32話
「連れてきた」
そう言って木々の合間を抜けて現れたリオンに、アリシアはこくりと頷いて返す。
あのあと、ヴァリスはリオンに謝り、リオンもそれを受け入れた。とはいえ、勝手な行動をしたのはたしかなので、ヴァリスの処遇をリオンの一存で決めるのは難しく、帰ったら彼らの父親である王と話し合って決めるということで落ち着いたわけだが。
ちなみに、リオンが原因で王位継承権がないのだとヴァリスが思い込んでしまったのは、以前それについて質問したときに「リオン殿下が……いえ、それに関してはいずれ」と言葉を濁されたから、というものだった。
それからは誰にも聞かず、悶々とした気持ちを抱え、邪推し続けてしまったらしい。
もっと早く、誰かが真実を告げていれば、彼が長年苦悩することはなかっただろう。それについてはリオンも悪いことをしたと謝り――とりあえずは丸く収まった。
これで一件落着。あとは救助を手伝おうと戻ろうとしたアリシアだが、そこで待ったの声をかけられた。
まだ問題が残っているから待っていてほしいと、リオンに言われたのだ。
そうしておとなしく待っていたアリシアのもとにリオンと――沈んだ顔の少女が現れた。
初めてみるその顔に、アリシアはぱちくりと目を瞬かせる。
少女が着ている外套は、隣に立つリオンのものとは少し違う。ちらりと視線を横にずらし、そこにいるヴァリスの装いを確認する。
(あ、この子が……ええと、名前はカミラ、だったかな)
ヴァリスと同じ外套を着ているということは、彼が連れてきた――アリシアの代わりに聖女として活動してきた少女なのだとわかった。
名前だけはマティアスとリオンの話で知っていたが、こうしてじかに目にするのは初めてだ。
(彼女が聖女ですって紹介されたら信じちゃうのもわかるかも)
金を束ねたような髪は、生まれたときから丁寧に手入れされているであろうリオンの髪にも引けをとらず、瞳は鮮やかな緑色で、まるで新緑を思わせるような輝きを放っている。
アリシアは思わずカミラを凝視し、これはこれで美しさという神の祝福を受けているのでは、と小さく感嘆の息を漏らす。
その音に反応したのか、カミラの緑色の瞳がアリシアに向けられ――彼女の顔がひきつるように歪んだ。
「わ、私……知らなかっただけなの。こんな、小さい子が、聖女だなんて」
視線はさまよい、声も震えている。
アリシアがカミラを見たことがないように、カミラもアリシアを見たことがなかったのだろう。
修道女から話ぐらいは聞くことがあったかもしれないが、好印象を与えるものではなかったことが、彼女の様子からうかがえる。
「こんな、小さい子だって知っていたら、私だって……もっと、なんとかしようって……」
自分よりも小さいと知っていたら、もっと早く出会えていたら――だから、自分のせいではない。そう話すカミラに、リオンがため息を落とした。
「アリシア。君はどう思う?」
唐突な問いかけに、アリシアは首を傾げる。どう思うも何も、とくにこれといった感想が浮かばなかったからだ。
(しいて言えば……たぶん、私は小さい子じゃないと思う)
カミラがアリシアのことを何歳ぐらいだと思っているのかはわからないが、小さいと言われるほど幼くはないはずだ。
だからとりあえず訂正しておこうと、アリシアは小さく首を横に振った。
「そ、そんな……あなたは、聖女なんでしょ。だったら寛大な心で私を見逃してくれても――」
「いや、許すかどうかではなく……アリシアは見た目ほど幼くはないと……まあつまり、どうして小さな子供扱いされているのかよくわからないらしい」
「え……? じゃ、じゃあ、何歳なの……?」
マティアスは暫定的に十五歳と決めたようだが、正確なことはアリシアにもわからない。
だからこれにも、アリシアは首を傾げた。
「一応十五歳ということで籍を作るらしいが……それよりも上かもしれないし、下かもしれない。……これがどういう意味か、君にわかるか?」
リオンはつい先ほど、雪の日で死にかけたのは六歳のときだったと話していた。
そして今の彼の年齢から考えると――少なくとも十五は越えているはずだ。そう意思表示しようとしたアリシアだったが、リオンの冷ややかなまなざしがカミラに注がれているのを見て、動かしかけた首を止めた。
「自分の年齢すらわからなくなるような時間と生活を、彼女は送っていたということだ。君が聖女として、その恩恵を享受している間、ずっと」
「で、でも、それは私のせいじゃないわ。わ、私はただ、そうするよう言われたから……」
「だが聖女が別にいることは知っていただろう。その聖女を一度も見たことがないのに、何も疑問に思わなかったのか? 誰かに知らせようとは思わなかったのか? 聖女が不当な扱いを受けていると知るには、十分な期間を教会で過ごしていたはずなのに?」
「そ、そんなこと言われても、私は……ヴァリス様……私は悪くないのだと、あなたならわかってくれますよね」
立て続けに責められ、カミラの視線が自然とヴァリスに向いた。
妃にしたいと言ってくれて、ここまで連れて来た彼ならなんとかしてくれる。そう思ったのだろう。
だがヴァリスは何も言わず、ただじっとカミラを見下ろしている。
「私を助けてくださると……何があっても守ると、そうおっしゃってくださっていたではありませんか」
カミラの必死の懇願に、ヴァリスの目がリオンに向く。それに対してリオンが鷹揚に頷いてようやく、ヴァリスの口から大きなため息が吐き出された。
「今の俺はただの生きた石像だ」
「え? は? え?」
「だから俺に助けを求めるな」
突き放すような口ぶりに、カミラの視線がさまよう。どうして助けてくれないのかととまどい、なおも縋りつこうと言葉を重ねたが、ヴァリスがそれに応えることはない。
今のヴァリスは、生きた石像と化している。リオンが生きた石像になることを命じたからだ。
おそらくは、余計なことはせず、しばらくおとなしくしていろということなのだろう。
命じられた当初、ヴァリスは意味がわからないという顔をしていたが、すぐに意図に気づいたのか今のところはおとなしく生きた石像を貫いている。
「せ、聖女様。聖女様なら、わかってくださいますよね? 私のせいではないのだと……お、お願いです。私は何もしていないのだと、彼らに言ってやってください」
リオンには冷ややかに見下ろされ、ヴァリスは生きた石像と化していて――残るはアリシアだけだと気づいたのだろう。カミラが縋るような、祈るような、泣きそうでいて笑いそうな、歪な顔をアリシアに向けた。
(言ってやってください、と言われても……)
カミラがこれまで何をしていたのかをアリシアはほとんど知らない。
聖女としてみんなの前に出ていた、ぐらいしか聞いたことはなく。しかもそれもマティアスやリオンの話でわかっただけだ。
教会で彼女が何をしていたのか、城で何をしていたのか、カミラがこれまで何をして、何をしていなかったのかを確かめる術はない。
(……この場合は……何か言わないといけないのかな)
でも何を、と考えても答えがでない。
とりあえず適当に何か喋ろうか、という気持ちにもなれなかった。
言うべきことが思いつかないから、というだけではない。
つい先ほどまで、この言葉で伝わるのか、間違えていないか考えに考えて、必死に歌以外の音を発していて――つまり、話し疲れたのである。




