27話
黒い髪に赤い瞳。リオンと似た面影を持つ彼の顔は、険しくしかめられ、今にも泣き出しそうな、怒り出しそうなものになっている。
おそらくは、彼がマティアスとリオンの話のなかに何度か出てきていた第二王子なのだろう。
髪の色は違うが、瞳の色は同じで、顔立ちも似ている。
(彼が聖女に恋した王子様……あれ、連れ出しただけだったっけ?)
アリシアの代わりを務めていた聖女が第二王子ヴァリスによって連れ出された。そんな感じの話を思い出して、なるほど彼が、とひとり納得しているアリシアをよそに、ヴァリスはつかつかとリオンのもとに進み出る。
弟だからか、背丈はリオンよりも少し低く、睨みつける顔には幼さが残っている。
「どういうことですか、兄上。どうして……今のは……」
リオンを睨みつけていた赤色の瞳がアリシアに向けられる。そしてリオンがそっと庇うように、アリシアの前に立ち、その視線を遮った。
「彼女に無礼な発言をするのは控えてほしい。彼女は、俺の命の恩人だ」
それだけでアリシアがどういった人物なのかを知るにはじゅうぶんだったのだろう。ヴァリスの顔が怒りで赤く染まる。
アリシアがひょいとリオンの背からヴァリスの様子をうかがい見れば、射殺さんばかりにリオンを睨みつけているのが目に入った。
「どう、いうことですか。じゃあ、俺が連れて帰ったのはなんだと言うんですか……! 聖女をって、だから、それなのに、どうして……!」
取り留めのない言葉は、怒りに任せて出てきたからだろう。
噛みつかんばかりに怒声を上げるヴァリスに、リオンは小さく息を吐いた。
「……教会はみなを騙していた。なんの力もない少女を聖女に祭り上げ、本当の聖女を隠していたんだ。おそらくは、聖女の力を都合よく利用するためだろう。……教会は腐敗し、かつての栄光を……かつての富を求めている。お前が聖女を妃にと望んだとき、あちらは抵抗したか? 喜々として差し出したのではないか?」
そのときのことを思い出したのか、ヴァリスの口から小さな唸り声が漏れた。歯噛みし、悔しそうなその顔に、リオンはそっと目を伏せて言葉を続けた。
「聖女の力を使って細々と民心を集めるよりも、王家と繋がるほうが得だと思ったのだろう。だがそのときに聖女を……彼女を差し出さなかったのは、顔を知られているのがカミラであることと、彼女がどういう扱いを受けてきたのか知られては困るからに違いない」
「それを、兄上は知っていたのですか。知っていて、黙っていたんですか。騙されて哀れな弟だと、俺のことをずっとそう思っていたんですか! それで自分だけは聖女を手に入れて、聖女の力を使って解決して……俺には、誠心誠意謝れと、言っておきながら……!」
「違う、俺は――」
そこで一度言葉を切ると、リオンは案じるようにアリシアを見下ろした。
リオンはアリシアに指示を出してはいない。彼女の力を利用しようとしたこともない。だがここでアリシアの独断だと言うのは、彼女にすべての責任を押しつけるように感じられて、はばかられたのだろう。
アリシアはじっとこちらを見下ろす温かい赤い瞳を見つめたあと、小さく首を横に振り、頷いた。
(私のことは気にしないでいいから、大丈夫)
そのほんのわずかな所作でアリシアの気持ちを十全に理解するのは難しいだろう。だがそれでもリオンは彼女の意思をくみ取り、心苦しそうに顔を歪めたあと、ヴァリスに向き直った。
「俺は彼女の力を利用するつもりはなかった。今回のことは王家の責任だ。彼女に責任を押し付けるつもりは……なかった。結果として彼女に助けられたが、それは俺が指示してのことではない」
「そんなの……信じられるわけがないでしょう! どうせ兄上のことだ。解決できるとわかっていたから、自分が優位に立てるとわかっていたから。哀れな弟と救ってやろうって、自分の名声を高めるために、ここに来たんだろ……!」
もはや言葉を取り繕う余裕すらないのだろう。泣きそうな顔で声を荒げるヴァリスに、リオンは静かに頭を横に振った。
「違う。俺は、たとえ彼女に力がなかったとしてもここに来て………同じことをして、同じことをお前に言ったはずだ」
「それで俺が納得すると、そこまで馬鹿だと思っているのか。……彼女が勝手にやったことだって? それだって、本当かどうかわかったもんじゃない。はっきりと口にしなかっただけで、そうなるように仕向けた可能性だってある。俺が、俺を責めて、自分だけ手柄を手に入れて……そうやって、兄上はいつも俺を押しのけてきただろ……!」
その叫びは、まるでそうであってほしいと言っているようだ。
どうしようもなく埋まらない差を認めたくなくて、目を背けたくて、駄々をこねているとしか思えない様子に、アリシアの顔が悲しげに歪む。
アリシアには兄弟の情というものはわからないし、家族というものもわからない。だがもしもマティアスやローナ、リリアンに同じように怒鳴られたらと想像するだけで胸が痛くなる。
だから家族に面と向かって悪意を向けられているリオンはもっと痛いのではないかと思い、彼の外套をぎゅっと握りしめた。
そのかすかな力が伝わったのか、リオンは少しだけアリシアのほうを見て、大丈夫だというように微笑んだ。
「……俺はお前を押しのけようとしたことはない」
そうしてまたヴァリスのほうを向き、静かに語り掛ける。だがその落ち着いた声色を余裕綽々と受け取ったのだろう。ヴァリスの顔に憤りが浮かび、だがそれはすぐに嘲るような見下すものに変わった。
「よくそんなことを言えたな。同じ王の血を引いているのに、兄上だけが特別で、大切にされていた……違うとは言わせないぞ。それで俺がどれだけ苦しんだことか……俺に王位継承権がないのが兄上のせいだと知って、どれほど傷ついたか……」
ヴァリスの言葉はリオンからしてみれば思ってもみなかったものだったのだろう。虚を突かれたようにリオンの顔から表情が抜け落ちる。
その様子に自らの正当性を垣間見たのか、ヴァリスはためらうことなく言葉を重ねていった。
「愛する兄上の言葉であれば、父上はそれがどんなものであれ受け入れただろうな。愚かな弟とでも言ったのか? 王家にふさわしくないとでも? 自分だけが王太子として……父上の跡を継ぐ存在としてみなに愛されて、それなのによくも好意を利用したことがないなどと言えるな。兄上が余計なことを言わなければ、俺も王位を継ぐかもしれないとしてみなに期待を寄せられ、愛されていただろうに……だがそんな可能性はすべて、兄上に奪われた! その俺の気持ちがお前にわかるか!」
これまで溜めこんできたものを一気に吐き出すようなヴァリスの叫びに、リオンの顔が苦悶に歪む。
弟を追い詰めていたことに気づかなかった自らを苛めているのか、それともそんなことを思わせてしまったことに悲しんでいるのか。
今にも泣き出しそうな顔で、だけど歪んだ顔に涙がこぼれることはなく、代わりに「違う」という小さな声が絞り出された。
「何が違うというつもりだ。俺はたしかにお前が原因だと――」
「違う、違うんだ、ヴァリス。お前の王位継承権がないのは……お前が原因ではない。お前がどうとかではなく……お前の母親が、俺を……殺そうとしたからだ」
そう言うリオンの顔には苦しみが満ちていて、すぐに嘘だと決めつけるのは難しかったのだろう。ヴァリスの口が何度も開閉し、視線は定まることなくさまよっている。
だが、ここまで言い募ってあとには引けなくなったのか、ヴァリスは顔を引きつらせながらも口を閉ざそうとはしなかった。
「なん……だ、それは……なん、で。それは……それこそ、どうして、なんで、そんな重要なことを……どうして俺に黙っていた。そんなのは、それこそ、聖女の力よりも、伝えるべきことだろう……なのに、どうして、誰も……そんな話、信じられるわけが……」
責めるようなヴァリスの口ぶりに、リオンは答えることなく視線を地面に落とした。
その沈黙が、彼の話が真実なのだということを雄弁に物語っていた。ヴァリスの顔から血の気が引き、体から怒りが抜け落ちる。
「……ヴァリス」
「っ……うるさいうるさい! 今は、お前の話なんて聞きたくもない……!」
ぐっと顔をしかめ、ヴァリスはリオンの顔を見たくもないというように彼に背を向け、走り去る。それを追いかけるだけの余裕はリオンにはないようで、力なくうなだれた。だがすぐにうしろにアリシアを隠していることに気づいたのか、取り繕ったような微笑みを彼女に向けた。
「すまない。見苦しいところを見せてしまったな」
気づけば雨は止んでいて、湿った外套から水が滴り落ちる。それが彼が泣いているようにも見えて、アリシアはそっとリオンの冷えた頬に手を当てた。
「……すまない、アリシア。こんなことを言うのは間違っていると……俺が言うべきではないとわかっている。それでも……俺のために歌ってくれないか……また俺を、助けてほしい」
くしゃりと歪んだ顔に、アリシアは力強く頷くと、あの日と同じ――雪の日に捧げた歌を紡ぎはじめた。




