16話
店内は色とりどりのドレスが飾られ、棚にもさまざまな色合いの布がしまわれている。
ドレスのひとつひとつに繊細な刺繍がほどこされ、レースやフリルもふんだんに使われている。造詣の深くないアリシアにも、飾られているすべて高級なものだとわかるほどだ。
「本日は足を運んでいただきありがとうございます」
奥から出てきた店主らしき人が礼儀正しく腰を折る。
普通は、ドレスを仕立てるときは家に呼ぶらしい。そして宝石を買うときもわざわざ足を運んだりしない。一度の買い物で何個も買うため、自ら持って帰るよりも届けてもらうほうが楽だし、ほかの客に気を取られたり、時間を気にしなくていいからという理由で。
だから酔狂な客か、同時にいくつも買わないような人でなければ店を訪ねない。それでも店を開いているのは、王都に店を構え、潰さずに続けているのが一種のステータスになるからだとか。
「彼女に似合うドレスを一着頼みたい。色や装飾は――任せるので、ほかでは手に入らないようなものを頼む」
一瞬だけ、リオンの赤い瞳がアリシアに向いた。希望はあるかと聞きたかったのだろう。だけど色にも形もこだわりはない。
だからアリシアが首を横に振ると、リオンは店主に視線を戻して、とんでもない要求を突き付けた。
(ほかでは手に入らないって……そんなもの、あるの?)
布から何からここで作っているわけではないだろう。ならば、ドレスに使われる布をほかの店も使っている可能性が高い。ほかに違いを出すとしたら刺繍やレースぐらいだと思うが、それだけで差をつけるのは難しいのでは。
そんなアリシアの懸念をよそに、店主は「かしこまりました」と言って、うやうやしく頭を垂れた。
採寸を終えると、以降のやり取りはクロヴィス邸で、と言い残して店を出る。
次に向かったのは、時計塔だった。王都の中央に聳え立つそれは天を貫きそうなほど高く、誘われるまま上ったアリシアは、眼下に広がる風景に息をのんだ。
王都は歪な円形で、北側にはみ出るようにある小高い丘の上に王の住まう城が建っている。そこから南に向かって大通りが伸びており、時計台を中心に十字で分かれ、上半分には大きな建物が点在し、下半分にはこまごまとした建物が密集している。
「誰が名付けたのかは知らないけど、あちらは貴族街と呼ばれているんだ。社交期にしか訪れない貴族もいるから、実際に住んでいるのはその半分にも満たないだろう」
そう言って示されたのは、上半分の大きな建物がある区画。下半分は説明されなかったが、きっとそれ以外の人が暮らしているのだろう。
「まあ、高いから貴族以外は買わないってだけで、貴族しか住んではいけないという決まりはない。実際に商売に成功した商人が一棟ほど買ったこともある」
明確に区別したわけではないが、住み分けていった結果、今のような形に落ち着いたらしい。
リオンの説明を聞きながら、深く息を吐き出す。降りられなくなると困るからと木に登ったことすらないアリシアにとって、ここまで高い場所から見下ろすのは初めての経験だった。
吸い込まれそうな光景に少しだけ足がすくんでいたが、横から聞こえる落ち着いた声色に、徐々に落ち着きを取り戻していく。
(すごい)
そうして浮かんだのは、たった一言。その一言を文字でリオンにも伝える。
「お気に召してくれたのならよかった」
顔をほころばせるリオンに、アリシアの口元にも自然と笑みが浮かぶ。
楽しませたい、喜ばせたいという感情が彼から伝わってくる。アリシアを見下ろす赤色の瞳はどこまでも優しい。
(神様、ありがとうございます)
教会にいたときは一度もこんな目を向けられたことはなかった。
恐れを含ませた者もいれば、蔑むように見てくる人もいた。共通しているのは、全員どこか冷たく、アリシアに気を許してはいけないという強い意志を持っていたところ。
だからアリシアにとって世界はそういう風に――自分が受け入れられるようにはできていないのだと思っていた。
それなのに今そばにいるのは優しい人ばかりで、誰もアリシアを恐れたり嫌ったりしていない。
声を聞いたマティアスや、歌を聞いたローナとリオンは、アリシアの内に潜んでいる魔性に気づいているはずなのに――
(悪いものだと、思っていない……ううん、知らないのかも)
ふと、ある可能性が浮かんだ。
マティアスは聖女は神の寵愛を受け、奇跡を起こすと言っていた。彼の言葉にはただの一度も、魔に関するものは出てこなかった。
魔性を抱きながら生まれ、神の慈悲により生きている。
神の寵愛により、奇跡を宿している。
どちらの言葉が真実なのか、アリシアに判断のしようはない。もしかしたら奇跡のほうかもと考えて、声を発する勇気も持てない。
気が触れて教会を去った人がいるのは事実だ。もしも本当にアリシアの声が奇跡なら、わざわざ教会を離れる必要はない、はずだ。
「……アリシア?」
思考に耽るアリシアに、リオンが心配そうな目を向けてくる。
もしもアリシアに宿っているのが奇跡ではない恐ろしいものだとしたら――そして彼らがそれを知ったら、今と同じような目を向けてくれるだろうか。
修道女たちと同じような、冷たく、厳しい、別の何かを見る目を向けてくるようになるのではないか。
本当に、この世界はアリシアの知らないことばかりだ。知れば知るほど、知らないことが増えていく。
「もしも何か……悩みがあるのなら、解決するまで聞き続ける。助けがほしいのなら、できる限り助力すると約束しよう。だからいつでも、頼ってほしい」
石造りの床に膝をつき、目線を合わせながら言うリオンに、心の中がざわめく。
ぎゅうと締め付けられるような胸の痛みに――どうして教会があっさりアリシアを手放したのかが、ようやくわかった。
外の世界は綺麗で鮮明で、素晴らしいものにあふれている。焦がれずにはいられないほどに。
『いいですか。アリシア様』
めくられていく絵本の頁。王子様が出てきて、お姫様が出てきて、魔女が出てきて――そして人魚が出てきた。
『人魚の声は人を惑わせると言われています。アリシア様と同じく、彼女もまた魔性を宿しているのです』
そうしてめくられていった頁。最後に出てきたのは――
『魔性を宿した者は恋をすると死ぬ――そう、運命づけられているのです』
泡になって消えていく、王子様に恋した人魚だった。




