待ち人
荷台に馬の死体と共に載せられる、というのは酷い経験だとエルフは考える。
奇妙に四角い入れ物からは液体の音がする。それも粘着質の樹液に似た音だ。となるとあれは血なのだろう。がたがたと血の入れ物と馬の死体と一緒にかき回される。きっとひどい出来のスープになるだろう。
「そういえば、なんと呼べばいい? 俺はカイと名乗っている」
「ケレブイエルだ」
「へぇ、やっぱりそういう名前になるのか」
己のような種族が娯楽として、それも愛の花形として使われているなど思いもしないケレブイエルはきょとんとする。種族の命名法則がそんなにおかしいのか? いやいや、おかしいのはこの人間……ではなかった〈英雄〉の方だろうと思い直す。
名乗っているということはつまり偽名、もしくは名付けてくれる者もいない生まれか。だがそう言わなければ別種族には気付かれないだろうに、わざわざ言う。嘘がつけない性質の者が、自虐的にそう名乗っているような雰囲気を感じる。
荷車が走るのは鉄が流れるように伸びる道。かつてあった移動機関の残骸……今はもうない列車という車が走っていた道だ。時折埋もれていない枕木があり、その度に跳ねるように振動が伝わる。ガタついているわけではなく、荷車というより引き手が跳ねて避けるためだ。
「昔のお前たちが作った道は便利だ。我らもよく使う」
「ああ、線路な。俺も目印にしてる。これが近くにあれば、大体どこかしらに着くからな」
ケレブイエルは今、落ち着いている。
なぜなら焦って何かをする必要が無いからだ。勿論、母の容態は気になる。一刻も早く駆けつけたい。
だが現在乗っているこの荷車ほど速度が出せるものは、地上には他に無いだろう。そう確信できるほどの速度で、周囲の景色が流れていく。乗り心地に目を瞑れば、これ以上は望むべくもない。
馬など生ぬるい、今は死骸となっているユニコーンですらこの速度は出せないはずだ。それも荷車を持ち上げてとなれば、スレイプニルかグラニの領域だろう。
「このあたりの地を、お前たちはなんと呼ぶのだ?」
「さぁ……地図を見てみないとどうもな。中央本部が今はブリュッセルのあたりに停泊してるから、元ベルギーの……」
「分からんならいいさ。運ばれて暇だから聞いてみただけだ」
他愛のない話題だが、それは探りだった。男の声を聞くために適当に聞いた質問だが、その声は息を全く荒げていない。速度も落ちない。いくら〈英雄〉でも、これは異常だ。ずば抜けた身体能力を持っていても、多少の乱れはあるものだろうに、それが全く無い。
ケレブイエルは母から教わったことを思い出す。〈英雄〉の中には人間でありながら、超常の現象を起こす者が多い。ならばこの無限の体力がこの男の能力なのか? どうにもしっくりこないが、それぐらいしか思い付かない。
疾走する人間に、荷台に死体と一緒に載せられて、この姿のまま故郷へと向かう。良いことは何一つ無いはずだが、ケレブイエルの心はどこか弾んでいた。変化の予感、萌芽の匂い、混乱の予兆。それに期待するとは、やはり自分は忌み子なのだろうか。
その答えは地平線に見えてきた、巨大樹にて分かるだろう。それはカイにも分かるほどの異様……あるいは威容を誇っている。
「ケレの故郷は、あそこか」
「そうだ。あと略するのはやめろ」
「ケレブイエルは発音が難しい。ケレの意味は銀だろう? そう悪くない」
親しげにするな、と言いたかったのだが、それに我らのことは知らないくせに我らの言葉は知っているのか。奇妙な男だ。己同様、きっとあそこでは歓迎されないだろう。
確信と共に、凄まじい速度で近付いてくる木を見守った。
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大きな木だ。カイは漠然とした感想を抱いた。高層ビルと樹が絡まるように捻じれ、つながり合っている。ガジュマルの木のようにビルは絞め殺されているようだった。ビルに生命は元々無いが、エルフの木は人の建造物に打ち勝ったようだ。
直線的な作りの部位もあり、よく見れば懐かしの自動ドアである。当然だが既に機械としても扉としても機能していない。森の妖精たちの住処としては少しばかり奇妙に思えた。彼らもそう思っているのか、周囲には葉に埋もれてガラス片が落ちたままだ。
中をろくに調べたりはしていないようだ。位置的に考えれば、ここにそれほどの建造物があったとは記憶に無いが、金融を意味する言葉が書かれているのでカイの食指も動かなかった。
「……次元接合したのか。またデカイ建物とデカイ木がよく同じ座標にあったものだ。というか、コレに気付かなかったとは調査員は何をしていたんだ……あ、ここ以前の地点で死んでる……」
「ジゲンセツゴウ……お前たちはそう呼んでいるのか。我らにとってはただ、災厄とだけ呼んでいるが」
「〈神話奔流〉と言うのが一般的だな。建造物などの出現は正確には〈神話奔流〉の第3期だ。詳しく分類すればまた違うがな……」
〈神話奔流〉で出現したのは何も神秘的生物ばかりではない。いや、これの場合は木なのでこれもその範疇に入るが。
ともあれ、ファンタジックな世界の建造物などもそのままこちら側に現れている。世界中が廃墟になったのは、これが原因の幾らかを占めてもいた。いきなり次元を超えて来られたのでは、軍事基地でもなければ人類側の建造物は一方的に破壊される。
「それにしてもお前はいい度胸をしているな。人間にしておくのが勿体ない」
「〈英雄〉化した時から、自分が人間かどうかは怪しいと思っているよ。なにせ、同じ人間が人間扱いしてくれないからな」
ケレブイエルがいい度胸と評した理由。それは木の節々から覗くエルフの弓手達のことだろう。誰も彼もが敵意に満ち満ちていて、カイに狙いを定めている。
人間が彼らに何かしたのだろうか。したんだろうな。あの時代の混乱の中で人間に理性を求めるのは難しいだろう。地震や台風の後でも火事場泥棒は出るのだ。世界がおとぎ話と合体した時代では、尚更だ。
「大体、お前が使っていたような特殊銃と魔法弾なら少しは考えるが、あの弓矢じゃ俺は死ねないぞ。……そういえば銃を持っているエルフがいないな。ガンナーはお前だけなのか?」
「お前と同じだ。私は我ららしくないのだ。多くの者が鉄と火はあまり好かない……人間達が思うほどに嫌いというわけでもないがな」
言葉の調子が随分と柔らかくなっていることにカイは気付いた。
一族のはみ出しものと、〈英雄〉が人間から恐れられているということに共感を覚えたらしい。
「ここで待っているから、ユニコーンを持っていけ。俺の用件は後でいい。日が変わっても構わんからな」
「そうか。では銃を持っていてくれ……中に入れてはいけないのでな。礼をするまでは帰るなよ」
木の中へと入っていくケレブイエル。エルフたちは彼女を止めようとはしなかったが、言葉をかけようともしなかった。自分で言うようにエルフらしくないエルフという評判が種族の中でも共有されているらしい。腫れ物扱いに近い距離感を見るに、それだけではないようだったが。
一人になったことでより排除しやすいと考えたエルフの弓手達はより一層の敵意を示す。
カイはエルフ達に矢を突きつけられたまま、腕を組んで気長に待ち始めた。ことが済むまでああやってツルを引いている気なのだろうか。だとすれば、ご苦労なことだ。
しばらくすると、飽きてきたカイはケレから預かった銃を眺めたりして時を過ごした。馬鹿らしくなったエルフ達も、ようやく弓を下ろした。