4話 ※公爵視点
ガタガタと揺れる馬車の中で、男性――マティアス・クロヴィスは小さくため息を落とした。
第二王子の向かった教会は王都からそう遠く離れていないとはいえ、なぜ自分がという気持ちが拭えずにいた。
教会にいる聖女の存在は貴族の間でも話題になっている。
曰く、医者ですら匙を投げた病人を救っただの。
曰く、もう動かないはずの足が動くようになっただの。
さすがに失われた腕が戻ったという話はなかったが、それでも病人やけが人を治したという話を聞けば、一度ぐらい行ってみたいと思うのが人のさがというものだろう。
それでも貴族のほとんどは、表立って動こうとはしていなかった。自分の家に、教会に頼らねばならないほどのけが人や病人がいると知らしめることになるからだ。
教会が権威を振るっていたのは、百年以上も前のこと。それまで教会は聖女という存在を掲げていた。
祈りを捧げるだけで枯れた地に実りをよみがえらせたり、遠くで起きた災害をまるでその目で見たかのように語ったり――代ごとに聖女の力は変わったが、それでも頼るにはじゅうぶんすぎるほどの力をもっていた。
だが聖女の献身とは裏腹に教会は彼女の威光を笠に着て金をせびったり、聖職者という立場を利用して横暴を働く者まで出る始末。
最後の聖女がこの世を去ってからの百年ほどで、教会の権威は地に落ちた。
もう今では、点々と聖堂を残すだけとなっている。そんな落ちぶれた教会に――たとえ聖女が本物だろうと――頼るのは、聖女の力がなくても国を、領地を運営していけると証明してきた貴族のプライドが許しはしなかった。
だから聖女を頼りに教会を訪ねるのは、成功した商家や、もはや縋るものがそれしかない没落寸前の貴族ぐらいに収まっていたというのに。
「……まったく……余計なことを」
貴族のプライドなど知らぬとばかりに、第二王子が城を飛び出した。しかも、どこか悪くしたとかではなく、妃に迎えると言いながら。
「殿下の配慮をなんだと――ん? あれは……おい、ちょっと止めてくれ」
御者席に繋がる窓を叩き、指示を出す。そうして止まった馬車から降りてマティアスが向かったのは、道の端。草が途切れるか途切れないかのすれすれのところまでいき、その場にかがんだ。
「おい。生きているか」
そこにいたのは、小さく体を丸めた少女だった。地面に広がる髪は新雪のように白く、肌も白い。血の気が通っていないのではと思う白さに体に触れたが、たしかな温もりを感じ、少しだけ体を揺さぶった。
「っ……」
ぱちりと目を覚ました少女はマティアスを見ると、飛び起きるように体を起こした。
(これはまた……変わった……)
不安そうにマティアスを見る目は、黄金のように輝いている。白い髪に金色の瞳。人ではなく猫の化身と言われても頷いてしまいそうな少女の容姿に、マティアスは自分の抱いた感想を隠すように柔らかな笑みを浮かべた。
「ああ、よかった。こんなところでどうしたんだい? 親は一緒じゃないのかい?」
返ってきたのは、否定を示すもの。小さく首を振る少女の瞳から不安は消えていない。
どうしたものかと悩んだ公爵はそれから問答を続け、少女がセイル村から来たのだろうと見当をつけた。
このあたりで一番近い村はそこしかない。少女の靴はどう見ても長旅をするようにはできていないし、体の疲労具合から見ても、ある程度近いところからここまで来たと考えるのが妥当だろう。
第二王子の暴走を止めるのは、ここまで彼に追いつけなかった時点ですでに手遅れだ。ならば、少女を見捨てたという罪悪感を抱かないように送り届け、それから第二王子をしかりつければいい。
そう考えて差し出した手に少女が触れ――
「いたっ」
漏れた小さな声に、マティアスの胸にちくりと――わずかではあるがたしかな痛みが走った。
「……今のは……」
痛みを感じるような前兆はどこにもなかった。病気を患っているということもない。
一拍の間もせず消えた痛みに、マティアスは自らの胸に手を当て、少女を見下ろした。
「……君は、セイル村の出身でいいのかな?」
何も気にしていないというふうを装い、笑みを絶やさないように気をつけて問いかけると、少女はとまどいを見せた。ぎゅっと顔をこわばらせ、金色の瞳を揺らしている。
「名前を教えてくれる?」
その問いにも、少女は答えようとしない。
「私はクロヴィス……マティアス・クロヴィスと言うんだ。君の名前も教えてもらえたら嬉しいな」
「………あ、アリ、シア」
長い逡巡のあと、少女の口からたしかな言葉が出てきた。
だがそれだけ言うとまた、固く閉ざされる。まるでこれ以上答えることはないと言うように。
「そうか。アリシアというんだね。いい名前だ。親御さんに付けてもらったのかな?」
ためらうように、少しだけ、アリシアの首が傾いた。それは、わからないという合図なのだろう。
マティアスはこれまでの道中と、そしてアリシアを見つけたとき以上に、どうしたものかと心の中で頭を抱えた。