奇妙な狙撃手
廃ビルの屋上にその狙撃手はいた。中世風のローブとフードで顔まで隠して、銃を構える姿はどこか滑稽だった。
もっとも、その銃は旧時代ではあり得ない奇妙なデザインなので似合う格好が存在するかは疑問だ。
この狙撃手の内心は、動揺の極みにあった。
……あり得ることではない。
スコープ越しに見る獲物はいつだって少しばかりの血を撒き散らして倒れるばかりだった。
狙撃手は通常、仲間がいた場合に備えて手や足を狙う。そうすればそれを救おうと、敵の動きは乱れる。
そうでない場合は胴体でも狙ったほうが的が大きい分、頭部狙いよりは命中率が良くなる。
しかしこの人物に限って言えば、好きでしていることでは無いために、できる限り苦しまない位置を狙う。そのために狙う的は小さくなり、難易度は上がるが……外したことなど無い。
狙撃手はそういう種族に生まれ、その中でも射撃において最たる腕前を誇っていた。
加えて距離だ。恥をしのんで手に入れた狙撃銃は、人間たちの本職ですら使う者もわずかという際物だ。射程距離は旧時代の最高クラス、4kmの更に倍を記録する。世界が交わったことにより発達した技術をふんだんに盛り込んだゲテモノ。
更に魔法が込められた弾丸を使えば追尾すら可能だが、ついいつもの感覚で節約してしまったのだ。弾頭にその種の細工を施した弾丸はオーダーメイドで、ひどく値が張る。さらに事前に準備するというのは素晴らしいことだが、半端な用意では変わった局面に対応できず、使わず終わってしまう可能性だってある。
「ケチって通常弾を使ったのが間違いだった……!」
見るも悍ましい、蜂の腹部を無理やり巨大化させて、さらに細くしたような銃。この嫌いな相棒を再び目標に向ける。
今回の標的だけは絶対に逃せない事情がある。奇妙な銃はボルトアクション式で、今度は魔法弾を確かに込めた。選んだ弾は手持ちの中で最高の弾丸で、〈追尾〉し〈拘束〉する。たとえ相手が弾丸で死なない手合であろうとも、これで動きを封じれる。後は煮るも焼くもこちらの自由となる。
自分の美的センスからすると異様なスコープを覗いて目を疑い、スコープから目を離して肉眼でも確認する。信じられないことに、目標がいなくなっていた。あり得ないことにあり得ないことが続いている。その事態に狙撃手は頭がどうにかなりそうだった。
目標の周囲に隠れる場所は確かにいくらでもある。しかし、この銃のスコープならば魔術的隠匿が成されていない旧時代のビルや家屋など透けて見ることができる。見つけられないなどというのは……現実を否定する前に本能に刺激された鋭敏な感覚で、狙撃手はとっさに銃を後ろに向けた。
「実はもう着いたりしててな」
「?!」
どこからか現れた精悍な風貌の男。人間種。どうやって近付いたか分からないが、敵対していた相手に声をかけてくるなど阿呆にもほどがある。こちらを仕留める機会などいくらでもあったはずなのに、わざわざ少し距離を空けて話しかけてきた。
あまりにも自然だったので、こちらも自然に……引き金を引いた。放たれた弾丸は〈追尾〉する必要すら無く、そのまま男の胸元に叩き込まれた。
集中の結果、鈍化している視界の中で私は思考する。ぐらついて倒れようとする男を眺めながら、「魔法弾が勿体なかった」「こいつはなぜあんな愚かな行動を取ったのか」「元々こうしなければ無かった、この行為も仕方ない」……一瞬で数多の言葉が駆け抜けていく。
そこで私の中の疑心が言った言葉を、私自身が聞き逃さなかったのは運だろうか? 曰く「この男にとって、私の攻撃は無意味だから出てきたのでは?」……そうした直感は大抵当たる。
「痛いな、全く。痛覚を切ることもできればいいのに……」
人間種が言葉を紡ぐ前に咄嗟に距離を取って正解だった。相手は軽装どころか、防具らしい防具など付けていない。だというのに、弾丸を受けて仰け反った体勢からごく当たり前に上体を起こした。その胸元から弾丸が落ちて、音を立てる。その弾丸はひしゃげているというのに、男の胸に赤い花は咲いていない。
純粋に皮膚と筋肉の硬さで銃弾を弾いた……そんなことができる存在は魔物、もしくは。
「〈英雄〉……!」
「何を今更。外で単独行動してる奴が普通なわけも無い」
短い言葉の応酬。その僅かな時間に、発煙手榴弾のピンを抜いて、煙の発生と同時に放り投げる。そして、一気に逃走にかかる。またも人間の道具を使ったことを恥じながら、摩擦が無いような滑らかな走法で加速する。
相手が言ったように、このような場所を単独でうろつくのは頭に何も詰まっていないならず者か、〈英雄〉ぐらいのものだ。ただ、相手が訝しんだように楽観視していたわけではなかった。なにせこの男はユニコーンの死骸を持っているのだ。バケモノを狩れるのはバケモノ。こちらも〈英雄〉を相手取るつもりでの狙撃をしていた。
だが、これは予想していない。私の種族は足が速い。人間種の最高峰を軽く上回るだろうが……その程度では逃げることも許されなかった。煙幕が破れるように突き出してくる影。何かを放ったのではなく、本人だと気配が告げている。
付け加えるならば、この男の速さは何かがおかしい。元より神秘なるものに対する理解度は人間種の比ではない。この瞬間に役立つものではないが、呪いの一つや二つは射手である私にすら行使可能。その精神的感覚が疑いを持つ。この男はまるで神秘そのものだと。
「速いな。身体強化度が低い〈英雄〉と、ほぼ同程度。準英雄とでもいうべきか」
「がっ!」
思考している間に、足首を掴まれ床に叩きつけられる。叩きつけられたと言っても、自然に転んだ程度の衝撃。どうやら自分は手加減されたらしい。その事実に羞恥で顔が赤くなるのを感じた。
あっさりと追いついた挙げ句に、こちらを称賛する余裕と眼力。目覚めた力にあぐらをかくような思考を持っていない強者だ。
これは全く予想していなかった。〈英雄〉と言っても幅は広い。よもやその中でたまたま最上級を引き当てるとは、余程に運が無いらしい。まさか、この距離をわずかの間で詰めて、至近距離の弾丸を肉で弾く、怪物中の怪物と出くわすとは。
ならばこれが定め、と諦念と共に目を閉じる。
「殺せ。貴様の獲物を横取りしようとした恥知らずを。我が生命をもって謝罪とする」
私は狩人。獲物には反撃する権利がある。それこその狩りなのだ……だがいつまで待ってもトドメは来なかった。
目を開くと、男は私のフードをめくって顔を眺めているところだった。
「驚いた。アウトサイダーにエルフがいるなんてことがあるもんだな」
「……あんな連中と一緒にして欲しくはない」
一番気にしていることを言われて、返事をしてしまう。
私の今回の行動はあの野蛮人共と同じ所業だ。他人の獲物を横取りしようとしたのだから。本来なら自害してしかるべきかもしれないが、行動には相応の理由があった。万が一で助かるなら……そのような恥ずべき思いで、再び顔が赤くなる。そんな私を人間の男は興味深そうに観察している。
「ふん? 何か事情がありそうだな、話してみる気はあるか?」
「……馬鹿にしているのか?」
「馬鹿にはしていない。ただ、フォレストエルフのあんたが人間製の武器まで使ってすることに興味があるだけだ」
そう言って、男は足首を離した。
……まぁ逃げても、無駄か。私はピンと張った耳を上下に動かして、了承の意を示した。