19話 第二王子視点
聖女カミラを城に迎えてから、早一か月。ヴァリスは自分の思っていたとおりにことが運ばないことに焦れていた。
「ヴァリス様? どうされましたか」
カミラは相変わらずの美しさで――むしろ、城に来てからより磨きがかかっている。白い肌は透き通るようで、艶を増した髪は丁寧に結い上げられ、宝石で作られた髪飾りで彩られている。
そして身にまとうドレスや宝石にも負けないほどの輝きが彼女自身にある。
誰もが見惚れ、羨んでもおかしくないというのに、リオンはわずかな動揺すら見せてはくれなかった。
平静を装っているだけなのかもしれないが、悔しそうな顔が見たかったヴァリスからしてみれば、面白くはない。
「……君とこうして一緒にいられることが心地よくて、思わず夢見心地になっていたようだ」
「まあ」
白い肌を赤く染め、恥じらうように目を伏せるカミラは愛らしくも美しい。しかも命の恩人だというのに、どうして平然としていられるのか。
ヴァリスはそっとカミラの頬を撫でるとその頬に口づけを落とした。そしてくすぐったそうに体を震わせるのを見て、満足そうな笑みを浮かべる。
(まあいい。それでも彼女は俺のものになったのだから……だが――)
焦れている理由は、リオンの反応だけではない。ヴァリスの父親である王がふたりの結婚の許可を出してくれないことも、焦る要因のひとつとなっていた。
しっかり吟味する必要があるからと保留にされ、ひと月が経っているのにまだ返事がこない。
(聖女だぞ。奇跡を起こせるのだから、ふたつ返事で迎え入れればいいものを)
教会ではなく城に置き、聖女の力を王家のために使わせることができる。どれだけの恩恵を得られることか。民心も敬愛も王家に――ひいては聖女を娶ったヴァリスに向けられる。
それがどれほどのことか、わかっていないはずがない。それなのにどうして躊躇するのか。
表面では微笑みながら、その内心で苛立ちを募らせていると、ノックのあとに扉が開かれた。
「失礼する。ああ、よかった。ふたりともいるな」
入ってきたのはリオンだ。時折こうして、彼はカミラのもとを訪れる。
(やはり平静を装っているだけか)
悔しそうにしてくれないのは不満だが、それでも彼女を訪ねるリオンを見ると優越感が沸いてくる。彼女の隣に座り、その手を取れるのは自分だけなのだということが、ヴァリスの笑みをより深いものにした。
「兄上、今日はどうしたんだ?」
「今まで彼女が教会でどう過ごしていたのか教えてほしい」
そして決まって毎回、教会について知りたいだけだと言い訳する。その程度のこと一度聞けばじゅうぶんだろうに何度も訪ねるのは、やはり下心あってのものだろう。
「だそうだけど、カミラは構わないか?」
「ええ、もちろん構いません」
ことさら自分のものだと主張するように、ヴァリスはカミラの肩を抱き、優しく問いかけた。
それに対してカミラは頷くが、その瞳はリオンに釘付けになっている。
カミラを訪ねるリオンを見るのは面白いが、リオンを見るカミラの目は面白いものではない。
これもまた、ヴァリスを苛立たせる理由のひとつだった。
リオンの容姿が整っているのはヴァリスも承知している。だがヴァリスだって劣っているわけではない。それでも、人を惹きつけるのはリオンのほうだった。
(王太子としての自信か、愛されて育ったことによる余裕か……いったい、俺と兄上の何が違うというんだ)
幼くして母親を失ったのは、リオンもヴァリスも変わらない。だがヴァリスの母親の肖像画は城にほとんどなく、リオンの母親の肖像画はいくつも飾られている。
そのなかにいる女性は赤子だったときのリオンを腕に抱き、慈しむような眼差しを彼に向けていた。
幼い頃から何度も見たことのある肖像画を思い出し、ヴァリスは心の中で歯噛みする。愛された王妃から生まれた愛された子供。王太子として幼いころから誰からも賞賛され、愛の中で育ってきた。
その自信が、余裕が、ふたりの間に差を生んだというのなら――それのせいで自分は最初から兄に勝てないというのなら、それはあまりにも理不尽ではないか。
「それで、リオン様。何をお話すればよろしいですか?」
「そうだな。……聖女としてどのように過ごしていたのかを聞いてもいいか?」
「構いませんが……ただ神のために祈りを捧げ、みなさまのためにと心を注いでおりましたので、お話できるほどのことは……」
「……本当にそれだけなのか?」
「もちろんです。食事や睡眠などの生活に欠かせないこと以外の時間はすべて、神のためみなさまのために祈り、救いを求めにきた方にせめてもの慰めをと歌を歌わせていただいておりました」
「そうか。ちなみに食事はどのようなものを? ここの食事は教会のものとは違うだろう。口に合っていればいいが」
城の食事は一流の料理人が仕上げている。それなのに口に合わないなんてことがあるものか、とヴァリスは呆れた目をリオンに向けた。
(そんなくだらない話をしてまで、彼女との時間を作りたいとはな)
リオンの涙ぐましさに、先ほどまで抱いていた苛立ちが消えていく。これで王の許可が下り、彼女と結婚できるようになれば、どれほどの喜びが胸を占めるのか。
今からそのときが楽しみでならなかった。




