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黄泉神鳥

 鼻孔をくすぐる臭いがする。死者の臭い。

 しかし求めるものとは決定的に違いがある。そのズレにフレスベルグ(・・・・・・)は目を覚ます。


 鷲の巨人は大きくあくびをしながら、器用に立ち上がった。状況を把握することしばし。価値観の違いを翻訳し終わると、今度はため息が出てくる。我輩(カイチ)はなにをしているのかと。


 巨人の魂は浮上することにした。


/


 さて、どうすべきか? カイは予想外に増えた重みに頭を抱えたくなっていた。

 

 本来は偵察だけに留めるべき場面。ここで地下をめぐる争いに手を貸してしまっては、一線を超える。ギリシアの神に付くべきか、北欧の神々に付くべきか。その答えを出すことになりかねない。

 最悪でも両方を敵に回すことだけは避けたい。カイの故郷でもそうだが、多神教というのは実に厄介だ。単純に勢力として割り切れない。


 加えて目の前に存在する死者をどうすればいいのか? という難題が増えた。

 ヘルに渡しても、ハデスの身許でも、彼らのように普通に生きて死んだ魂の扱いはさほど変わらない。まぁ悪人であれば、それ相応の階層まで落とされるだろうが、それはこの際どうでもいいことだ。


 見たからには無視はできない。カイは良くも悪くもそういう男だ。

 だが、〈英雄〉としてあり続けた彼は迷うこと無く、その短い経歴を生きてきた。その過程は経験として役に立たない。なぜならば、生者の世界では相手が力が無いものには救いの手を差し伸べるだけで良かったのだ。

 それがどんな強敵相手かどうかは完全に別問題だ。できる限りやる。それこそ自分の生命を差し出すことになっても、シンプルで選択の苦悩など味合わなくて良いのだ。己を〈英雄〉として定義づけて戦場に適応した男の、隠された欠点だ。



「どちらにすれば良いのだ……」



 漏れる弱音。死者を救うことはできない。求められたことに対して、最善を尽くせない。彼らを全員引き連れて地上に戻ったとして、それがなんになる? 既に死んでいるのだから再び戻されるか、最悪動く霊魂でしか無くなる。

 ヘルとハデスという二者択一まで絞り込んで見ても、どちらが良いという保証は無い。むしろ、どちらでも変わりは無いだろう。地下の戦いは全くもって不毛なのだ。



(そのようなことで悩むというのか。この我輩が……!)

「なに?」

「へあ? どうかしましたかい大将」



 カイに届く声。それは耳を介していない。

 心から……いや、それとも違う場所から発せられている。その声にカイは覚えがある。つい最近のことであり、その強烈な存在感は未だに消え失せていない。



(フレスベルグ? なぜだ、お前は……)

(言ったはずだ。我が魂と名を受け取れと。人間とは違い、異形の成約は絶対のこと。破ればまさに天が落ち、地が逆しまになる。まさかに我輩を打ち破った人間さえ、その程度にしか捉えていないとは嘆かわしい。今や我輩はお前だ。疑心まで持っているようだが、お前が主人格であることも契約による絶対よ)



 内面と語らうと言えば聞こえは良いが、実に奇妙な体験をカイは味わっていた。自分の頭がおかしくなったと考えた方が自然だろう。しかし、不思議なことに確信がある。これが今の自分なのだと。



(そうだ。認識せよ。今や貴様は神と巨人と人の混合物。我輩の力が使えないと考えていたのも、自覚が不足していたゆえだ。そうしたならば、この状況を打開する方法も自然に見えてくるだろう。だが、諫言もしよう。選択肢などというものはこの世に無い。行動を規定し、どれかを選ぶということは無責任でしか無い。そして、そのくびきを脱すれば貴様と我輩にできぬことは無い)



 次第に声はカイ自身の物となっていく。わずかに自覚しただけでこれである。フレスベルグは真実カイの軍門に下り、その魂を融合させているのだ。打つ手がなかった難問は、難易度は変わらずとも解けない問題に感じられなくなっていた。

 しかし、この領域にまで到達した人間が果たしてヒトと呼べるのかどうか……わからない。当事者だけを置き去りに、黄泉神鳥はその翼を広げて行く。考えろ。今やこの身は超越者のモノ。常識にとらわれる必要はない。持ち得る材料で組み立て、解決策を作り上げろ(・・・・・)



「ヘイデン先輩……一つ提案があります。それを多くのさまよう亡者達に伝えて欲しい」

「はぁ……そりゃ良いですがね」



 耳打ちされる言葉。それはカイが受動的に選び取ったものではなく、稚拙ながら懸命に作り上げたものだった。


/


 ヘルもハデスも、カイの存在は認識していた。いくら程度が低かろうと神域に至った存在がいれば、目立つ。同時に二神は期待もしていた。この決着のつかない争いごとに、心底辟易していたのだ。面白い波紋を広げてくれれば、それだけで事態は動くだろう。


 そして、そのとおりに事態は動いた。

 互いに争いを続ける亡者の軍勢は双方吹き飛び、蹴散らされていく。衝撃と轟音と共に、レース用の車のごとく新たな異形はその神速を見せつける。言わずもがな、それはカイだった。


 そしてカイだけでは無く、彼が作った賭けに乗った亡者たちも同行している。



(ははっ! こりゃたまげた!)

(これが今の精一杯の横紙破り。選んだのなら最後まで付き合って貰いますよ先輩)



 展開される〈神紅の腕(デルグ・ラム)〉。そこに以前とは違う色が混ざっていた。今のカイは 神人試作型(ジークフリート・β)ではなく、黄泉神鳥(フレスベルグ)だ。火を操り飛ぶだけではない。


 あの場に集った亡者達。その諦観に満ちた彼らを取り込み、黒と赤を混ぜ合わせながら地を這うように高速移動を見せつける。


 カイがやろうとしていることは単純だ。黄泉神鳥(フレスベルグ)は死体を食らうが、魂については何もしない。だが、戦ったときには怨念をまとっていた。

 同じ理屈であの場にいた亡者達を取り込み、判断の時を引き伸ばし、脱出する。


 戦が終わるか、カイ自身が死した時に彼らの魂は解放される。低確率だが、世界宗教の下に行くことも可能であろう。そしてカイと共に戦うことで、勇者としての資格を得られるかもしれない。

 かもしれない。それこそは希望だ。その可能性に賭ける者たちは目に光を取り戻した。



(共に行こう)



 短く内側に告げ、カイは落ちてきた場所へとまたたく間に戻り、上昇を開始する。神、巨人、英雄、あらゆる要素が充溢したカイにとって冥界からの脱出は容易だ。

 問題はその後にこそ訪れる。


 世界樹の根を辿り、元の山地へと帰ってくる。ワルキューレの興味深そうな顔が視界に入り、文句の一つも付けたくなるが、カイは上昇を止めない。一刻も早く雲を突き抜け、今度は横へと移動しなければならない。



(来るぞ、我輩)

(高度も度外視かよ! どうにかできないか、俺!?)



 内心での口論も断絶した。音より速い攻撃に対して、もはや勘で避けるしかない。

 攻撃の正体は雷。理屈や正誤はどうであれ、カイは冥界の掟を破って死者を連れ出した。ならば相応の罰がもたらされる。


 自分以外の秩序を守る天空神。すなわち最高位雷神、ゼウスの雷が摂理を無視した代償を要求しているのだ。

 飽きること無く降り注ぐ雷。威力も速度も、桁が違う攻撃をぎりぎりで躱し続けるカイ。〈神紅の腕(デルグ・ラム)〉であれ、黄泉神鳥(フレスベルグ)の怨念であれ、神雷を受け止めるには足りない。


 ゆえに相手が興味を示すまで回避を続けなければ、カイに生還の目は無い。雷雲もなく発生する雷など冗談ではない。過度の集中で時間が恐ろしく遅く感じるが、実際には数分程度しか経っていない。しかし、それすら快挙と言えよう。


 それでも奇跡は100回とは続かない。無情な雷霆(ケラウノス)の一撃が、カイを完全に捉えた。

 後は耐久勝負かと、篭手でできる限りの面積を覆って耐える。


 視界が光で覆い尽くされる。

 もはやこれまで――そう思っても、裁きは訪れない。代わりに見えたのは性悪なはずのワルキューレの翼。なぜかカイを守るように、盾と己の身で雷を防ぎ。焦げ臭さと同時に落下した。


 舌打ちしたカイはそれを掴もうと下降へと切り替えた。理由は自分でも分からなかった。


 雷の領域である雲に入っても、次の裁きは一向に襲ってこない。己を陥れ、次に救ったワルキューレを抱えてカイは地上へと降りていった。

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