【書籍化記念番外編】夜の美術鑑賞
クロヴィス邸には美術品が並べられた一角が存在する。廊下の窓と窓の間を飾る美術品の数々は、通りかかるたび目を奪われてしまう。
(これは……なんだろう)
何しろ、そのどれもが形容しがたいものばかり。首のあたりがぐるりと一回転し、何も入れることができなさそうな壺に、抽象的すぎて何が描かれているのかわからない絵画。その中でもアリシアの目を惹いたのは、豪奢な枠で飾られた真っ白な絵画だった。
(何も描かなかったのかな。……でも、それならわざわざ飾らないよね)
ううんと首を傾げ、右から左から、見る角度を何度か変えてみたが絵が描かれているようには思えない。
「それが気になったのかい?」
下から覗きこんでみようとしゃがんだところで、すぐ近くから声が聞こえてきた。首を動かしてそちらを見ると、マティアスとリオンが二人並んでアリシアを見ている。
「新進気鋭の画家が描いた一作らしくてね。特殊な絵の具を使ったそうだけど……」
「おかげで何が描かれているのかはわからない」
マティアスの言葉を引き継ぐようにリオンが苦笑しながら言う。
(……何か描かれているんだろう)
いくら見つめても真っ白いキャンバスとしか思えない。だけどそうではないのなら、何が描かれているのか知りたい。
じっと凝視するアリシアに、マティアスの口元に柔らかな笑みが浮かんだ。
「そんなに気になるのなら、何を描いたのか今度聞いてみようか?」
マティアスの提案にふるりと首を横に振る。
(なんだか、それは違うような気がする……)
聞いて満足するのではなく、自分の目で見て、感じてみたい。
(それに……見る方法はあるんじゃないかな)
白い絵を描きたかったのなら、白い絵の具を使えばいい。だけど特殊な絵の具を使ったということは、何か理由があるはずだ。
それにこれは置物とかではなく、絵画だ。見ることを目的として、作られている。
「そうか。なら……俺も付き合うとしよう」
そう言って、リオンはアリシアの横に並んだ。
「一人よりは二人のほうが見る方法を思いつけるかもしれないだろう?」
目を細めて言うリオンに、アリシアは思わず頷いて返す。そして「あまり遅くならないように」と言ってマティアスが立ち去り、リオンとアリシアだけが通路に残された。
角度か、あるいは温度か。ああでもないこうでもないとリオンと試行錯誤し、夕食を終えたあとも絵画を調べてみたが、結局白いままだ。
「アリシア。もう遅いから、続きはまた今度にしよう」
高い位置にあった太陽は沈み、点々と飾られた燭台だけが通路を照らしている。
リオンの言うとおり、終わらせたほうがいい。だけど本当にもう手はないのかと、アリシアは名残惜しそうに絵画を見つめ――ふと、違和感があることに気がついた。
(あれ、なんだか少し……)
絵画の表面がきらめいているように見える。これまでなんの変化も見せなかった絵画の、ほんのわずかな変化に、アリシアはきょろきょろと周囲を見回した。
通路に昼間と変わったところはない。あるとすれば、太陽の光がなくなり、少しだけ薄暗くなったことぐらいだろうか。
(もしかして……明かり?)
リオンにちらりと目配せを送ってから、すぐ近くにある燭台の火を消す。その動きでリオンも察したのだろう。彼もまた、燭台の火を消しに動いた。
「これは……」
目を丸くするリオンの横で、アリシアも目を瞬かせる。
(すごい……きれい)
何もなかったはずの一枚のキャンバス。そこには今、光り輝く天使の絵が描かれている。
羽を広げ、祈るように指を組む天使の姿に、アリシアはただただ見惚れるしかない。
「なるほど。暗闇でしか見られない絵か……それは、気づかれないはずだ」
月明かりが差し込むまでの短い間、二人はじっと絵画を見つめた。
数日後、アリシアのもとに小さな絵画が届いた。真っ白い、何も描かれていない絵画の送り主は、あの日、あの絵を一緒に見たリオン。
(……何が描かれているんだろう)
きっとこれも、暗闇で輝くような絵を見せてくれるのだろう。
アリシアは口元を綻ばせ、夜の訪れを心待ちにした。




