25話 第二王子視点
聖女は恋をすると力を失う。そうカミラに聞かされたヴァリスは、彼女の腕を掴み、苛々とした足取りで人気の少ないところまで移動した。
誰かに聞かれれば、困ることになるからだ。すでに聖女が治すと宣言してしまったので、今さら撤回することはできない。
かといって、今からカミラが歌ったところで、そこにはなんの力もない。ならばどうすればいいのか――いくら考えても妙案は浮かばず、生まれた苛立ちと焦りはそのまま怒りとなって、カミラに向けられた。
「どういうことだ。力が使えないなんて……そんなことは聞いていないぞ」
「そ、そう言われましても……てっきり、ご存じとばかり」
聖女を妃に迎えたいと言ったとき、教会の人は誰ひとりとしてそんなことは話さなかった。ただ祝福し、我々の大切な聖女をよろしくお願いいたしますと頭を下げただけだ。
もしも力を失うと知っていたら――いや、それでもおそらくヴァリスは彼女を連れてきていただろう。
彼の目的は聖女の力ではなく、兄が追い求めている相手を自らの手中に収めることだったのだから。
聖女の力が必要だったのは、その目的を達成するためだ。みなの支持を集めるために聖女の力という確実な手段を使うつもりだった。
(だが、そうと知っていたら、もっと別の手段を講じていた……!)
もしも力がないとわかっていれば、確実ではなくても別の手段をとっていただろう。王が寝る前に毎夜押しかけて願い続けたかもしれないし、聖女を妃にするのだと勝手に宣言することだってできたかもしれない。
あるいは認められるまで待ち続けることもできた。
だが今となっては、その手段のどれも選ぶことはできない。今考えるべきは、カミラと結婚する方法ではなく、この事態をどう収めるかだからだ。
「どうにかならないのか……」
「どう、とおっしゃられても……」
「今すぐ俺に対する恋心を捨てろ。それでなんとかならないのか」
声を荒げたい気持ちを必死に抑える。ほかの者に聞かれれば、何かあったのかと思われるだろう。怪しまれればヴァリスの計画はここで終わり、支持を集めるところではなくなってしまう。
「ひ、ひとの気持ちはそんな簡単なものでは……」
「そもそも! ……どうしてそんな簡単に恋に落ちれた。簡単ではないというのに、簡単に恋をしたではないか。顔か、優しくされたからか。理由を言ってみろ。それを捨ててやる。だからお前もそのような簡単な恋心など捨ててしまえ」
顔と言われたら今すぐにでも焼き尽くしそうな剣幕に、カミラの瞳に怯えの色が浮かんだ。
大きな声を出さないように注意しているからか、代わりにヴァリスの顔に怒りが刻まれている。だがそれに気づく余裕などなく、そして近づいてくる足音があることにも気づかなかった。
「……あまりそういう恐ろしいことを言うものではないな」
聞きなれた声に、ヴァリスは反射的に振り返った。呆れたような、非難の混ざった赤い瞳。ずぶ濡れになった外套と、そこからのぞく金色の髪。
今もっとも会いたくない人物が、そこにいた。
「兄上……何をしに来たのですか」
「決まっているだろう。弟の不始末を片付けにだよ」
「兄上の助けなどなくても、俺が……自分でなんとかできます」
「どうなんとかするんだ?」
ぐ、と歯噛みする。良案が浮かんでいれば、今ここでカミラに詰め寄ったりしていない。
その沈黙が答えとなったのだろう。リオンの口から深いため息が落とされた。
「……ならば、兄上はどう収拾をつけるおつもりなのですか。なにか良案があるとでも?」
「素直に謝罪するしかないだろう。そのうえで、許しを得られるように誠心誠意尽くすしかない」
「そん、なのは王族のすることではありません! 王族がやすやすと頭を下げるなど……!」
「やすやすと? 民の期待を煽り裏切るのは、王族にとって安易なことだとお前は言いたいのか。民の上でふんぞり返っているだけが王族だと、お前は思っているのか」
「そうは、言っていません! 俺はただ……」
「ただ、なんだ?」
こんなはずではなかった。聖女の力を使ってみなを助け、賞賛を得て終わるはずだった。
そうすればすべてうまくいくと、思っていた。
(それなのに、どうしてこうなった)
万事がうまく運んでいたはずだ。リオンが求めていた聖女は、ヴァリスの手を取った。 それからもヴァリスの前で頬を染め、顔をほころばせていた。リオン相手に恥じらう仕草をしていたのは気に食わなかったが、それでも昔助けた相手がヴァリスではなくリオンだと気づく様子はなかった。
だからあと一押し、王が結婚を許可するだけの何かが必要なだけ、だったはずだ。
「……そもそも、彼女が、カミラが聖女の力を失うことは隠していたことが……そう教えてくれていれば、こんなことには……」
「結婚する相手のことぐらい調べておけ。聖女の軌跡を追えばすぐにわかることだ。みな恋をして力を失い、結婚していることにな」
「あ、兄上も、それを知っていたのなら俺に教えてくれても……!」
「彼女を連れ帰ってきたのは俺ではなくお前だろう。……それに、今それを話し合ってどうなる。今するべきは責任を誰に擦り付けるかではない。マティアスが今すぐ用意できるだけの物資を手配してくれているはずだが、まだ時間がかかるだろう。今考えるべきなのはそれまでを、どう過ごすかだ」
謝罪し、みなに混ざって救助にあたるか、それともここで意味のない問答を繰り返すか。
リオンにまっすぐに見据えられ、ヴァリスの顔が歪む。選ぶべきかどちらなのかは、ヴァリスもわかっている。
(だが、それでは……)
幼いころは、リオンを慕っていた。目標にしていた。だが成長するにつれ、どうあがいても手が届かないのだと思い知らされた。
いつだって落ち着いていて、焦ることはなく――たとえ求めていた聖女がヴァリスの手に落ちても――感情を揺らがせることのない彼に、みなは期待と愛情を寄せた。
ヴァリスが何をしようと、何を成そうと、頑張りましたねの一言で終わった。リオンのように、次代の王にふさわしくなるにはどうすればいいかと話し合うこともなければ、次はもっと頑張りましょうと励まされることもなく、ましてや努力が足りないなどと叱られることもない。
期待するにも値しない存在なのだと、何度も思い知らされた。
だから唯一得られた――リオンが求めていたものを、なんとしてもわが物にしたかった。
だがこのままでは、王はヴァリスの勝手な行動を咎め、聖女との結婚を認めてはくれないだろう。それどころか、今すぐ手放せと言われるかもしれない。
「兄上、俺は、俺が、俺だって」
なんとかできるのだと、言いたいのに口にすることはできない。
案はいまだにひとつも浮かばない。だから頷くしかないのだとわかっているのに、それもできない。
顔を歪め、今にも泣き出しそうなヴァリスにリオンはまたため息を落とし――
そこで、音が聞こえた。
雨音を破るようなそれは、これまで聞いたことのある歌とはほど遠く。
だが歌としか称することのできない音に、リオンは顔を上げ、ヴァリスは目を瞬かせ、カミラは顔をひきつらせた。




