとしても、どこの誰とも知れない子供を突然連れてくるなど……もしもここにご当主様と奥方様がおられたらなんとおっしゃるか」
「間違いなく怒るだろうね。だけどここにはいない。死人に口なしとよく言うだろう?」
マティアスの両親は彼が二十のころに、事故に遭い亡くなっている。すでに五年が経っているのだが、アルフにとって両親は長年仕えてきた主であることに変わりない。現当主であるマティアスに敬意を払い、誠心誠意仕えてはいるが、それはそれ、これはこれというもので、ふとした拍子に引き合いに出すことがあった。
いつもならば聞き流しているのだが、今回ばかりは聞き流すわけにはいかない。小さくため息を落としたあと、マティアスは鋭い目をアルフに向けた。
「今の当主は私だ。私が養子を迎えると決めたのだから、君はただ養子縁組の書類を差し出すだけでいい」
「屋敷にそのようなものはありません」
「なら取り寄せてくれるかい?」
「……かしこまりました」
ありがとうとマティアスがほほ笑むと、アルフの顔に複雑なものが浮かぶ。
アルフが両親のことをいまだに大切に思い、敬意を払っているのは、マティアスにとってもありがたいことだ。その息子である自分を裏切ることはないと信用できるし、マティアスも両親に対する敬意を忘れずにいられる。
だが、今このときばかりは余計な口出しをしてほしくはなかった。なにしろ公爵家当主――先代王妃の弟であり、第一王子の後見であるマティアスが養子を迎えると知られたら、何か裏があるのではと探ってくる者も出てくる。
(それで邪魔されたら、面倒だからな)
どうせいつかは探られることになる。それなら、養子に迎えたあとのほうが面倒がすくない。
迅速にことを進めたいマティアスにとって、今はアルフの小言を聞いている暇はなかった。
「それと旦那様。客人がいらしておりますが、お会いになりますか?」
「客?」
自室に向かっていた足が止まる。主人不在で客人を迎え入れるなんて、そうそうあることではない。しかも、すぐに帰ってくるのならともかく、今回出かけたのは第二王子ヴァリスの暴走を止めるためだ。どのぐらいで帰ってくるか定かでないのに客人を留めるのは、よほどの理由があるか、あるいはよほどの人物か。
「第一王子殿下がいらしております」
「……そういうことは早く言ってくれるかな」
思わず顔がひきつってしまう。
第一王子はマティアスの甥である。第一王子の母――マティアスにとっての姉が亡くなってからは、よくマティアスのもとに遊びに来ていた。だから、彼が訪ねてくるのはそう珍しいことではない。
アルフが彼のことをひとまず横に置いて、アリシアのことを優先して話していたのも、いつものことだと思ったからだろう。
「彼は今どこに?」
「客室にご案内しました。旦那様がいつ頃戻られるか定かではなかったため、いつもお泊りになる部屋に――」
クロヴィス邸には客室が並ぶ一画がある。第一王子がいつも使うのは、その中でも一番端にある部屋。行き交う人も多くないので、静かに過ごせるからと彼の気に入りだった。
「アリシアはどこに案内したんだったか」
「客室に。旦那様のお子様の部屋はまだご用意していなかったため、当面の間は客室を利用いただくほうがよろしいかと思いましたので、そちらに案内を頼みました。第一王子殿下がご利用されている部屋とは離れておりますため、ご安心ください」
もしもアリシアの部屋が第一王子の近くだったら――そんな心配をしていたマティアスだったが、アルフの返答に小さく安堵の息を漏らす。
客室の並ぶ区画はある程度の広さがある。気まぐれに歩き回っても、そうそう顔を合わせることはないだろう。
「……なら、いいか」
足を自室から客室の並ぶ区画に向ける。そして通路に足を一歩踏み入れたところで――音が聞こえた。