24話
おそらくは綺麗な水を手に入れるのも難しいのだろう。たらいに溜まった雨水で布を洗い、捨ててまた別のたらいで洗い、何度もそれを繰り返してから、洗い終わった布を持って戻る。
そしてまた、雨水が溜まったころに洗いに戻り、ある程度血の落とせた布で怪我人の体を拭い、汗を拭きとる。
「なあ、聖女様はまだいらっしゃらないのか?」
同じことを繰り返していると、自然と不満の声が上がりはじめた。雨風をしのげるようにと即席で作られた小屋は狭く、これ以上怪我人が増えれば全員を収容するのは難しくなる。
アリシアも布を洗い拭うだけの作業しか手伝えていないが、それを実感していた。
綺麗な水は飲み水として使っているが、それにしたって無限にあるわけではなく、いつかは底をつくだろう。そして雨水が溜まる前に布を洗う必要が出てきていて、いくら水があっても足りないほどだ。
「何かあるんだろう。王家の方がふたりもいらしているんだから、待っていればきっと……」
助かるはず。そうはっきりと言葉に出せないのは、痛みで呻き苦しんでいる者を目の当たりにしているからだろう。
今ここにいる怪我人のなかには、彼らの大切な人もまざっているのかもしれない。悲痛そうに顔を歪める人々に、アリシアも自然と肩を落としていた。
苦しんでいる彼らのためにできることは何かないかと模索するが、怪我の処置の仕方もしらなければ、綺麗な水を用意する術も、全員が満足になれるほどの食糧を採ってくる方法も知らない。
「それにしたって遅すぎやしないか。なあ、本当に聖女様は俺たちを助けに来てくれたのか?」
布を洗って絞って拭って、布を洗って絞って拭って。せめて自分に任されたことはまっとうしようと、動き回るアリシアだったが、だからといって周囲の人の不満が減ることはない。
むしろ時間が経てば経つほど、焦りが増していく。こうして待っている間に手遅れになる人が出てきたらどうすればいいのか、どうするつもりなのか。助けてもらえるという希望が見えただけに、押し寄せてくる不安は大きかった。
「そんなことを俺に言われたって知るわけがないだろう! いいから口じゃなくて手を動かせよ!」
段々と募っていく苛立ちに、アリシアは彼らの前に行き、洗ったばかりの布を差し出した。
何度でも洗うから、これで顔でも拭って一緒に頑張ろうという気持ちをこめて。
「あ、ああ、すまない。怖がらせちまったか」
だが懸命に布を差し出すアリシアに、男性は申し訳なさそうに眉を下げるだけで、布を受け取りはしなかった。
このころには、アリシアがまったく喋らないということは周知されていた。だからアリシアが何も言わずに布を差し出したことを不思議に思われることはなかったが、アリシアの言いたいことが伝わることもなかった。
だからといって伝わらないならと諦めることはなく、アリシアはじっと布を差し出し続けた。
「え? あ、ああ、あー……いや、それは怪我している人に使ってくれ。俺は大丈夫だから」
そうしてようやく、アリシアの言いたいことが伝わったのだろう。やんわりと断られ、アリシアは思わずたしかにと頷いてしまう。
なんとも場にそぐわない緊張感に欠けたやり取りではあったが、だからこそとでもいうべきか、焦りで気が張っていた人々を緩めることができたようだ。
「まあ、そうだよな。焦ってもしかたねぇし、助けてくれるはずだって信じるしかないよな」
「あたしらで喧嘩してもしかたないしね、ほら早く包帯に使えそうなものを探してきておくれ」
怒鳴り合い、喧嘩をはじめそうだった人も矛を収め、それぞれの作業に戻っていく。
それを見て、アリシアも同じように怪我人の体を拭う作業に戻った。
だがすぐに、新たな喧噪により、また手が止まることとなる。
「あんたたち! 早くこっちの人を……!」
大きな声と共に運び込まれたのは、これまで運ばれてきた人たちよりもひどい怪我を負っている男性だった。
その姿に、誰もが顔をしかめ、先は長くないと悟ってしまう。
「……彼はもう駄目だ。もう、祈るしかない」
助けてくれと嘆くのは、おそらくは男性の知り合いなのだろう。男性とともに入ってきた女性に、小屋のなかにいた人が痛ましそうに声をかけた。
「彼が神のもとでもう苦しむことがないように」
近くにいた人たちも胸の前で手を合わせ、神に祈りを捧げる。彼の旅路がよいものであることを。彼の大切な人が心穏やかな未来を歩めるように。彼が安心して見守っていられるように。
だからアリシアも、祈りを捧げた。彼らの思いが神に届くように。神のもとに彼らの願いが届くように。
それが、これまでずっとアリシアに与えられた役割だったから。人のため神のため、迷うことなくこれまで何度も繰り返した歌を捧げた。




