踊りませんの?
楽しい会話の最中にも音楽が鳴り響き、煌く貴人達はダンスを楽しんでいた。小さな貴婦人リーゼも気の進まないハーロルトを引っ張る様にそのダンスの輪の中へ消えて行った。
残されたベッケラートとティアナの二人はうんざりする程の申し出を振り切るのに苦労していた。普通ご婦人方から殿方を誘うなどありえないが、自分達の同伴者を無視してベッケラートをあの手この手と誘っていた。ティアナにも今まで無言の威嚇を発していた皇子が側に居ない以上、絶好の機会とばかりに男達が群がっていた。
「皇子、皇子! 聞いて下さっていますの? 踊りませんの?」
レギナルトはヒルデの非難めいた言葉に、はっと我に返った。今まで、ティアナを瞳で追っていたからだ。
「私は踊らない。そなたは好きにするがいい」
ヒルデは皇子の素っ気無さに腹が立ったがこのまま壁の花の様に過ごすのも、うんざり、だった。皇子とは会話をする事も無く、退屈で堪らなかったのだ。ヒルデにとって生まれて初めての夢にまで見た華やかな夜会を大いに楽しみたかった。だが、肝心の皇子には期待外れだったのだ。
ヒルデはこのまま皇子と共に大人しく従順に座っているか? それとも大いに楽しむべきなのか? 迷った。しかし、誘惑には敵わなかった。彼女は誘われるままにダンスを楽しみ出したのだった。
レギナルトはそんな彼女に全く関心を示すことは無かったが、ティアナは別だった。自然と彼女の一挙一動が気になって仕方が無かった。近づく男達が羨ましくもあり、許せない気分だった。
(許せない? 何故?)
不可解な感情に苛立ちを覚え、夕暮れの墓地でイヴァンに吐き捨てた言葉を思い出した。
『―――あれは私のだ!』
(そうだあれは 〝冥の花嫁〟 約束された私だけの花嫁なのだ!)
夜会も後半にさしかかり、音楽の演奏も大きくなり始めると、それぞれが同伴者の下へ戻り始めていた。
ティアナはそれを見計らって新鮮な空気を吸いにテラスへ出た。晴れ渡った夜空が彼女を迎えてくれたが、露出の多いドレスには酷な夜の冷気が肌を撫でていた。
真っ暗な夜空には、煌く星々が降り注いでいる。
「何をしている?」
急に後ろから声を掛けられたが、ティアナは振り向けなかった。その声はレギナルトだったからだ。非難するような冷たい問いかけに答える事が出来なかった。
返答も無く。振り向く事もさえもしないティアナにレギナルトは憤りを覚えた。だいたい全ての道を閉ざしていたつもりだったのに、まさか宮廷嫌いのベッケラートが絡んでこようとは考えてもいなかったのだ。
「まさかベッケラートと来ようとは思わなかった。あの偏屈で頑固な奴がまさか煙たい夜会に顔を出すなど思いにもよらなかった。どういう手を使った?」
ティアナはビクリと肩を震わせて、振り返った。
「…今度は先生との仲を疑うのですか?」
悲しそうな色を湛えた彼女の瞳が、追い討ちをかけていた。
「いや…そのような事を言いたかったのでは無い…どうして私を頼らなかったのだ」
レギナルトは思わず心に浮かんだ言葉を口に出してしまった。
ティアナは少し視線を外したが、再び真っ直ぐにレギナルトを見ると聞き取れ無いような声で返答した。
「何も…皇子には何も望みません。いつも何かを欲しいと思った事もありませんし、それに本当に望むものは…叶いません」
(何も望まない?何も望まないだと!)
レギナルトはその答えが気に入らなかった。この世は欲にまみれていて多かれ少なかれ望みの無い人間などいる訳など無いからだ。それにこの自分に叶えられないものなど無いのに、この娘は出来ないと言う…
(本当の望みとは?)
彼女の真意を問いただそうとレギナルトは口を開きかけたが、その言葉を飲み込んでしまった。ティアナが自分に向かって微笑みかけたからだ。
「皇子、踊りませんの?」
先程も同じ問いかけをもう一人の 〝冥の花嫁〟 が言っていた。
レギナルトは同じように答えた。私は踊らないと。
ティアナは少し残念そうに首を傾げた。
「そなたは踊りが好きなのか?」
レギナルトは思わず会話を続けてしまった。
「はい、楽しいですから。でも皇子はお上手なのに嫌いなのですね」
「上手? 見たことあるのか?」
ティアナは悲しいような、困ったような表情で微笑んだ。
レギナルトは、はっとした。また記憶に関するものだろうと直感した。
(以前、この娘と踊ったのだろうか?)
―――想像してみた。
きっとこの娘は軽やかに踊るに違い無いと―――だが思い出せなかった。
室内では新しい曲が流れ始めたようだった。
レギナルトは唐突にティアナの手を取り、その手の甲に口づけをしながら言った。
「踊って頂けますか?ティアナ」
ティアナは瞳を輝かせて頷くと、皇子の腕の中へそっと寄り添った。
レギナルトは自分の行動に自分自身驚いていたが、身体は勝手に踊り出していた。思った通りティアナは背中に羽でも生えているかのように、軽やかで息もピッタリに踊っている。それに腕にかかる心地よいまでの柔らかな重みが何時までもこうしていたい気分にさせた。月明かりと室内の照明が彼女の白い肌と髪をほのかに輝かせていた。まるで彼女自身が真珠のようだった。そう、まるで海の至宝では無く夜空の宝石のようだ。
レギナルトは胸の奥が痛むような気がした。踊ってみれば思い出すかもと思ってみたが無駄なようだった。そんな想いに気を取られた隙に足元の凍った場に足を滑らせて二人は転んでしまった。庇うようにレギナルトがティアナの下敷きになった。
一瞬声も無く二人は見つめ合ったが、先に笑いだしたのはレギナルトだった。笑いながらティアナを抱きかかえるように半身起き上がった。
「はっははは…すまない。大丈夫か?」
「はい。皇子が庇って下さいましたから。皇子こそ大丈夫ですか?」
昔に戻ったかのような皇子の笑い方にティアナは胸が高鳴った。
楽しげに笑う皇子の紫の瞳が自分を優しく見つめている…
レギナルトも間近で見るティアナに少なからず感動していた。大きな瑠璃色の瞳に花のような唇と可憐な顔を縁取る金の髪。その髪にはほのかな光りを湛える真珠が控え目に飾られていた。
「………」
皇子は懐から例の真珠の簪を取り出して、ティアナの髪にさした。まるでその簪がそこに来る予定だったかのように今までの飾りがその簪を更に引き立てた。そして彼女を立ち上がらせた。レギナルトは衝動的にしてしまった自分に再び驚いたが、その姿を満足そうに眺め、瞳を細めた。
「これは? 皇子?」
ティアナはひと目で高価だと分かる髪飾りを抜こうと手をかけた。しかしその手は皇子に阻まれてしまった。
「転ばせてしまった侘びだ。良く似合っている…」
「そんな! こんな高価なもの頂けません!お返しします」
女なら天にも昇るように喜ぶ品を 〝返す〟 と言うのが信じられなかった。
レギナルトは再び腹が立ってきた。
「駄目だ! 受け取るんだ!」
怒鳴るつもりは無かったのに声を荒げてしまった。どうも調子が狂う。これ以上の争いはしたく無かったが胸に何か刺さっている感じがしてならなかった。
このもどかしい思いを吐き出したくて更に言い募ろうとした時、ベッケラートが現れた。
「お譲ちゃん、なかなか戻らないからどうしたのかって迎えにきたよ。おやっ、皇子がご一緒でしたか…へぇ~」
「――ベッケラート」
レギナルトは忌々しくベッケラートを睨んだが、彼は気にする様子も無くティアナに近づいた。
「お譲ちゃん、具合はどうだ? そろそろ帰ろう。本調子じゃないんだからもう帰って休んだ方がいい」
「具合が悪いのか?」
「まあな。あんな招待状が届いたなら行かない訳にはいかんからなぁ~じゃ、もういいだろう? 帰らせてもらうよ」
嫌味たっぷりにベッケラートはそう言った。それからティアナを促しながら去って行こうとしたが、立ち止まって肩越しに振り返った。
「そうそう、皇子。お支払いお待ちしてまぁ~す。じゃあ、またな」
そう言うと彼は片目を瞑って片手をひらひらと振りながら去って行った。
(宮殿ひとつ分か…)
レギナルトは自分の愚かさに笑ってしまったが、心は清々しい気分だった。珍しく楽しげに微笑みを浮かべながら彼らを見送ったのだった。
〝どうして来てくれないの?約束は?〟
〝どうして?どうして?〟
〝――寂しいよ―――寂しいよ――〟
小さな声が誰もいない森から聞こえてくる。
何度も何度も誰かを呼んでいる声―――だが誰も応える者はいなかった。
呼びかける声の主は出てはならないと言われた森を抜け出した。
―――何処にいるの? 何処?
長い大きな耳をすまし、空色の瞳は瞬きもせず辺りを探す。毎日振り続ける雪に探す人の香りは消え途方に暮れる。しかし良く聞こえる大きな耳は確かな情報をとらえた。
行き先は帝都だと―――
真っ白な毛皮に包まれた体から雪のように白い両翼が広がり天空へと舞い上がった。
デュルラー帝国の首都へと向かうその強靭な翼の羽ばたきは風よりも早かった。何日も休まず、ただひたすら飛び続け帝都へと到着した。しかしその広大な都に再び途方に暮れてしまった。とにかく疲れた。気力も使い果たし、もう羽ばたく事も出来なかった。
瞼も重くて開ける事が出来ない―――冷たい雪の中にうずくまってしまった。
その時、暖かく心地よい温もりが触れたかと思うと、体がふわりと浮いた。気持ちが良くて再び重い瞼を少し開けてみた。
夢だろうか? 寂しくていつも見ていたあの人?
鮮明な瑠璃色の瞳が心配そうに覗いている。
「大丈夫?どこか怪我でもしているのかしら?」
「ティアナ様! それをお放し下さい! 見かけと違ってそれは獰猛なのです!」
「大丈夫よ、ハーロルト。こんなに弱っているし…それに人語を理解するぐらい賢いって云うでしょう? 私達が自分に危害を与えるものかどうか分かるわよ。でも、どうしてこんな所にいるのかしらね。初めて見るわ」
「非常に珍しい生き物です。その美しい毛皮と羽を取るために乱獲されて、今では希少価値ですから滅多に見る事は出来ません。知能が高過ぎて人の言う事を聞かないうえ獰猛なものですから人が飼っているとは思えません。考えられるとしたら毛皮商人から逃げ出した可能性が高いですね」
「毛皮商人! 殺されるの?」
ティアナは庇うようにその羽兎と呼ばれる白い動物を、ぎゅっと、抱きしめた。
「今は保護動物に指定されていますから、違法になります。もしその毛皮商人が現れても渡す必要はございませんし、逆に逮捕致します」
「良かった! じゃあ、家に連れて帰って手当てしましょう」
「ティアナ様! それはなりません! 危険です!」
「大丈夫よ、大丈夫。ほら、こんなに大人しいわ。ふふふっ、可愛い」
ティアナは真っ白のふわふわの体を優しく撫でた。耳がぴくぴく動いてお礼を言っているようだった。
探し人は見つからないが、心地良い居場所を見つけた白きものは再び瞼を閉じた。
一方皇子宮ではヒルデが夜会の翌日からまるで女主人のごとく振舞っていた。そしてイルマが女官長のような有様だったが、バルバラは皇子に訴える事も無く平然と好きにさせていた。ただし、居なくなったティアナの部屋をヒルデが自分の部屋にすると言った時だけは頑として譲らなかった。それこそその部屋の扉に鍵をかけてしまったのだ。
腹を立てたヒルデは直ぐレギナルトに泣きながら訴えた。
「皇子、あのバルバラと言う女官はわたくしを馬鹿にしております!皇子はわたくしの好きにして良いとおっしゃって頂きましたがあの者が逆らうのです!もう、我慢なりません!罰して下さいませ」
大げさに泣くヒルデの言い分を聞きながら、側に控えるバルバラをチラリと見た。彼女は姿勢良く胸を張り、何も動じて無い様子だった。威厳さえ感じる。レギナルトはこんなバルバラを良く知っていた。レギナルト自身が間違った事をした時に見せる顔だ。本当の肉親には縁の薄かった彼に、時には母のように父のように正しい道を諭し説いてくれた。誰もが皇子と言う身分に平伏する中で、命をかけて(無礼討ち覚悟で)自分を正しい道へ導いてくれていたのだ。そんな彼女だからこそ女性の中で唯一敬意を払っている。
なお捲くし立てているヒルデをレギナルトは黙るように手をあげて制し、バルバラを正面から見据えて言った。
「それでバルバラ、何か言う事はあるか?」
「いいえ、何も。ヒルデガルト様の命を聞くようにとの皇子の命に従っていないのは事実でございますから申し開き致しません」
「それではお前を罰する事になる」
バルバラは深く頭を下げながらハッキリと返答した。
「ご随意に」
レギナルトは大きく溜め息をついた。彼女の覚悟を久しぶりに見た。こうなったら絶対自分の意見を曲げる事は無いのは分かっているが、再度問いかけた。
「たかが部屋ごとき誰が使おうと構わないし、その様な事で争うなど愚かでは無いのか? そう思わないか?バルバラ」
「あの部屋は駄目でございます。歴代の正妃様が使用される部屋でございます。ですから今はティアナ様が使うべき部屋と決まっております」
バルバラは皇子を真っ直ぐに見つめてキッパリと言った。
それを聞いたヒルデは、私の方が 〝冥の花嫁〟 だと叫んだが、彼女は聞くそぶりさえしなかった。そして続けた。
「それに皇子はお忘れでしょうが、ティアナ様がお住まいになられるようになってからはお忙しい皇子が毎日、朝夕とティアナ様の様子を伺いに通われておりました。ご自分の部屋に帰る事さえも出来ない忙しい日でさえも。そしてあの事件の折、あの部屋がティアナ様の血で赤く染まり、幾日も生死を彷徨い続けるあの方を皇子はその部屋で見守り続けられました。お二人が深い愛情を育まれた場所でございます。その様な場所に他の女性をお入れになるなどティアナ様に対する裏切りでございます」
「裏切るも何も、そのような覚えが無いのだから非難されても心外だ!」
レギナルトは口が過ぎるぞ、と付け加えたが、バルバラは怯む様子など無かった。ただじっと皇子の瞳を見つめるだけだった。
思うようにいかないヒルデはバルバラを罵り始めたが、
「バルバラを侮辱するのは誰であろうと許さない! この件で私を煩わせるな! その鍵は私が預かる!」
皇子は厳しい口調で厳命すると、バルバラは頭を下げて鍵を差し出した。
レギナルトはその鍵を奪うように掴むと、争いの元であるその部屋へ足早に向かった。
その部屋の扉の取手は幾重にも鎖が巻かれ鍵がかけられていた。それらを全て外して扉を押した。豪華な彫刻を施した大きな扉は見た目よりも軽く開く。
レギナルトは瞳を細めて開かれた空間を見渡した。
だが思い出すものは何も無い―――
何年振りかに見る部屋だった。この様な感じだっただろうか? と思った。
その部屋は最近まで此処に住んでいたらしい主が居なくても、調度品の配置や全体の配色などで主の人柄が偲ばれた。温かで安らげるような感じだった。
レギナルトはその部屋を誰かに与えた記憶は無いが想像してみた。
あの娘が微笑んで自分を迎い入れる姿を―――その時、バルバラの言葉が頭を過ぎった。
この床を赤く染め上げた血の海にあの娘が横たわる姿が見えるようだった。
そして死の淵を彷徨い続けた蒼白な顔を―――
先日は具合が悪いと言っていた。思えば顔色が良く無かった気がした。イヴァンの話の時もそうだったが、再び胸が締め付けられるような感覚がする。いつの間にか手が震えていた。震える指を手の平に食い込ませて、大きく息を吐き出した。
その部屋の扉は元通りに鍵をかけると、その足は考えるよりも先にティアナの下へと向かっていた。彼女の居る大通りから少し離れたミュラー通りの花屋へと―――
宮殿ひとつ分の宝飾品って想像出来ませんけど…そもそも宮殿の値段分からないのでそこは適当にお願いします。やっぱり王道はスペシャルな贈り物は欠かせませんよね。




