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根の国

 一体どこまで落ちていくというのか、軽いスカイダイビングの気分を味わう。問題はパラシュートではなく、翼を上手く使って勢いを殺さなければならないというところだ。

 〈最善〉だけでも死ぬようなことは無いだろうが、何がいるか分からない地でのんびり再生できるというのは希望的観測に過ぎるだろう。


 木の幹あるいは根を沿うように落下する、ということは行き先はヘルヘイムかニブルヘイムだろう。



「それにしても、この穴……一体どうやってできたのか」



 ユグドラシルが世界に現れた影響とは言え、融合せずに自然とそこにあったかのよう。いや、恐らくはそうなのだろう。人知を超えた神秘によって世界樹は常にここにあり続けた。

 ヘルヘイムとニブルヘイムは同一の存在とされることがある。ともに冥府を象徴する世界であり、人間たちの世界であるミズガルズとは違う世界だ。いずれにせよ、一筋縄ではいくまい。

 仲間たちに心配をかけなければ良いのだが……思いながらカイは鉤爪を展開し、壁面に突き刺す。強烈なブレーキがかかり、速度が減退する。気分はオルフェウス。もっともお相手はいないのが玉にキズである。


 着地と同時に周囲を見渡す。

 黒紫の宝石が水晶樹のように生え、氷柱と共に森林めいた光景を現していた。アスファルトを突き破る花のごとく、それらは凍った地面をものともせずに咲き乱れている。


 独り言こそしなかったものの、カイはその光景と知識が矛盾した違和感に囚われた。


 神話ではヘルヘイムとニブルヘイムは霧と氷の世界だ。黄金の橋を渡って死者がニブルヘイムよりヘルヘイムへと赴くという。だが、この宝石は何なのか……これではどちらかと言えば……

 そこまで考えた後、袖を引かれた。思わず反撃しようとしたが、カイは思い留まる。その者は顔が半分吹き飛んでいたものの、旧時代の軍服をまとっていたからだ。



「大将、死んじまったんですかい!?」

「貴官はたしか……」



 記憶を手探りで探す。前戦乱期において、兵士と〈英雄〉の連携が試された時期があった。最終的には〈英雄〉は〈英雄〉同士で前に出て、兵士達は援護に徹するというありきたりな結末だった。だが、その試行錯誤の中には〈英雄〉を普通に部隊へと組み込めばどうか、という試みもあった。

 民間出身者の〈英雄〉が軍属のソレよりも多くなってしまった時期のことで、〈英雄〉を軍の下で統制する狙いがあった実験。あらゆるものがカイにとっても馴染みの無いものばかりだった。そこで気軽に声をかけてくれた存在は……

 


「ヘイデン先輩! なぜ……ああいや、どうしてここに?」

「へへっ。なぜの方は死んだからさ。どうしてについては、俺にも分かんねぇ。とにかく……大将は死んでないんで?」

「はい。上を調査中でしたが困ったことに、生きたまま落ちました」

「へえ……じゃあ、とにかくこっちだ! 連中に見つかる前にやるべきことは?」



 ああ、教えられたことだ。

 カイは元々はただの一般人で、軍の気風に馴染めなかった。そして、〈英雄〉であったために誰もがカイを前に押し出してきた。そんな中で、気安い人は救いだった。多くの人と出会ったが、生き残り方と助け方を教えてくれたのはごくわずかだった。


 あの日のように声を出す。



「状況把握です!」

「へへっ。こっちですぜ、大将!」



 その呼び方が嬉しかったのもカイは覚えている。今でこそ当たり前になったが、前戦乱期に〈英雄〉を化け物と呼ぶ人々も多かった。そして、扱いに困っていた。敬えば良いのか? 道具のように使えば良いのか?

 幹部達が悩んでいたことに、ヘイデンはあっさりと答えを出した。友人として扱えば良い。


 〈英雄〉達がいなければ戦えない。しかし、〈英雄〉達も人々の作り出す物が無ければ生きていけない。ならば対等だ。それをあっさりと飛び越えたヘイデンにカイは敬意を払う。



「ところで、どこに行くんですか?」

「ああ、避難所さ。この頭を見て分かると思うが、全く死ぬもままならねぇ有様でしてねぇ」


 

 上か下か分からない懐かしい口調に引き寄せられながら、カイは言葉からある程度の事情を察する。そして、それらは決して間違っていなかった。多くを経験し、死闘の果てにようやく身についた第六感が働いていた。


 黒紫の結晶樹と氷雪の道。その境界線にある壁に、カイは導かれた。

 頭が半分無い旧友に連れられて、壁面にわずかに走った亀裂を見つける。人が通れる広さのそこを抜ければ……そこは正しく地獄だった。


 魔の食料庫と言われても信じただろう。そこには多くの人々が集っていた。彼らは多くの理由で生者には見えない。ヘイデンと同じ死者の群れだった。老いさらばえた老人、病の咳をする少女、半身の無い青年……例をあげればきりがない。



「ここは……まさか。いや、やはり……」

「そう。“神話の奔流(ストリーム)”の成れの果て。混ざりあった冥界のどちらにも行けなかった人々の末路でさぁ」



 語られるヘイデンの話に、地下への対策が頭から抜け落ちていたことをカイは恥じるしかなかった。


/


 地上が神話的オブジェクトと混ざりあったように、地下でもそれは進行していた。

 むしろ、こちらの方が問題と言えるかもしれない規模だった。


 人界に現れるのは良くも悪くも生物が主で、神々は最近になって影が出てきた程度のもの。

 そして建造物は融合し、奇怪な形で共存している。


 それが冥界では一種の陣取り合戦となっていたのだ。

 北欧神話では戦死者は館に導かれ、そうでないものはヘルヘイムへと送られる。一方のギリシャ神話では相応しき者はエリュシオンへ、罪人はエレボス。そして、どちらでもないものはハデスの身許で暮らす。



「そして、今は北欧神話の女王ヘルとギリシャ神話のハデスが、死者の所有権を巡って争っているんでさ。巻き込まれたらたまらないと思って、あっしらは隠れてる」

「なるほど。ヘルは病気などで死んだ者を招待する。ハデスはギリシャ神話の神としては優しいが、裁きは公平だ。どっちに行くかも悩みどころですね」

「どっちにも行きたかねぇってのが本音ですけどね。蘇らせてくれるのが一番良いんですが……」

「残念ながら、ヘルもハデスも蘇生に厳しい条件を付けます。あくまで神話に基づけば、という注釈が付きますがね」



 概して冥界の主というものは、厳格かつ論理的だ。死は誰にでも訪れるという理屈からなのか、残虐的というよりは機械的になる。あくまで大別してであり、それぞれ変わった逸話は持っているが、魂の差配に関しては一家言あると言う。


 周囲を見渡せば、皆の目が濁っていた。

 当然だろう。ヘルとハデスがどうこう以前に、皆それぞれ信じていた神がいるのだ。敬虔さの差こそあれ、まさにどちらにも行きたく無いというものだ。その目も外から聞こえてくる剣撃の音に、伏せられる。


 亀裂から覗けば、ミイラのごとき松明を持った亡者と結晶が人型になったような兵が争っている。どちらも死んでいるため、最終的な決着は遥か先になるだろう。その場その場の戦いも、互いに脆く崩れて終わる。



「まさに不毛だ……」

「大将、見たでしょう。ここには何もねぇ。悪いことは言わねぇから、何とか帰りなさいな。ここで死んだら、なんにもならねぇ」



 冷たくなって随分と経つ男から、かけられた労りの声。カイは心底驚いて、心に火が点くのを感じた。〈英雄〉として名をあげていくたびに、誰もカイが死地に向かうのを止めなくなったのだ。仲間たちでさえ。

 だというのにヘイデンは、こんな場所にいることは無いと言ってくれる。彼もカイの〈英雄特性(ヒロイズム)〉を知っているというのに、苦労などわざわざするものではないと言う。


 内心でなおさら放ってはおけないなと、決意を固めたカイは彼らをどうにかする方法を真剣に考えることにした。

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